「鳰の子」俳句大会 新谷壯夫『山懐』出版祝賀会

 

「新同人紹介」中央が柴田多鶴子主宰

「鳰の子」俳句大会および新谷壯夫句集『山懐』出版祝賀会が、6月19日(水)11時半より、京都府京都市の新・都ホテルにて開催された。

《主宰挨拶》 柴田多鶴子

《俳句大会》 優秀作品発表、選評、表彰

《乾 杯》  岩出くに男

《同人紹介》 新同人

《句集出版祝賀会》

 祝辞    林 誠司

 花束贈呈

 謝辞    新谷壯夫

俳句大会は「鳰の子」初の試み。

会員より作品を募集。

246句の応募があり、

柴田主宰

林 誠司

新谷壯夫

岩出くに男

岩崎可代子

岸田尚美

春名 勲

本土 彰

師岡洋子

によって選が行われ、

大賞  春光や波止場に世界周遊船   中村金雄

準大賞 やはらかな龍太の手蹟松の芯  松本美佐子

    聖堂に五月の光殉教図     瀬野 浩

    風紋をころがりてゆく春日傘  師岡洋子

など、受賞句が披露され、表彰された。

新谷壯夫氏(右)

「句集出版祝賀会」で、新谷壯夫氏は、句集製作の苦労や喜びを語りつつ、今後の精進を誓った。

句集・結社誌を読む39~「徳島文學」vol2

「徳島文學」vol2

 

「徳島文學」vol2

編集兼発行者 佐々木義登  発行所 徳島文學協会  定価1500円+税

徳島から発信、自由で新しい文芸誌のカタチ

 

年1回刊行の文芸誌。

徳島文學協会が昨年、創刊し、今年、第二号を刊行した。

地方の同人雑誌と商業文芸雑誌の長所を融合させる試みにこだわっている。

と編集後記にある。

また、原稿募集の欄では、

地方の文芸誌としては類を見ない商業雑誌に匹敵するクオリティの雑誌を目指す。

とある。

俳句の世界だけを見てもわかるように、俳句商業誌を発行する出版社はすべて「東京」にある。

日本人は「ブランド好き」…、「首都」から刊行というだけで、ランクが一つ…いや、とてつもなく上がるのである。

私も昨年まで東京の俳句商業誌を発行する出版社にいて、そういうことは何回か話題に上ったことがある。

いい悪いではなく、それが現実である。

「徳島文學」は、そういった偏見を打ち破り、それぞれの地が文化や芸術、文学の華を咲かせることを目的ともしているだろう。

誌面だが、

青来有一

藤野可織

小山田浩子

という芥川賞受賞作家が小説を発表している。

一方、招待枠以外は、徳島文學協会会員の応募原稿を審査し、掲載している。

また、小説だけではなく、短歌、俳句、エッセイ、書評も掲載している。

感銘した俳句作品を以下に、

 

涼野海音「信長忌」

スリッパの奥まで光雛の家

剪定の一枝の先の太平洋

オルガンの蓋へ落ちゆく紙風船

花束のやうに猫の子抱きあぐる

海鳥の声散りゆけりソーダ水

「蠅の王」棚に古りたる登山宿

海の日や炎の色のソーセージ

 

原 英「野末」

落ちそうな瓦落ちるや秋の蝶

雨降れば流れるところ祈り虫

底紅の底から濡れてくる花弁

雨の月鉄塔深く刺さりけり

野の音の一つ二つは吾亦紅

秋水や着弾地点何も無し

 

魚井遊羽「冬桜」

寒紅やふつうの日々に足す光

十二月ちいさくなつてゆく強気

吸ふ息をまつすぐ落とし初硯

 

地方発の文芸誌を読む機会は時折あるが、感じるのは「地方発」ということをあまりに意識し過ぎるきらいがある。

俳句で言えばやたら地名を多用したり、田舎のいい風景を詠いあげたりする。

徳島であれば「鳴門の渦潮」だったり「阿波踊り」だったり、山形であれば「月山」だったり「最上川」だったりする。

ただ、そういったものが強調され過ぎて、読む者としては、それが「押しつけ」…、なんとなく「どうだ! ここはいいところだろ!」「ここの俳句だって捨てたもんじゃないだろ!」とぐんぐん迫ってくる感じがあり、やや食傷気味になることがある。

その風土詠に斬新さや新しい試みが感じられればいいのだが、過去の「枠」から出ていないように、生意気ながらも感じることが多い。

「徳島文學」のいくつかの作品を読むと、そういったことはあまり意識されていない。

俳句作品を見ても「徳島ならでは」「四国ならでは」「地方ならでは」などという意識は薄く、日常や生活、身の回りの風景を気負いなく表現している。

簡単に言えば純粋に「文学の質」を追い求めている。

私もそのほうがいいと思う。

また、三氏の俳句作品も「詩」を強く意識しているようにも思える。

もちろんれっきとした「俳句」ではあるが、いわゆる「風土」「自然」とか「歴史」とかを根本にするのではなく、「詩」であることを中心に据えている感じがする。

 

最近の「俳句」の世界は、短歌、川柳、小説など他のジャンルを意識することはない。

しかし、近代俳句史を見れば、俳句の特筆すべき運動には、小説や詩、短歌などから強く刺激を受けてきたのは明白だ。

正岡子規の俳句革新運動は西洋文学や西洋美術を強く意識している。

河東碧梧桐の新傾向俳句運動や荻原井泉水の自由律俳句は新体詩を念頭に置いている。

水原秋桜子、山口誓子の新興俳句運動は短歌革新運動を模範する一面が多々あった。

また、加藤楸邨の提唱した「真実感合」などは、歌人・斎藤茂吉の「実相観入」の影響があると考える。

そういう意味では、この「徳島文學」は地方文芸の再生とともに、他文芸との障壁なき交流によって、新しい俳句の萌芽となることをも期待出来るであろう。

 

句集・結社誌を読む38~「汀」2019年3月号

「汀」2019年3月号

「汀」2019年3月号

主宰:井上弘美(いのうえ・ひろみ) 編集長:奥村和廣

結社誌・月刊・創刊平成24年・東京都渋谷区・創刊 井上弘美

 

先日、俳人協会総会の懇親会会場で石井隆司(いしい・たかし)さんにお会いした。

石井さんはKADOKAWAに勤務し、長年「俳句研究」編集長を務めた方で、今もKADOKAWAで俳句関連書籍の編集者として活躍されている。

私がもっとも尊敬する俳句編集者で、「兄貴分」のような気分でいつも彼を見ている。

その時、井上弘美さんの主宰誌「汀」で連載を執筆されていることを知った。

「まあ、回顧録のようなものだよ」

と言っておられた。

ぜひ読んでみたい、と思ったら、数分もせず、会場で井上さんをお見かけしたので、早速お願いした。

井上さんは、それでは…、と執筆第一回目が掲載されている2019年1月号から送ってくださった。

石井さんの連載は、実は、私が「俳句界」編集長の時、狙っていた企画だったが、ライバル会社の編集者ということもあり、許可が下りず実現できなかった。

昭和後期から現代にかけてもっとも多くの俳人と交友を持ったのが石井さんである。

どこかで、そういった記録や文章を残すのは大事なことだと思っていた。

今回、それを実現したのが井上さんであり、俳人としてだけでなく、結社誌編集という点でも、その慧眼と手腕に感嘆した。

 

実際「汀」を開いてみると、その編集の充実ぶりに誰もが舌を巻くことだろう。

なんと、石井さんの他に、堀切実(ほりきり・みのる)さんの連載もある。

堀切実さんは早稲田大学名誉教授で、俳諧研究の第一人者。

最近は、芭蕉の俳句理論を発展させた、近現代俳句評論を展開をされ、現代俳句協会の現代俳句大賞も受賞されている。

このお二人の連載だけでも俳句総合誌に匹敵する充実さである。

 

「汀」の連載内容を以下に。

「最短詩方随想」     堀切 実

「民族のことばと季語と」 伊藤高雄

「今月の京都」      田中博一

「烏兎忽忽」       石井隆司

「ふるさとの季語」    大岡弘明

「染織歳時記」      星野将江

「今月出合った句集」   土方公二

「読書ガイド」      市村和湖

「汀の理科室」      横瀬恒夫

「青汀素描」       川崎清明

「汀素描」        真隅素子

「文語文法レクチャールーム」  岡村美江

「響素描」        鈴木禮子

「光汀抄を読む」     井上弘美

「俳句表現レッスン室」  井上弘美

「推敲のエチュード」   伊藤旺子、井上弘美

他の結社誌と比べ、アカデミックで、精密な編集姿勢を感じる。

私も総合誌編集をしていたのでわかる。

流れ作業のように、枠にはめ込めば完成できるような雑誌ではない。

編集スタッフの充実した仕事ぶりがなければ成り立たない雑誌である。

もちろん、それは井上さんの俳人として魅力や指導力、カリスマ性があるからだろう。

 

すなどれる神のみづうみ寒蜆     井上弘美

羚羊の総身風の突端に

北山の白たくはふる鬼やらひ

幾重にも折り山のあり懸想文

寒明くる冥途通ひの井水かな

井戸涸れてその底よりの海の声    森 ちづる

追ひつけぬ独走を追ひラガーなる   湯口昌彦

風色に枯るる柳や瞥女の墓      井澤秀峰

山彦につづく湖彦白障子       守屋井蛙

 

主宰作品、幹部同人欄であろう「白汀集」より引いた。

 

さすがは(石田)波郷系! 

 

と声を出したくなるほど、二句一章が鮮やかである。

また、平明な言葉、なにげない風景に「詩」を見い出すのは、同じく師系と掲げている綾部仁喜氏の流れも感じる。

綾部さんは、私の師・吉田鴻司と同じ年に、ともに俳人協会賞を受賞した方である。

その時、広く紹介されていた、

 

白玉の器の下が濡れにけり     仁喜

 

という作品に、俳句を始めて数年だった私はびっくりした。

「こんなことが俳句になるのか」という驚きと、その淡々とした表現手法に驚いたのである。

「汀」の秀句の数々を見て、ふと、そのことが懐かしく思い出された

 

今、井上さんは俳壇をリードする存在だが、その結社内にもすでに多くの優れた人材が登場していることも知った。

そして、何度も書くが、その編集のすばらしさに感嘆した。

名編集者であることは間違いない。

あまり指摘されていないが、高浜虚子は、私は優れた俳人であったのと同時に、その時代を代表する「編集者」であった、と考えている。

(その根拠は長くなるのでここで書くのはやめておく。)

いい人材を育てるには、主宰者の俳人としての実力、鑑賞者・選者としての実力もあるが、ひょっとしたら「編集」の力も案外大きいのではないか、と「汀」を読んで、ふと、考えた。

句集・結社誌を読む37 ~『いくらかかった『奥の細道』』

いくらかかった『奥の細道』-『曽良旅日記』を読む―

 

『いくらかかった『奥の細道』』-『曽良旅日記』を読む―

著者 戸恒 東人(とつね・はるひと) 矍峰書房学術文庫

 

 

句集や結社誌ではないが、俳句(俳諧)に関する一冊を今回は紹介したい。

 

「おくのほそ道」にはさまざまな「謎」がある。

その一つに、

 

旅費をどうやって調達したのか?

 

というのがある。

「おくのほそ道」歩行距離は約2,400キロ、日数は150日…およそ5ヶ月に亘る旅である。

結構な金額が必要だった、はずである。

有力な意見が、

 

深川芭蕉庵の売却費

句会の謝礼

餞別

 

などが推測出来る。

ただ、現代に生きるわれわれには当時のお金の基準がわからないから、どうも確信が持てない。

例えば、「芭蕉庵売却」を考えても、今なら江東区深川の…仮に30坪だとして、売却すれば何千万円は手に入っただろう。

が、当時は今ほど「土地代」というのは重要視されていないので、そんなに手に入ったとは思えない。

当時の俳句(連句)指導謝礼の相場もわからない。

また、旅の途中においても、「おくのほそ道」を読む限り、「そろそろ旅費が尽きて来た」とか、「〇〇さんにたくさん謝礼を貰った」とか、そういう記述はない。

「曽良旅日記」も同様である。

 

この著作は文字通り、

 

奥の細道の旅はどれくらいお金がかかったか?

 

という「謎」に挑んでいるのが面白いし、「芭蕉ファン」なら誰もが読んでみたくなる本である。

 

著者は俳人、戸恒東人氏。

この方は俳人であると同時に、経済のスペシャリストでもある。

略歴を以下に。

昭和20年 茨城県生まれ

東京大学法学部卒

「春月」主宰

元・大蔵省造幣局長

帝京大学経済学部教授

前・俳人協会理事長

「俳句」にも「経済」にも造詣が深い方が執筆しているだけに説得力がある。

 

さて、「帯」にすでに書かれているが、戸恒さんは総額170万円だった、と推測する。

さすがは経済の専門家で、古い文献などを元に、

 

宿代の相場

渡し賃の相場

社寺への寄進料の相場

当時の貨幣基準

 

などを研究し、「曽良随行日記」の記述を元に、一日一日の金額を算出している。

1両は今の価値でいくらか、

1分はいくらか、

1文はいくらか、

 

こういったことは俳人の見地だけではなかなかわからないものである。

戸恒さんの説には、上記のような具体的な根拠があるので、読んでいて説得力がある。

あくまで推量であり、決定的な結論とはいかないだろうが、当たらずとも遠からずの観がした。

俳句だけではなく、当時の貨幣や経済を知る上でも勉強になる一冊である。

 

 

 

句集・結社誌を読む36 ~「コトリ」第4号

「コトリ」第4号

 

 

「コトリ」第4号(通巻4号)

編集発行人 福島たけし 

会誌・月刊・創刊2018年・神奈川県横浜市・創刊 福島たけし

 

昨年刊行を始めた、まだ初々しい会の会報であるが、運営する福島たけしさん自身は長年のキャリアを持つ実力俳人。

略歴を以下に。

1951年東京都生まれ。

森澄雄、小林康治に実作を学び、俳文学者・中村俊定の薫陶を受ける。

小林康治の「林」創刊より参加、終刊まで同人、康治没年まで師事。

俳人協会、俳文学会会員。

句集に『樹影』『江南』『街道』。

1991年より1993年まで中国派遣教師として南京大学で日本語の指導にあたる。

元神奈川県公立学校教員。

2011年二條淳誠師の下で得度。

「コトリ」ホームページより

 

小林康治は石田波郷「鶴」の高弟で、波郷の韻文精神を継承した俳人。

森澄雄は加藤楸邨門だが、生涯、波郷を敬愛した俳人である。

福島さんも、波郷、康治、澄雄の目指した俳句の「韻文性」を追求している。

 

また、俳文学にも精通し、教員、僧侶でもあり、中国で日本語教育に尽力し、山登りを楽しむ…、と多彩な才能と経歴を持つ人である。

福島さんとは旧知の仲で、先日、お話をする機会があり、

俳句の伝統を守り、新しい人材を育てたい

という思いから、コトリ句会を始め、会誌を発行した、とお聞きした。

 

【巻頭作品】~福島たけし「初天神」

学業に励めと小雪初天神

紅梅のあと一押しで咲きさうな

紅梅の早くも開く小雪中

【1月の俳句】より

シャッター街店の奥なる鏡餅     荒川洋子

割烹着つかんで神楽に泣く子かな   五十嵐智子

小さき鵜の五六羽遊ぶ流れかな    松田和枝

朱の橋を渡り年賀の人となる     冨沢晴風

モノレールが砕く凍空の破片     長井直子

六地蔵抜け道に入り冬温し      峪口教和

風荒らし風花光り歩みゆく      齊藤里恵

蕗の薹名前大きく書き始む      枡田重則

のどけしや点前稽古の女子学生    荒川洋子

三浦道あの家この家の大根干し    福島たけし

 

「三浦道」の句は、三浦半島の冬の風景を詠んだもので、地元の私には親しく感じられる。

冬になると、三浦半島では至る所で大根干しが始まる。

その風景は圧巻で一見の価値がある。

 

ブログ~俳句オデッセイ「いい海に大根干し」

 

「初心の方が多い」と話されていたが、初心者にありがちな、感情ばかりが先走る作品が眼につかないのは福島さんの指導の賜物だろう。

どの作品にも「丁寧な写生」を念頭に置いた作句姿勢を感じる。

荒川さんの「店の奥」、五十嵐さんの「割烹着つかんで」、長井さんの「砕く」などがそうである。

写生とはある意味「具象的表現」とも言える。

簡単に言えば、具体的である、ということ。

それが、読者に鮮やかな「風景」「映像」を喚起させるのである。

 

会誌には、

言葉の花束

穴山だより

『歳時記』の使い方

季節の彩り

など、エッセイも掲載されているが、俳句、季語に関するものが多く、読んでいて勉強になる。

以前にも書いたが、俳句の興隆に於いて、大結社の登場ということも必要ではあるが、それより、「庶民の文芸」として、地域の仲間が集まり、俳句に親しむという文化の創造が何より必要だと考える。

「コトリ」はその一助を担っている。

今後の展開を期待したい。

 

 

句集・結社誌を読む35~「あだち野」2018年アンソロジー

「あだち野」2018年アンソロジー

 

 

「あだち野」2018年アンソロジー(通巻40号)

主宰 一枝 伸 編集 矢作十志夫

結社誌・年刊・創刊1997年・東京都足立区・創刊 一枝 伸

 

「俳句は発見であり、感動の表現である」を標榜する。

 

一枝主宰のもと、編集のプロであり、俳人としても活躍する矢作氏が編集を務める。

年一回の刊行とし「アンソロジー」という形式を取る。

こういう結社誌を手にすると、苦労しながら「月刊」を維持し続けている結社誌の問題を考える。

いまや何千人を誇る結社はおそらく「1ケタ」しか存在しない。

それはそのまま結社の経済力、経営力の衰退を意味する。

また、多くの結社の編集部も高齢化している。

わずかの人数が、ほとんど無償で編集をしている。

かなり無理がある、と断言していい。

それだけに結社誌の内容もはっきり言えば薄い。

結社が相次ぎ廃刊しているのは、そういう事情もある。

 

「あだち野」誌面を見ると、もちろん、編集のプロの矢作さんが手がけているから、ということもあるが、一年をかけてじっくり取り組んでいるだけあり、誌面も充実している。

 

【異論俳論】 一枝 伸

【葦立集】 一枝 伸

【巻頭随筆】 角谷昌子、金子 敦、林 誠司

特別企画【「俳枕」を訪ねて(2012年~2017年)】

【2018年作品集】 花王集 白梅集

【主宰の一句】

【季語の周辺】 矢作十志夫

【2018年「主宰特選句一覧」】

【寒行集】(年間秀逸句)

【俳句と写真で見る「あだち野」の一年】

【秀句鑑賞】 松木靖夫 他

【あだち野悠々】

【吟行レポート】 初大師吟行、牡丹吟行、小石川後楽園吟行、東京大学吟行

【トピックス】

【「あだち野」関連記事一覧】

【アンソロジー・バックナンバー一覧】

【あだち野俳句会・句会場一覧】

 

と実にきめこまかい。

写真もふんだんに使っていて、見る楽しさもある。

これらは昨今の、他の結社誌には見られないものである。

年刊とまではいかないが、多くの結社誌も参考にして、ムリのない発行を考えてもいいのではないか、そのほうが結社の「寿命」も延びるし、誌面も充実するのではないか、と考える。

 

【葦立集】(主宰作品より)

あちこちに落葉を溜めて鎮守さま

寸ほどの枝の先より寒桜

境内の奥よりきこゆ春の滝

公園の端から端まで花吹雪

風の日の牡丹に深く竹を差す

 

少し大げさだが「言霊」ということを感じる。

「鎮守さま」の句である。

これを、

 

あちこちに落葉を溜めて八幡社

 

では陳腐極まりない。

「鎮守さま」という「言葉」に作者の親しみの思いが籠もっている。

おそらく、そこは作者の「産土」であり、子供のころから見守ってくれていたのだ、という親しみが込められている。

「様」ではなく「さま」としたのにも「親しみ」がある。

この「鎮守さま」という下五の言葉で一句が上等なものになった。

一枝さんの作品にはそういうものがある。

 

【会員作品より】

片付けてしまふは惜しき鰯雲   松木靖夫

切り通し越えれば天城夏はじまる   水本ひろ人

空蝉をくしやりと潰す猫パンチ   西川政春

腰すゑて釣を見てゐる薄暑かな   村井栄子

缶蹴りの缶の凹みや梅雨に入る   河合信子

しんがりに産まれし子猫もらひけり   二瓶里子

次の世をみてきたばかり冬の蝶   菅沼里江

病葉をリュックに付けて帰り来ぬ   小松トミ子

誘はれてゐる食事会春浅し   尾形けい子

うららかやあまり物事考へず   天野みつ子

天高し化粧なほしのレストラン   石田むつき

順調に老ゆるいちにち冷奴   澁谷 遥

釣舟のただある沼の秋夕焼   伊藤弘子

一句にも筋力つけたし二月尽   竹内祥子

雪だるまさうは見えねど雪だるま   岡田みさ子

塩地蔵等身大の赤マント   越川てる子

説明書とばして読んで日の永し   田ケ谷房子

観覧車はるかに広がる春田かな   國井京子

あかあかと山の頂ななかまど   三浦恒子

静けさを指にくはへて昼寝の子   矢作十志夫

虫干しは昔をしのぶ袴かな   田ケ谷保二

文月や短冊の字に風流る   五十君與志子

原節子偲んで歩く冬の海   渡辺 徹

名も知らぬ五重の塔の夕霞   田口 修

風鈴や無風の中に経の声   佐藤やよい

自転車の籠の中から千住葱   吉村すみえ

花便りピンクに染まる日本地図   水谷義江

豊の秋生あるものの淫らなる   高野敏男

 

はばかりながら、私も巻頭エッセイを執筆している。

「俳句は庶民の詩」という主旨のことを書いた。

 

 

 

 

 

句集・結社誌を読む34~「白鳥」第50号

「白鳥」第50号

 

「白鳥」第50号

主宰 髙松文月  編集 関口鉄人

結社誌・季刊・創刊平成18年・埼玉県さいたま市・創刊 髙松文月

 

通巻50号を迎えた。

「人間や自然そしてもう一人の自分との出会いを大切に、客観的表現を目指す」を理念とする。

 

結社名は「白鳥」、主宰の句集も「白鳥」。

巻頭エッセイを読むと、文月主宰は白鳥を見たくて新潟まで出かけた、と書いてある。

「白鳥」の姿に、自身の、結社の目指す詩歌の美の象徴を見ているようである。

 

主宰作品「花野」より

花野までリフトに二人きりの空

月光を容れ深まりぬ湖の黙

白鳥のほかは愛すること知らず

 

とくに「白鳥」の句がいい。

「白鳥」への愛着がよく伝わって来る。

 

会員作品より

ペンギンの踵滑りよ秋の水    東城 伸吉

寝ていれば顔切りに来る冬の鵙  奥山 雷火

盆提灯点せば故人居るごとし   佐藤 義雄

出張はいつも寝台赤とんぼ    関口 鉄人

夢にゐる花野の中の人は誰    橋本 永子

あぜ道を一筆書きに曼珠沙華   羽鳥 たま江

手の甲の太き静脈秋暑し     水川 聖子

水仙に拡がる海の怒濤かな    中山 一路

揺れ合うて花野の風は四方より  加藤 節子

紅葉の中に溶け行く車椅子    武井 猛

登りきて一望千里大花野     杉山 弘詩

 

「文月俳句拝見」(「白鳥」第49号より)を山口素基氏が担当。

「エッセイ~郷関徒然」では、中山一路氏が、奈良の「お水取り」について執筆。

私も奈良のお水取りはよく通ったので、興味深い。

「新刊紹介」では文月主宰が、大牧広「港」主宰の句集『朝の森』を鑑賞している。

その他にたくさんの連載、吟行記事などが掲載されて「全員参加」の活気を感じる雑誌である。

 

 

句集・結社誌を読む33~「ひろそ火」2019年1月号

「ひろそ火」2019年1月号

 

「ひろそ火」2019年1月号

主宰 木暮陶句郎 編集委員 清水 檀、星野裕子、杉山香織

結社誌・月刊・創刊2011年・群馬県渋川市伊香保・創刊 木暮陶句郎

 

今年で通巻100号を迎え、5月には祝賀会が開催される。

木暮主宰は昭和36年生まれ、群馬県渋川市伊香保在住。

木暮主宰の俳壇デビューは衝撃的だった。

平成10年、日本伝統俳句協会賞、花鳥諷詠賞を同時受賞して、颯爽と現れた。

俳句を始め、わずか5年である。

日本伝統俳句協会賞は日本伝統俳句協会会員を対象とした賞だが、一般的に協会所属の有名俳人、ベテラン俳人が受賞する賞である。

新人には「新人賞」がある。

その新人賞を飛び越し、若手で、主宰でもない木暮氏が受賞した。

そのことは多くの新聞の俳句欄で取り上げられた。

また、氏は日展にも作品を出品する著名な陶芸家でもある。

定期的(?)に高島屋などで個展を開催している。

地元に窯元を構え「伊香保焼」を創始した。

彼は地元・伊香保の榛名湖を愛した竹下夢二を記念した竹久夢二全国俳句大会を開催するなど、地元の俳句に貢献している。

この大会には私も何度も招待され、楽しい思い出がある。

 

【主宰作品「瑞験」】より

火の匂ひ混じりて夜の神渡

寒禽の翼を試すごとく飛ぶ

短日や句座を重ねるペンの先

寒風に銀の炎を立てて湖

まだ誰も知らざる未来暦売

 

うわついていない「美の世界」がある。

現代俳句は「おきれいな言葉」で「おきれいな世界」を詠う。

しかし、そのことにほとんど俳句に於いて意味はない。

木暮主宰の「美」はそういうものではない。

水の匂い、風の匂い、山の匂い…、がする。

彼が「陶芸家」だから…、と結論付けることもできるが、きっと、そんな単純なことでもあるまい。

彼自身が持っている感性がそうであり、むしろそれゆえ「陶芸」の道をえらんだのかもしれない。

「火の匂ひ」「寒風に」は特に秀抜で、彼の作品の特徴がよく表れている。

火や風の匂いがする。

ただ、それを「風土俳句」という「土臭い」ものとせず、美に昇華する。

大げさに言えば、美の観念、情念で燃やす、と言ってもいい。

 

【会員作品】より

少年の細き手首や山ぶだう   峯岸俊江

酔ひきれぬ芙蓉一輪夜の雨   ななさと紅緒

十峰の藍を画布とし稲雀    茂木妃流

草虱払ひぬ嫌なものは嫌    佐藤志乃

黄落の始まついてゐし句碑の丘 砂子間佳子

ため息のどこかで秋の風となる 星野裕子

しみじみと十指の皺に秋の風  松本余一

新宿に魔女の帽子を買つて秋  中野千秋

シャトルバス乗ればすぐ着く露の宿 大河原紀子

てのひらへ燃え移りたる色葉かな  須藤恵美子

 

さきほど述べた木暮主宰の特徴と共通している。

これは結社として「喜ばしい」ことである。

 

俳句とは関係ないが、旧知の中野千秋さんが「LOVE歳時記」というエッセイを連載している。

そこで「カード情報」が盗まれて不正流用されていた、という経験談が書かれていた。

今や私もあらゆることが「カード決済」で、読んでいて、ちょっと「ぞっ」とした。

 

「ひろそ火」の活動拠点は木暮主宰の地元、群馬県伊香保だが、主宰の巻頭言で、昨年、東京支部が発足したことを知った。

「ひろそ火」全国進出への足がかりができました。

これからは各地に散らばるひろそ火会員を核として次々に支部を立ち上げてゆきたいと思います。

とある。

今は、さまざまなことから、かつての何千人、かつての「ホトトギス」のように何万人という「大結社」はおそらくできないと思う。

それは俳人の力というよりも、時代である。

今や結社は細分化し、1000近い結社(同人誌を含む)が全国にある。

正直に言えば、さほどの実力者でない人も主宰になれる時代だ。

それは自由な時代の象徴でもあるが、俳壇の発展としては必ずしもいいことではない。

木暮氏のような実力俳人が、全国展開を視野に入れているということは、「ひろそ火」のみならず俳壇にとってもよいことである。

 

「ひろそ火」は(私の記憶では…)創刊以来、表紙が「火」をテーマにしている。

「ひろそ火」は哲学(philosophy)を意識したものだとも言う。

一見しただけで、主宰はじめ会員の俳句にかける情熱を感じる。

句集・結社誌を読む32~山田牧『星屑珈琲店』

山田 牧句集『星屑珈琲店』

 

 

著者:山田 牧(やまだ・ぼく)

句集名:星屑珈琲店(ほしくずこーひーてん)

第一句集 ふらんす堂 2018年9月18日

 

オクラ切るこちら流星製作所

 

「未来図」同人の第一句集。

 

昭和47年 東京生まれ

平成19年 宵待屋珈琲店開業

平成22年 お客様の勧めで作句を始める

平成24年 「未来図」入会

平成26年 「未来図」新人賞

平成27年 「未来図」同人

 

略歴にある通り、句集名と同じ、珈琲店を東京都杉並区荻窪で営んでいる。

この珈琲店には私もよくお邪魔させていただいている。

鍵和田「未来図」主宰が序文を書いている。

 

山田さんは珈琲店「宵待屋」を営んでおられる。

(中略)

牧さんは穏やかで明るく、包容力の豊かな人柄である。

働き疲れた夕方の人々にとって、ゆっくりくつろげる巣のような存在であるに違いない。

 

と書かれているが、まさしくその通りで、私は荻窪の句会のあと、ここで談笑の時間を楽しませてもらっている。

 

中央線次は荻窪いわし雲

エプロンをはづしてよりの春の宵

鳥かごは空つぽ星の冴ゆるなり

ぎつしりと人積む電車冬銀河

 

このような句に出会うと、いつも通る荻窪界隈の風景と、宵待屋の路地がありありと浮かんでくる。

ただ、彼女の作品の魅力は日常詠というより、しなやかな感性から展開される、ロマンの世界にあるだろう。

上記の作品も、単なる生活詠、日常詠ではなく、日常から詩の世界、ロマンの世界へと大きく展開されている。

 

家を出て爪の先まで恋の猫

葉桜の下にはじまる紙芝居

一枚の大地の呼吸麦の秋

どの星を連れて帰らう釣忍

ハンモック自分のかたち置忘れ

 

跋文を担当した、角谷昌子さんは、

 

空想の翼をいっぱいに広げて自由に宇宙まで飛んでゆく。

 

と評していて、この一言が、この句集の特徴をよくとらえている。

この句集を読み終え、荻窪の路地にたたずむ宵街珈琲店に向かえば、なにか、自分も「詩の世界の人」になったかのような気分になる。

句集・結社誌を読む31~齊藤保志『花投ぐ日』

齊藤保志句集『花投ぐ日』

著者:齊藤 保志(さいとう・ほし)

句集名:花投ぐ日(はななぐひ)

第一句集 コールサック社 2018年6月24日

 

濡れしまま海をのぼれる初日かな

 

1942年 東京生まれ、すぐ父母の郷里である福井県に疎開

2008年 サラリーマン生活を卒業後、明治大学俳句大学入学、以後沢山の方の句会に参加。

東京都杉並区在住。

 

秀句揃いの句集である。

 

残照に雪燃ゆ如き祖国かな

潮風のまづくぐりゆく茅の輪かな

海原になむあみだぶつ夏落暉

冬天に鳶の呉れたる二重丸

蝉生れて七日ほどなる大宇宙

江ノ電を大きく揺らす日焼の子

大鷹の闘ふ前はしづかなり

我なりにまつすぐ来たとかたつむり

虎が雨父の眠りし島を見ず

満月のひかりの音か五十鈴川

終戦日海の底よりあまたの眼

父は吾を肩車して終戦日

冬銀河被りて佐渡の深眠り

軽鳧の子の眼ひらきて母追へり

熱燗の魂のすきまを落ちゆけり

九頭竜川のはるけき蛇行風光る

 

一集を貫いている主情は、幼児期を過ごした福井という産土の讃歌、フィリピンで戦死した父、ともに生きた肉親へのせつせつたる思いであろう。

一句の呼吸がちまちまとしておらず、深く、大きい。

それが一句の深さ、大きさへとつながっている。

すべてが自然詠であり、人生詠なのである。

つまり、詠っている対象は「自然」であっても、その奥底には、必ず作者の複雑な感情が沈殿している。

 

実は、この作者とは句座をともにする仲間である。

その実力にはつねづね舌を巻いていた。

この一集には、その実力が遺憾なく発揮されている。

句友のよしみで、あえて言えば、初期作品はややオーソドックスに終始していて面白みがない。

この部分は厳選したほうがさらによかったと思う。

読み進むほどに詩的迫力のある作品、或いは詩的展開の大きい作品が満ちている。

それにしても〈軽鳧の子の〉に見られる写生の確かさ、〈終戦日〉の句に見る詩的観念の構築力、〈満月の〉に見られる清冽なロマンなどなど…どれも非の打ちどころのない、豊かな力量を感じる。

ぜひ読んでいただきたい句集である。