句集・結社誌を読む20~日下野由季句集『馥郁』

 

日下野由季句集『馥郁』

著者:日下野由季(ひがの・ゆき)

句集名:馥郁(ふくいく) 

第二句集 ふらんす堂 平成30年9月25日刊行

 

ひとりではなくて北窓ひらきけり

 

日下野由季さんの待望の第二句集。

30代より「海」編集長を務める俊英である。

私が編集長時代、文學の森主催の山本健吉評論賞を受賞している。

記憶があいまいだが、おそらく女性初の受賞者である。

師である高橋悦男「海」主宰の師、野澤節子の評論で、選考委員の大輪靖宏・坂口昌弘両氏とも1位で一致し受賞した。

このように書くと、「理論派の人」と思われるかもしれないが、そうではない。

むしろ俳句に於いては「しなやかな感性の人」というイメージがある。

30歳で刊行した第一句集「祈りの天」もしなやかな感性に満ちた好句集だったが、今回はそれに「豊かな静けさ」が加わった感がある。

「祈りの天」にそういう部分がなかったわけではないが、どこか、青春や若さゆえのざわざわとした心の揺れがあった。

もちろんそれも若き俳人の作品特有の魅力で、それが悪いという意味ではない。

ただ、今回の「馥郁」は、句集名を較べてみるとわかるように、どこか心の安定が伺え、それが俳句の「純度」を高めている。

 

感銘句を以下に。

揺れやむは泣きやむに似て藤の花

桐咲くや忘れしころに来る手紙

径ゆづるとき秋草に濡れにけり

風を聴くかたちとなりてうす氷

まだ見つめられたくて鴨残りけり

虹を見しことをはるかな人に告ぐ

羅を水のごとくに纏ひけり

またひとつ星の見えくる湯ざめかな

ただ晴れて虚子忌の空のありにけり

吹かれたるままに歩きて花の岸

春の山生きるものとは光るもの

まほろばの風はるかより更衣

ポンプ井戸押せば夏日の迸る

今日の月思ふところに上がりけり

秋めくとショパンに針を下ろしけり

詩に生きて人悲します啄木忌

口づけを受く手の甲や夜半の秋

朝霧や眠らぬ街をゆく運河

水澄めり受胎告知のしづけさに

鳥雲に入る灯台に窓一つ

さかしまに叩く屑籠花ぐもり

てのひらに指で書く字や蝶生まる

流星の強く短く山の端

大空を来て水鳥となりにけり

いきいきと巌の生まるる春の潮

紫陽花の大きく白を尽くしけり

鳶の輪のゆるむことなき初御空

星涼しいのち宿るをまだ告げず

こうし見ると、やはり、『祈りの天』の頃の「ざわざわ」としたものが消えている。

彼女の俳句は「心から湧いてくるもの」を基調としている。

そして、その心は常に汚れてはならないもの、でなければならない。

 

栞文は大木あまりさんが執筆。

あまりさんは、彼女の俳句について、

感性の豊かさ、柔軟な発想が際立っている

と述べ、

どのページをめくっても、透明な句に出会うことができる

と称賛している。

 

掲句は私がもっとも感銘した句。

「ひとりではない」とはご主人のことか、或いは、この句のあとに出てくる、身の内に宿った命のことか。

「ひとりではない」ということは、以前は「ひとり」だった、ということである。

もちろん家族にも、句友にも恵まれている彼女だが、若さゆえの「孤独感」というものはあっただろう。

人はおのれの使命や生きがいを見いだした時、孤独を忘れることができる。

私にはこの句は、妻として母として、そして自分の俳句人生を含めた人生というものに確固たる「道」を見つけたことへの喜びの一句であると思う。

「北窓」は「迷い」を象徴している、と考えていい。

 

 

句集・結社誌を読む19~「蒼海」創刊号

「蒼海」創刊号

「蒼海」創刊号

主宰 堀本裕樹 編集長 浅見忠仁

結社誌・季刊・創刊号・東京都千代田区・創刊 堀本裕樹

 

若手のトップを疾駆する俳人・堀本裕樹氏が結社誌を創刊。

夏井いつきは別にして、彼ほどマスコミで活躍している俳人はいない。

それは俳句の普及、発展に大きく貢献している。

今回、満を持しての主宰誌創刊である。

さすがに俳壇のスター。

特別寄稿に錚々たる俳人の名が並ぶ。

池田澄子

茨木和生

上野一孝

宇多喜代子

小川軽舟

小澤 實

櫂未知子

片山由美子

黒田杏子

高橋睦郎

西村和子

星野高士

随筆にも以下の方々の寄稿が続く。

鎌田東二

石田 千

中上 紀

長嶋 有

穂村 弘

又吉直樹

町田 康

主宰作品「さやけかれ」より

桔梗を剪るときこころさやに鳴る

切り岸を駈けのぼりくる虫の声

爛爛と海見よそこに颱風来

きりもみの鴎に深空澄みにけり

最果てを見むと沖見るさやけかれ

「創刊の辞」より抜粋する。

太陽の下、無垢に煌き渡る海原に眼を奪われるとき、このような雄大で深く真っ青な一句をいつか物することができればと思いを馳せる。

「蒼海(滄海)の一粟」という成句がある。

これは広大な青海原に、極めて微小な一粒の粟が漂っていることになぞらえ、宇宙における人間の存在の微塵を譬えている。

天地のあわいに佇むとき人間は、ごく小さな儚い存在となる。

そのことを自覚し、自然と交感しながら俳句を詠みたい。

(後略)

彼とは間接的な思い出がある。

私が「俳句現代」の新米編集員だった時だ。

俳句現代賞という若手のための登竜門の賞があった。

彼はそこに「熊野曼荼羅」という作品で応募した。

最終選考まで残ったが、受賞はならなかった。

会社関連のパーティーの時、取引のデザイナーだったか、外部校正者だったか忘れたが、私のところに来て、

私は彼(堀本裕樹)の作品が一番よかった。

なぜ、取れなかったんでしょう?

と私に聞いた。

私は選考委員ではないし、賞に編集者の思惑は関わってはいけない。

(まあ、そのころ、私は新米で、関わることなんて、はなから出来ないのだが…。)

その時に私なりの見解を述べた。

選考委員の出した結果を尊重しつつ、無難な答えを返した記憶がある。

ただ、私も彼の作品は気になっていて、内心、その人と同じ思いはあった。

その後、彼は私が「河」を辞めた頃、「河」に入会した。

私とは入れ替わったような感じで、面識はなかった。

その後、めきめき頭角を顕し、わずか数年で「河」編集長に抜擢された。

その後、「河」を退会し、私が編集長を務める雑誌の新人賞に応募し、見事、受賞した。

そのタイトルが、

熊野曼荼羅

だった。

受賞作は句集にして出版するという特典があり、句集「熊野曼荼羅」が出版され、その句集は俳人協会新人賞を受賞した。

別にそれだけではないが、そのころから彼を注目を浴び、一気に俳壇期待の星へと飛躍した。

熊野曼荼羅

というのは、何か私にとっても思い入れのあるタイトルである。

〈会員作品〉より

白髪のサマードレスの清らなる    加藤ナオミ

カレー屋の跡にカレー屋二月尽    白山土鳩

あの鳥はきつと海まで青葉風     森沢悠子

向日葵を手向け何から話そうか    加留かるか

ビッグデータのゆらめいて蝶生る   サトウイリコ

子蟹らの順に動かすはさみかな    会田朋代

どの句にも類想というものを感じない。

堀本主宰の指導の徹底ぶりが伺える。

どれもが「現代」である。

昨今は「現代」「今」を意識するあまり、俳句の根源を無視する軽薄さがあるが、「蒼海」作品にはそういうものがなく、一句に重厚感がある。

ここから新しい才能がたくさん生まれてくるような予感がある。

 

 

句集・結社誌を読む18~「夏爐」(なつろ)819号(平成30年9月号)

「夏爐」819号(平成30年9月号)

「夏爐」819号(平成30年9月号)

主宰 古田紀一 編集人 古田紀一

結社誌・月刊・通巻819号・長野県諏訪郡下諏訪町・創刊 木村蕪城

 

長野県には意外と結社が多い。

豊かで清々しい信州の大自然が身近にあるからだろうか。

その中でも「夏爐」は長野随一の伝統結社である。

「夏爐」については創刊主宰の木村蕪城を語らないわけにはいかない。

蕪城は大正2年鳥取県に生まれ、「ホトトギス」「夏草」などで俳句を学んだ。

それゆえ「夏爐」は師系に高浜虚子、山口青邨を掲げている。

昭和17年に「夏爐」を創刊した。

おるがんの鳴らぬ鍵ある夜学かな
きさらぎや白うよどめる瓶の蜜
一茶の像ちひさしこれに鏡餅
冬海のかなた日当たる八束郡
夏炉ありほそぼそとしてわがたつき
天龍のひびける闇の凍豆腐
寒泉に一勺を置き一戸あり
母みとる未明の銀河懸るなり
法華経の一品を手に花疲
郭公の声のあけくれ吾子育つ

「夏爐」は蕪城が好んで使った季語だと記憶している。

いかにも山国・諏訪の風土を活写している。

林誠司ブログ~夏爐 木村蕪城

私は当初、松尾芭蕉の言葉とされている、

予(よ)が風雅(ふうが)は夏炉冬扇(かろとうせん)のごとし

から来ているのだろうと思って、古田主宰に聞いてみたことがある。

「夏炉冬扇」とは、字のごとく、「夏の囲炉裏、冬の扇」でつまり、

何の役にも立たないもの

ということである。

もちろん、この言葉には、それだけではない、芭蕉の強烈な自負もある。

総合的に考えると、「夏炉」という季語を好んで詠んだこと、諏訪という風土、そして、芭蕉の言葉から生まれたのではないか。

現主宰の古田さんは、平成16年蕪城逝去により、第二代主宰となった。

木村蕪城は教師であり、古田主宰はその教え子である。

学校卒業も何くれと世話になり、当時はむしろ詩のほうに興味があったが、そういう蕪城の人柄に魅せられ俳句を始めた。

この号で通巻819号…、私は蕪城にお会いしたことはないが、古田主宰と話したり、「夏爐」を読む度、俳縁の厚みというものを感じる。

俳句というのはわりと「俗」な部分が多い。

それは別の言い方で言うと、他の文芸より「人間臭い」とも言える。

蕪城を慕い、その功績を残そうと奮迅する古田主宰の姿を見ると、俳句の師というだけではない、濃密な情を感じる。

俳句の世界における人間臭さは時に悪い面、醜い面もあり、それが現在の結社制度の限界を招いていると私は考察するが、「夏爐」にはそういうものがない。

むしろこの師弟関係にはあたたかで、切なささえ感じる。

主宰作品「円座」より

ともがらの墓探し当つ草の王

豆腐屋は野辺の三叉路夏めける

みな海を見つめて梅雨に入りけり

砂にわが足跡しるす大南風

よく噎せる齢冷酒に冷水に

「草の王」とはケシ科の一年草で、夏に黄色い花を咲かせる。

神奈川県鎌倉で行った夏季鍛錬会の報告記事が掲載されていたので、3句目4句目はその折の作であろう。

シンプルな表現でありながら、情がこまやかで深みを感じる。

こまかいところだが、

砂にわが足跡しるす大南風

は、普通の人であれば、「しるす」ではなく「残す」としてしまうのではないか。

砂にわが足跡残す大南風

これでは「情」にもたれかかっているし、流行曲のようだ。

「残す」は「写生」ではなく「報告」なのだ。

「しるす」が「写生」であり、「情」に流されず「詩」となるのだ。

こまかいところ…と言ったが、俳句に於いてこの「情」に流されない、ということは非常に大事で、「写生」の効用は、風景をしっかり描き、「詩」をにじませることにある。

 

「今月の十句」および会員作品「山河集」より

鮒鮓や風鎮ゆらす風よろし     長井紀子

根こそぎのもの流れつく梅雨の花  景山みどり

冷房を薬臭の航く長廊下      中村鈍石

掌握の力の萎えし瓜をもむ     崎 多瑠子

丸かじりに塩派砂糖派トマト捥ぐ  梅野啓子

家ずらす工事溽暑を幾日ぞ     荻野芳子

足病むや願の糸の墨を濃く     山本うめ

笹舟を梅雨の大河が飲み込める   市川あきら

京びいき何がなんでも貴船川床   織田ひでを

恋猫が鳴き鳴き歩く駐車場     小松美左子

生業としての小塾韮の花      鈴木 岬

 

どの句も生活・風土に根ざし、そこから詩が生まれていることに感嘆した。

「おきれいな俳句」は一つもない。

自然詠でも、そこに生活、さらにいえば人生が潜んでいる。

「丸かじりに」の句を「今月の十句」に選ぶ古田主宰の選句の姿勢に敬意を持った。

俳句は文学であるか否か、芸術であるか否か、という話はいまだに出る。

私はこう思う。

俳句は芸術的なものからそうでないもの、尊いものからそうでないもの、聖から俗、自然から生活、花鳥諷詠から滑稽まで、すべてを包み込んでいる大きな文学だと。

古田主宰の選句を見ていると、きっと彼もそういう考えなのではないか、と感じた。

句集・結社誌を読む17~季刊俳句誌「パティオ」2018年秋創刊号

「パティオ」2018年秋号創刊号

「パティオ」2018年創刊号

主宰 環 順子(たまき・じゅんこ) 発行人 環 順子

結社誌・季刊・創刊号・東京都練馬区・創刊 環 順子

 

環順子主宰は、故・小澤克己氏の主宰誌「遠嶺」で長年研鑽し、小澤さんが最も頼りにしていた同人の一人である。

小澤さんは60代でこの世を去った。

生前は、あらゆる総合誌で小澤さんの名や作品を見かけない時はない、と言っていいほどの活躍であった。

私も、小澤さんにはペーペーの編集者時代からいろいろとお世話になった。

それだけに小澤さんの早い死は残念だった。

小澤さんは人生を早く駆け抜け過ぎたのである。

 

「遠嶺」終刊後、後継誌「爽樹」が創刊され、ここでも環さんは主要同人として活躍。

今回、満を持しての創刊で、つい先日、創刊を祝う会が開催された。

 

季刊俳句誌「パティオ」創刊記念祝賀会

 

「パティオ」とはスペイン語で「中庭」という意味。

開け放たれた自由な空間に人が集い、憩いと安らぎを求めるところでありたい、という願いから命名した。

 

発刊の言葉より。

「日々旅にして旅を栖とす」

俳聖芭蕉の名句は、漂泊の途上、つぎつぎと生み出された。

私にとっても俳句の道は人生の旅である。

平成9年1月、もっとも躍進している結社「遠嶺」の小澤克己の門を叩いた。

(中略)

いつの時も「遠嶺」という、遥かなステージをめざし、限りない夢をもって進んで行くという初志を忘れたことはなかった。

(中略)

今こそ師の詩精神を大義とするべく、師を慕う仲間の強い絆に結ばれて、結社「パティオ」を創立を決意し。ここに俳誌を創刊した。

人は、新たなる夢を追って旅にでる。

 

西行や芭蕉が目指したものは、

「自己の人生と作品と天地自然の完全なる三位一体化」

である。

「旅」はそのための手段だった。

いや、「旅」でなければ、この三者の完全なる一体化は出来ないのである。

現代俳句において、そのことを強く意識していたのは小澤克己さんだけである。

小澤さんは、常に芭蕉を、旅を、敬慕していた。

発刊の言葉の冒頭で、環さんが、

「日々旅にして旅を栖とす」

を挙げたのは、さすがである。

小澤さんの目指したものをよく理解している。

 

主宰作品〈フェンテ「泉の砂」〉より

あなたなる潮騒たたむ絹扇

宙に吊る海より蒼き江戸風鈴

蛍火の息づき裾の重さかな

秋星やすでに順ふひとをらぬ

天の河の尾に一舟を繋ぎあふ

小澤さんには『雪舟』(そり)という句集があり、「舟」は晩年の小澤さんにとって重要なキーワードである。

人生を運んでくれるもの…という意識があっただろう。

「天の河」の句に出てくる「つなぎあう舟」とは、「パティオ」会員それぞれの人生や志の舟という意味もあろうが、小澤さんの志の舟も当然含まれている。

俳句は「景物」と「情」が一致したものである、という小澤さんの「情景主義」が色濃く反映されている一句だ。

 

〈会員作品〉より

遠く近く吠ゆる卯波の風岬   神原徳茂

口笛に雲のひらけし大花野   佐山苑子

一枚の広野をさらふ鷹柱    桜井葉子

雪解風ときをり水の裏返り   水野あき子

真帆はつて峰雲さらに大きくす 花島陽子

大皿に海を盛込む夏料理    三間菜々絵

青き踏み五重塔を目指しけり  片岡啓子

秋薊高原の雨いま細し     高橋宏行

山寺のかろき水音水芭蕉    坂本ひさ子

ソーダ水泡の先なる太平洋   三羽永治

麦笛の日の矢射す湖渡りけり  奥田君子

沼に落つ青き雫や月の影    関根陽子

峠越え向日葵の待つあの家へ  すずき笑子

今さらに幸せ感ず愛の羽根   平沼順子

皇帝に捧げし夜の大噴水    小林映子

天の川よりFMのリクエスト  妃凛

今日といふ旅どこまでも半夏生 稲田美智子

青嵐洗ひ直しの樟大樹     貝瀬茶房朗

ぎいと押す鉄扉の陰にありの道 中田公夫

海と山輪に入れ鳶の秋高し   福島しげ子

男気の顔上気して夏祭り    猪俣慶子

 

これらの作品を読んで思うのは俳句は「述志の文学」である、ということだ。

おそらく、情景主義にとって、「写生」は大事であるが「客観写生」はさして大事なことではあるまい。

「情」とは感動や志と考えてもいい。

その「情」と一致する、或いは、その「情」が共感する「景」(風景)に出会った時、情景俳句は生まれる。

必然的に、一句の奥底に感動や志、思想、主張、そして人生が滲んでいる。

どの作品にもそういう「張り」のような、力強さがある。

 

私も初学の頃、「河」に在籍していて、創刊主宰である角川源義の「俳句は述志の文学である」という言葉に強く共感した。

かぼそい俳句、無感動な俳句がほとんどの現在の俳壇の中で、この「述志の文学」としての俳句を広めていただきたい、と願う。

俳句の本来持っている力強い人生諷詠、ストレートで素朴な志を今後も展開していただきたい。

 

 

 

 

句集・結社誌を読む16~『八月や六日九日十五日』のその後

 

『八月や六日九日十五日』のその後

『八月や六日九日十五日』のその後

著者 小林良作 発行 「鴻」発行所出版局

 

八月や六日九日十五日

 

この句は「日本国民にとっての国民的一句」として記憶されるべき…。

話は、今や、この句をどういう位置づけとして考えるか…、という方向に向かっているようだ。

 

知らない人の為におおまかに説明しておく。

著者・小林良作さんが、所属する結社「鴻」へこの句を投句した時、事務局より「先行句がある」という指摘を受けた。

調べてみると、多くの人が、この句を詠んでいたことがわかり、この句の一番最初の句を調べてみようと思った。

その成果を一昨年、『「八月や六日九日十五日」真の先行句を求めて!』にまとめ刊行したのである。

この本も読んだが、実に感心した。

小林さんは、初めは興味本位であったのだろうが、先行句を調べ、実際に作者や関係者に取材をしている内、数々の「人生模様」と出会い、戦争に対する思い、この句への祈りのような思いを感じるに至った。

 

今回の『「八月や六日九日十五日」のその後』は、それに対する反響や意見、さらに、第一弾刊行以後、わかったことなどを記している。

巻末近くに、「八月や六日九日十五日」を発表した作者と発表時期が表にされている。

作者が明確な人のみ列を記してみる。

 

昭和51年 小森白芒子 八月や六日九日十五日

昭和62年 植村 隆  八月や六日九日十五日

平成4年   諌見勝則  八月や六日九日十五日

平成10年 藤瀬宜久  八月や六日九日十五日

平成12年 西嶋あさ子 八月や六日九日十五日

平成15年 渕向正四郎 八月や六日九日十五日

     福永法弘  八月や六日九日十五日

平成18年 小野巨子  八月や六日九日十五日

     荻原枯石  八月や六日九日十五日

平成20年 愚草    八月尽六日九日十五日

平成21年 中村洋子  八月の六日・九日・十五日

平成24年 谷岡直美  八月や六日九日十五日

平成25年 近藤ともひろ八月や六日九日十五日

平成26年 堅山道助  八月や六日・九日・十五日

     布施 良  八月や六日九日十五日

 

これだけでも「圧巻」である。

きっと、これらは氷山の一角で、この「八月や」の句を詠んだ人はもっともっとたくさんいるだろう。

で…、そうなると、これは「類句」なのか否か、という問題、また、この句は「名句」なのか「駄句」なのか、という問題がある。

 

冒頭で紹介したように、第一弾の本が刊行された時は、そういう話題があった。

しかし、どうもこれだけ多いと、類句とか名句か否かという問題より、日本人の誰もが共感、共有出来る俳句、と考えた方がいい、という方向になりつつある。

 

正直、私にはよくわからない。

しかし、本でも紹介されていたが、一部では、この句を当たり前のごとく「反戦俳句」と紹介していたが、そういうことではないような気がする。

反戦というより日本人、日本民族の歴史の一句と考えるべきだろう。

 

句集・結社誌を読む15~「蛮」46号

「蛮」46号

「蛮」(ばん)46号

主宰 鹿又英一(かのまた・えいいち) 編集 佐藤 久

結社誌・季刊・通巻46号・神奈川県横浜市・創刊 鹿又英一

 

「蛮」という結社名からして「異質」である。

誌名の由来は知らないが、「蛮」というと「野蛮」「野蛮人」「蛮行」などという言葉が思い浮かび、荒々しいイメージがある。

俳句において「アウトロー」になることを厭わない、強靭な意志を感じる。

逆の見方をすれば、「荒々しさ」を失い「雅化」(みやびか)(?)してしまった現代俳句に対するアンチテーゼとなる、というメッセージも感じる。

 

そうなのである。

俳句はもともと「荒々しい」文芸だった。

「雅の和歌」に対する「アンチテーゼ」として生まれたのが「俗の俳諧」である。

故・上田五千石さんは「感動」とは「命が脅かされそうなもの」だと言い、俳句に必要なのは「野生」だ、と言った。

現代俳人で、そういう野生や荒々しさを意識しているのは数名程度、その一人が鹿又主宰であろう。

 

松尾芭蕉も「荒々しさ」を大切にした。

あまり知られていない事実だが、芭蕉は晩年、「かるみ」ではなく「あらび」を大事にするよう、弟子への手紙で書いている。

 

ブログ・芭蕉が「かるみ」の次に目指したもの

 

そういう意味で「蛮」こそ、現代俳句が見失ってしまった「あらび」を目指した、唯一の存在とも言えよう。

 

主宰作品「建具屋」より

葉桜の風や担担麵辛き

浜日傘記憶の端に立つてゐる

東京のほころびてゐる雲の峰

 

見事な「あらび」である。

「あらび」について、芭蕉はこまかく言っていないが、推測するに…、まことにおおまかで申し訳ないが、

 

一句が「ツルッ」としておらず「ザラッ」としているもの

 

とは言っている。

一言で言えば「聖なるもの」と「俗なるもの」とのぶつかり合い、と言えるだろう。

 

会員作品より

祖父になる日を待っている子供の日   藤田裕哉

人体を抜かれて水着を干されをり    小野塚達希

春潮のひしめく入江鳶の声       岡本洋美

空港の奄美の乙女夏来たる       磯かおる

田水引く父の背中に迷いなし      岩佐朱美

熱帯魚化学反応して育つ        金子 崇

乾杯のグラスに映る雨蛙        向井虹蜆

 

「蛮」は現代仮名遣いでも歴史的仮名遣いでもOK。

主宰作品も「特別枠」ではなく、他の会員と同列に掲載されている。

一言で言えば「自由」である。

編集長時代、印象に残っていることがある。

たまたま鹿又主宰とお会いし、中国地方にも支部(鳥取だったか、島根だったか…)があり、「浴衣吟行」をするのだ、という。

それなら誌面を提供しましょう、ということになり、句会レポートを後日、送ってもらった。

その時に会員が、皆、若い方がたくさん参加していることに驚いた。

若者同士の句会でも、地方の一句会で、これほどの若い人を俳句に集めるのは困難であろう。

鹿又主宰の指導力や企画力、カリスマ性に感嘆し、以来、世代を超えて活躍出来る逸材と思った。

鹿又主宰の今後の活躍にも注視したい。

 

 

句集・結社誌を読む14~「星雲」第43号(創刊十周年記念特集)

 

「星雲」創刊十周年記念号

「星雲」(せいうん)第43号(創刊十周年記念特集)

主宰 鳥井保和(とりい・やすかず) 編集 小川望光子

結社誌・隔月刊・通巻43号・和歌山県海南市・創刊 鳥井保和

 

 

鳥井主宰は昭和27年、和歌山県海南市生まれ。

生粋の山口誓子門。

誓子に関する評論で、第4回「俳句界」評論賞を受賞している。

「天狼」は昭和を代表する大俳句結社だが、誓子が平成6年に亡くなり廃刊。

遺弟子たちもさすがに高齢化し、多くの優秀な俳人も黄泉へと旅立った。

鳥井主宰は「天狼」後期の代表作家であるだけに、まだ60代半ば。

俳人としては、一番脂ののった時期である。

今後に果たす使命は大きい。

「天狼」時代には第24回コロナ賞を受賞。

この「コロナ賞」だが、今の俳人にはその価値がわからないのではないか。

単なる結社賞ではないのだ。

実際、結社賞には違いないが、当時の「天狼」の層の「厚み」を考えれば、もの凄い価値のある賞だ。

その実力を、その頃より俳壇へも広げ、「星雲」創刊前に第5回朝日俳句新人賞準賞を受賞している。

現代の和歌山俳壇を代表する俳人で、「星雲」自体、和歌山で最も活発な結社と言っていい。

句集に『大峯』『吃水』『星天』、そして最近『星戀』を刊行した。

 

今回紹介する号は創刊十周年記念特集号、「星雲」は昨今、「季刊」から「隔月刊」にシフトした。

巻頭はカラーページによる「星雲」創刊十周年記念祝賀会報告。

この祝賀会には私も参加した。

「星雲」10周年祝賀会

マグロの解体ショーなども行われ、実に楽しい会だった。

わざわざ和歌山まで来ていただいたのだから、楽しんで帰って行っていただきたい、という「星雲」の歓待の心が伝わってくる会だった。

祝賀会でも述べていたし、誌面でも発表しているが、「月刊化」も視野に入れている。

 

多くの結社は今や、「月刊」から「隔月刊」へ、「季刊」へと移行し、生き残りを図っているのが現状である。

「星雲」がいかに日の出の勢いかがわかる。

 

さて、誌面だが「誓子の筆墨」というコーナーがあり、誓子の、

 

大阪驛大峯行者突つ走る

(おおさかえき おおみねぎょうじゃ つっぱしる)

 

が紹介されている。

いかにも誓子らしい、と感心した。

即物描写に徹している。

「大峯行者」とは奈良吉野の大峯に登る修験者、つまり山伏である。

なんで、大阪駅を走っているのかわからないが、大阪駅を降り立ってより、身も心も「山伏」となっているのだろう。

誓子の俳句が「即物的」「乾いた抒情」と言われるのは、形容詞、形容動詞など、余計(?)な修飾語を入れないからであろう。

この句も「大阪駅」「大峯行者」という「名詞」と、単純な「動詞」、「突つ走る」だけで構成されている。

久保田万太郎の俳句などとは対照的と言っていい。

 

主宰作品「天狼集」より

あをあをと高野八峰雪月夜

宝珠なす仏のごとき蕗の薹

白魚の命ひしめく踊り喰ひ

桜湯に幸せの花ひらきゆく

日を弾き瀬水はじきて上り鮎

 

鳥井主宰の住まいは「高野山」の近く。

(近くと言っても、高野山自体、山奥の秘境なので、車で結構移動するが…)

私も一度、鳥井主宰に労を取っていただき、鳥井主宰と俳人数名で訪ねたことがある。

主宰の作品は誓子の作品と比較して、主観が強く、風土色も濃い。

一言で言えば「抒情的」というべきか。

主宰の結社誌、そしてほとんどの句集には「星」がついている。

誓子の「天狼」とは「シリウス」のこと。

彼の作品に出てくる「星」はほとんど「誓子恋い」と言っていい。

これらの句を読んでいても、その頭上には高々と「誓子星」を掲げているように感じる。

つまり、一句一句に「奥行き」があり、壮大な詩空間を背負っている感がある。

これも誓子系の大きな特色である。

 

同人・会員作品より

長氷柱一戸一戸の音を断つ   小林邦子

番台の真中に飾る鏡餅     澤 禎宣

婚の儀の襟巻に付く紙吹雪   園部知宏

立春のこの上もなき日和かな  竹内正與

啓蟄や湾を繰り出す真帆片帆  土江祥元

反り橋の朱逆しまに氷面鏡   成瀬千代子

朝市に寄りて見舞の寒卵    前田長徳

うれしくてたまらぬやうに地虫出づ   本田たけし

 

実に安定している。

これは鳥井主宰の卓越した指導力の賜物でもあろうが、鳥井主宰の「誓子恋い」の姿勢が会員に浸透しているからではないか。

同人会員は「天狼」後期、彗星のごとく現れた鳥井主宰に誓子俳句の「本道」を見ているのであろう。

つまり、句の方向性に迷いがないのだ。

これが本来の結社の在り方であろう。

結社というのは「理念」があってこそ成立するもので、一つの理念のもとに集まった人々、その組織を言う。

そういう意味で現代俳句に於いて、胸を張って「結社」と言えるのはどれぐらいあるだろう。

おそらく10もあればいいのではないか。

「星雲」はその数少ない「結社」である。

誌面では他に、

誓子の句碑巡り

(医師・「星雲」編集長、小川望光子の)身体の俳句

(「岳」同人・小林貴子の)星座探訪(作品鑑賞)

その他にも盛沢山である。

全国を駆け回っていた営業マンらしい、鳥井主宰のバイタリティーを感じる。

ふと、これが月刊になったら、編集が大変ではないか、と余計な心配をしてしまうほど、エネルギッシュで充実した誌面である。

 

句集・結社誌を読む13~「嘉祥」2018年夏号

「嘉祥」2018年夏号

「嘉祥」(かしょう)2018年夏号

代表 石嶌 岳(いしじま・がく)  編集 三代たまえ

結社誌・季刊・通巻34号・東京都板橋区・創刊 石嶌 岳

 

 岳代表は昭和32年東京生まれ、東京在住。
「雪解」の皆吉爽雨・井沢正江に師事し、平成19年に「嘉祥」を創刊。

句集に『岳』『虎月』『嘉祥』があり、『嘉祥』で第30回俳人協会新人賞を受賞している。

共有の場を通して個の創意の伸長をめざす

を信条とする。

 

代表作品〈鏡より〉より

鮒釣の竿のかるさや花ぐもり

老鶯の裏声にして谷渡る

鏡より風吹いてくる五月かな

桐の花寺に位牌を預け置く

垂直に気の立つてくる泉かな

 

岳氏の傑作の一つに、

クリムトの金の接吻結氷期

がある。

私はよく、この句を例にして「写生」の話をする。

オーストリアの画家、グスタフ・クリムトの代表作「接吻」を題材としている。

これが、

クリムトの接吻

では「写生」とは言えない。

クリムトの金の接吻

だからこそ、「写生」となった、のである。

石嶌 岳

「写生」とは「ものを写す」のではなく、「ものの本質を写す」ということである。

そのためには「具象性」が必要だ、と私は思う。

岳代表はその「具象性」に優れている作家だといつも思う。

この句は「金の接吻」…とくに「金」が具象なのである。

高浜虚子の名句に、

去年今年貫く棒の如きもの

がある。

この句は「時間」という「観念」を描いている。

「時間」「時」「時空」という観念的な世界、目に見えない世界を描いていながら、多くの人が理解し、共感出来るのは、

という「具象」があるからだ。

「棒」は誰でも知っている。

それによって、虚子が描こうとした「時間の観念」がイメージとして理解出来るのである。

岳氏は「写生の人」と言っていいが、この「具象性」に優れた才を持っている。

今回の作品で言えば、

垂直に気の立つてくる泉かな

がそれに当たる。

「泉から気が立ってくる」というだけではどこか、抽象的で漠然としてしまう。

「垂直に」によって、見えるはずのない「気」が見えて来るのだ。

そして「垂直に」には立ち上る「気」の「力強さ」、そして「泉」の気高さをも表現しているのである。

 

同人作品より

母亡くて四時の果てなる桜草   三代たまえ

春荒や木々の饒舌鳥の黙     逆井孝子

屋島嶺は天の俎鳥引けり     大野麗子

受験子の車中に開く手擦れ本   中川千尋

青空を真つ逆さまに那智の滝   吉田眞理子

蓬の芽踏み付け猫の朝帰り    瀬在敏子

火の帯が火の帯を追ふお山焼   石井みさを

春一番菓子の老舗の藍暖簾    加藤啓子

沈むものじつと抱へて冬の水   山崎邦子

をちこちの山霊たたく春疾風   高瀬春遊芝

大仏の螺髪に桜舞うてをり    結城辰雄

陽炎や歌人ゆかりの奈良の宿   福永 紺

 

同人作品も「写生」が優れている作品が多い。

結城氏の作品は「螺髪」が「具象」である。

これが「大仏の頭」あたりでは報告句になってしまうし、なにより「詩」として成立しない。

大野氏の作品も「屋島」を「天の俎」と断じたところに、力強い描写が生まれている。

 

感心したのは岳代表による「作品鑑賞」。

同人一人一人から、必ず一句を取り上げ、懇切に鑑賞、時にはアドバイスを送っている。

鑑賞文の中では、その一句だけではなく、他に1、2句を取り上げて鑑賞している。

代表の、多くの人を育てたい、という熱意を感じた。

 

句集・結社誌を読む12~「浮野」平成30年8月号

「浮野」平成30年8月号

 

「浮野」平成30年8月号

主宰 落合水尾 編集長 龍野 龍

結社誌・月刊・通巻490号・埼玉県加須市・創刊 落合水尾

 

「観照一気」を俳句信条として標榜する。

「観照」とは「本質を究める」ということである。

推測だが、

 

ものの本質、季語の本質などを論理的に考えるのではなく、自己の境涯や知識、感性などをもって、一気に対象に迫る。

 

ということではないか。

落合主宰は、杉田久女と並ぶ近代女流俳句の先駆者、「水明」主宰の長谷川かな女、その義娘で二代目の長谷川秋子を師系とする。

かな女は東京日本橋に生まれ、新宿に暮らしたが、昭和3年の火事で、埼玉県浦和市(現・さいたま市)に移り住んだ。

かな女の、埼玉県の俳壇に及ぼしたものは大きい。

落合主宰は、埼玉県を代表する俳人として、また、かな女、秋子の伝統を受け継ぐ者として活躍している。

 

主宰作品〈無辺集〉より

万緑や師弟の情は句碑に寄る

合歓咲くはいつものところ浮野道

炎天の人間大の古ポスト

麦わら帽利根を見て来るだけのこと

身に触れて去りゆく音を滝といふ

 

数年前、脳梗塞を患ったが、大きな後遺症もなく、元気に復活された。

6月には句碑〈日本の空の長さや鯉のぼり〉が地元・加須市で建立された。

 

落合水尾「浮野」主宰句碑建立

 

水尾主宰の作品はいつ読んでも、地元加須の、広々とした関東平野や利根川から吹いて来る風に満ちている。

「浮野」は結社誌の名だが、加須市にある地名。

いにしえは、利根川の豊かな水ゆえか、野全体がふわふわとしていたのだそうだ。

「浮野」会員作品も、圧倒的に充実した作品が並ぶ。

結社の年輪のような重厚さ、格調がある。

 

同人、会員作品より

梅雨晴れやけふも楽しく終はりたる   梅澤よ志子

閑古鳥渋滞の尾は山を出ず   落合美佐子

水も好き空も大好き鯉のぼり   鎌田洋子

雪渓に佇ちて失ふもののなし   粉川伊賀

動かざることに徹して墓碑灼くる   龍野 龍

今までがありて今ある桜かな    原槙恭子

しだれつつ次の風待つ夕ざくら    折原ゆふな

刻々と明けゆく空や滝桜    舩田千恵康

消さるるも残るも言葉彼岸寒    横田幸子

山笑ふ西も東も天下多事    尾高幸江

海を恋ふごとくせり出す桜かな    武蔵富代

寄せ書きの真中の言葉あたたかし    井上和枝

本堂はしだれ桜の奥の奥    鈴木沙和

春の川曲るに岸を押す力    武笠敏夫

お世辞でなくどの句も素晴らしく感嘆した。

的確な写生と豊かな詩情が見事に融合している。

何度も書くが、かな女以来の伝統の重み、「さきたま」の豊かな風土、そして、落合主宰の行き届いた目を感じた。 

 

句集・結社誌を読む11~「ひまわり」平成30年8月号

 

「ひまわり」昭和30年8月号

「ひまわり」平成30年8月号

主宰 西池冬扇 副主宰 西池みどり

結社誌・月刊・昭和21年創刊、徳島県徳島市、創刊 髙井北杜

 

四国で俳句というと、まず愛媛県松山が思い浮かぶが、徳島もまた俳句の盛んな地である。

「ひまわり」は徳島市に拠点を置く大結社。

徳島でも随一の規模を誇る。

現主宰の西池冬扇氏は、髙井北杜、髙井去私と続き、三代目の主宰。

句作のみならず、評論集も積極的に発表する気鋭の俳人である。

 

まず表2の〈今月のこの一句〉の、

ばりばりと伸ばせば匂う盆提灯   冬扇

に感心した。

その脇に「ひまわり俳句の信条」が記載されている。

 

ひまわり俳句はやさしくて、たのしい庶民の詩である。

俳句のよい伝統をたいせつにしながら、すなおな写生をくりかえして、新鮮な抒情の世界にあそぶ

 

とある。

注目すべきは「庶民の詩」。

「すなおな写生」も「庶民の詩」という信念から派生している。

 

主宰作品「出水」より

風と染め風が抜けたり藍工房

滝とどろとどろとどろと龍棲むと

星星の悲しみことにアンタレス

我が田までうつむき急ぐ出水かな

沈下橋濁流まさに越えんとす

 

先日、西池冬扇主宰、みどり副主宰のお誘いで、徳島の吟行旅行に参加した。

 

まだ徳島にいます~那賀町農村舞台

 

その折の作品があって、実になつかしい。

一句目、〈風と染め…〉の「藍工房」では、私もともに「藍染体験」をした。

「風が抜け」れば、藍染めの布に、蝋で描いた句や絵が鮮やかに浮き上がったことだろう。

実に詩的な一句である。

 

二句目もともに吟行した「大釜の滝」を詠んだものだろう。

「とどろ」のリフレインが、あの滝の豪快さを見事に表現している。

 

副主宰作品「螢舟」より

ほうたるの手に灯りけり

高瀬舟闇よりも船頭黒き蛍舟

鮎焼けりサッカー観戦始まれり

噺家も客も扇子を使いおり

幽霊の噺に笑い転げたり

 

一句目、二句目は「母川」とある。

徳島県海陽町を流れる清流らしい。

船を浮かべての「螢狩」とは実にうらやましい。

こういう句は東京に住んでいては詠めない。

松尾芭蕉の、

 

旅は俳諧の花

 

という言葉を思い出す。

徳島の人にとっては「旅」ではないが、この言葉は、私は、

その地に行かなければ出会えない未知なるものに触れる喜び

を言っているのだと思う。

三句目〈鮎焼けり〉も同様。

サッカー観戦に、焼き鮎が出るなんて、水が豊かな吉野川に住む徳島県ならではの吟である。

 

その他、同人欄、会員欄の感銘句。

黒い顔洗ってばかりかいつぶり   大久保道子

水中花咲かせて水の無表情     森 睦子

巣立ちたるらしい一本の藁残し   木村昌子

蛍火の尽きてターンす屋形船    車田マサ子

追焚きの風呂の煙や栗の花     米本知江

ハンカチに蝋で染め抜く鮎の文字  伊勢則子

山の駅降りて踏みゆく梅雨の霧   多田カオル

流された分だけ戻るアメンボウ   木村 修

桐下駄に残る足跡梅雨入雨     田村寿美

五月晴彼方に宇宙ステーション   富田花野

いつまでも沈まぬ夕日キャベツ畑  寿田淳乃

巻末の「ひまわり支部と句会予告」を見て驚いた。

支部数が66もある。

さらに合同句会、勉強会、講座教室などを合わせると75以上もある。

主宰、副主宰の多忙ぶりが伺えるが、徳島という地の俳句の興隆に欠かせない結社という宿命を担っていることがわかる。