句集・結社誌を読む17~季刊俳句誌「パティオ」2018年秋創刊号

「パティオ」2018年秋号創刊号

「パティオ」2018年創刊号

主宰 環 順子(たまき・じゅんこ) 発行人 環 順子

結社誌・季刊・創刊号・東京都練馬区・創刊 環 順子

 

環順子主宰は、故・小澤克己氏の主宰誌「遠嶺」で長年研鑽し、小澤さんが最も頼りにしていた同人の一人である。

小澤さんは60代でこの世を去った。

生前は、あらゆる総合誌で小澤さんの名や作品を見かけない時はない、と言っていいほどの活躍であった。

私も、小澤さんにはペーペーの編集者時代からいろいろとお世話になった。

それだけに小澤さんの早い死は残念だった。

小澤さんは人生を早く駆け抜け過ぎたのである。

 

「遠嶺」終刊後、後継誌「爽樹」が創刊され、ここでも環さんは主要同人として活躍。

今回、満を持しての創刊で、つい先日、創刊を祝う会が開催された。

 

季刊俳句誌「パティオ」創刊記念祝賀会

 

「パティオ」とはスペイン語で「中庭」という意味。

開け放たれた自由な空間に人が集い、憩いと安らぎを求めるところでありたい、という願いから命名した。

 

発刊の言葉より。

「日々旅にして旅を栖とす」

俳聖芭蕉の名句は、漂泊の途上、つぎつぎと生み出された。

私にとっても俳句の道は人生の旅である。

平成9年1月、もっとも躍進している結社「遠嶺」の小澤克己の門を叩いた。

(中略)

いつの時も「遠嶺」という、遥かなステージをめざし、限りない夢をもって進んで行くという初志を忘れたことはなかった。

(中略)

今こそ師の詩精神を大義とするべく、師を慕う仲間の強い絆に結ばれて、結社「パティオ」を創立を決意し。ここに俳誌を創刊した。

人は、新たなる夢を追って旅にでる。

 

西行や芭蕉が目指したものは、

「自己の人生と作品と天地自然の完全なる三位一体化」

である。

「旅」はそのための手段だった。

いや、「旅」でなければ、この三者の完全なる一体化は出来ないのである。

現代俳句において、そのことを強く意識していたのは小澤克己さんだけである。

小澤さんは、常に芭蕉を、旅を、敬慕していた。

発刊の言葉の冒頭で、環さんが、

「日々旅にして旅を栖とす」

を挙げたのは、さすがである。

小澤さんの目指したものをよく理解している。

 

主宰作品〈フェンテ「泉の砂」〉より

あなたなる潮騒たたむ絹扇

宙に吊る海より蒼き江戸風鈴

蛍火の息づき裾の重さかな

秋星やすでに順ふひとをらぬ

天の河の尾に一舟を繋ぎあふ

小澤さんには『雪舟』(そり)という句集があり、「舟」は晩年の小澤さんにとって重要なキーワードである。

人生を運んでくれるもの…という意識があっただろう。

「天の河」の句に出てくる「つなぎあう舟」とは、「パティオ」会員それぞれの人生や志の舟という意味もあろうが、小澤さんの志の舟も当然含まれている。

俳句は「景物」と「情」が一致したものである、という小澤さんの「情景主義」が色濃く反映されている一句だ。

 

〈会員作品〉より

遠く近く吠ゆる卯波の風岬   神原徳茂

口笛に雲のひらけし大花野   佐山苑子

一枚の広野をさらふ鷹柱    桜井葉子

雪解風ときをり水の裏返り   水野あき子

真帆はつて峰雲さらに大きくす 花島陽子

大皿に海を盛込む夏料理    三間菜々絵

青き踏み五重塔を目指しけり  片岡啓子

秋薊高原の雨いま細し     高橋宏行

山寺のかろき水音水芭蕉    坂本ひさ子

ソーダ水泡の先なる太平洋   三羽永治

麦笛の日の矢射す湖渡りけり  奥田君子

沼に落つ青き雫や月の影    関根陽子

峠越え向日葵の待つあの家へ  すずき笑子

今さらに幸せ感ず愛の羽根   平沼順子

皇帝に捧げし夜の大噴水    小林映子

天の川よりFMのリクエスト  妃凛

今日といふ旅どこまでも半夏生 稲田美智子

青嵐洗ひ直しの樟大樹     貝瀬茶房朗

ぎいと押す鉄扉の陰にありの道 中田公夫

海と山輪に入れ鳶の秋高し   福島しげ子

男気の顔上気して夏祭り    猪俣慶子

 

これらの作品を読んで思うのは俳句は「述志の文学」である、ということだ。

おそらく、情景主義にとって、「写生」は大事であるが「客観写生」はさして大事なことではあるまい。

「情」とは感動や志と考えてもいい。

その「情」と一致する、或いは、その「情」が共感する「景」(風景)に出会った時、情景俳句は生まれる。

必然的に、一句の奥底に感動や志、思想、主張、そして人生が滲んでいる。

どの作品にもそういう「張り」のような、力強さがある。

 

私も初学の頃、「河」に在籍していて、創刊主宰である角川源義の「俳句は述志の文学である」という言葉に強く共感した。

かぼそい俳句、無感動な俳句がほとんどの現在の俳壇の中で、この「述志の文学」としての俳句を広めていただきたい、と願う。

俳句の本来持っている力強い人生諷詠、ストレートで素朴な志を今後も展開していただきたい。

 

 

 

 

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