渡邉美保『櫛買ひに』が京都新聞で紹介されました。

京都新聞「詩歌の本棚」彌榮 浩樹~2019・4・16

 

『櫛買ひに』(俳句アトラス)は渡邉美保の第一句集。

平成20年~平成30年までの句を収録。

 

えごの花水面に鯉の口動く

鯉の背の藻を引いてゐる盆の雨

鳬(けり)鳴いて行き所なき田水かな

 

平凡な景が、巧みな措辞によって肉感的ドラマを醸す。

季語の取り合わせが、新鮮。

 

冬ざるるもの青鷺の飾り羽

如月の渚泡立つところまで

 

美と惨との意外な融合だが、腑に落ちる。

シンプルでいて複雑な、俳句固有の味。

 

秋の暮チューブ引き出す自転車屋

 

無機質な「チューブ」が季語「秋の暮」の情趣を纏い、切なさがほんのりと漂う。

 

蓑虫の貌出し竜巻注意報

龍淵に潜む卵の特売日

金色のさなぎ吊るしてクリスマス

 

大胆な組み合わせに驚かされつつ、深く納得。

中でもこの「蓑虫」は、実に魅力的。

 

炭酸水微炭酸水雲の峰

 

典型的な夏の景だが、「炭酸水」「微炭酸水」のリフレインの微妙な変奏、「雲の峰」の開放的量感への飛躍が、読者の身体に響く。

韻文の妙味。

1947年熊本県天草市生まれ。

兵庫県伊丹市在住。

「香天」同人。

「とんぼり句会」所属。

菊地悠太(「河」同人)句集『BARの椅子』出来ました!

 

菊地悠太句集『BARの椅子』

『BARの椅子』(バーのいす)

著者:菊地  悠太(きくち・ゆうた)  「河」銀河集同人

 

去年の灯を見てゐる今年の橋にゐる

菊地悠太の作品は全てが佳吟。

実にインパクトのある表現で、現代の世相を見事に活写してみせた。

―角川春樹「河」主宰―

 

【収録作品】より

三月の沖の彼方にある時間

遠き日の遠き枯野の駅にをり

橋に降る雨を見てゐる立夏かな

寒明けや秩父に兜太の空のあり

まだ月の残る朝あり臘八会

しぐるるや未完の沖に未完の詩

けふ生きてけふ流れゆく夕立かな

まぼろしを追ふまぼろしや酔芙蓉

寒椿我が詩の道は此処にあり

初雁の空の沖にも空のあり

 

【著者略歴】

昭和59年6月12日 千葉県船橋市生まれ

大学時代 古閑博美顧問、佐川広治氏指導の下、俳句を始める

平成19年 「河」入会 角川春樹に師事

平成24年 「河」新人賞受賞

平成25年 「河」河賞受賞、第34回角川春樹賞受賞

平成26年   第13回銀河賞受賞

 

千葉県船橋市在住

 

「河」無監査同人 「河」運営委員

「河」各賞選考委員 「河」東京中央支部支部長

俳人協会会員

 

中野貴美句集『葛の花』が「雲の峰」3月号で紹介されました!

「句集・著作紹介」~「雲の峰」3月号

 

著者は昭和12年徳島県阿波市生まれ。

平成10年「青海波」入会、斎藤梅子先生、船越淑子先生に師事。

17年「青海波」同人。

22年句集『神楽笛』上梓。

現在、現代俳句協会会員、日本俳人クラブ会員、徳島ペンクラブ会員。

本著は「傘寿を迎えるに当たり」刊行する著者の第二句集である。

船越淑子「青海波」主宰が指導、選句され懇切な序を寄せられている。

同じく船越主宰による帯に、

 

初春の神鼓の渡る山河かな

 

「作者は、俳句は歴史、風土と共にある文芸であることを弁えている。句集『葛の花』は俳句の真髄を心得、一段と表現力に磨きがかかった充実の作品群である。」

とある。

以下、序に抄出の作品より

 

畑中の道は宮へと秋桜

貝塚の深さは知らず鵙猛る

一掬の水なまぬるき広島忌

うれしいときうれしいやうにさくらさく

こほろぎや夫の切らせぬ長寿眉

 

一人の俳人を立体化する如き序と相俟って著者の為人が彷彿とする句集である。

―西田 洋―

渡邉美保句集『櫛買ひに』が「雲の峰」3月号で紹介されました!

「句集・著作紹介」~「雲の峰」3月号

 

著者は1948年熊本県天草生まれ。

2000年柿衞文庫也雲軒俳句塾にて作句開始。

03年「火星」入会(のち退会)、13年「とんぼり句会」参加。

14年俳壇賞受賞。

17年「香天」入会。

岡田耕治「香天」代表は帯文で

 

けむり茸踏んで花野のど真ん中

 

「渡邉美保さんが切り取った風物、それぞれに息を鎮めて立ち会うと、生きることのかなしみは生きることのよろこびだと思えてくる。」

との言葉で称える。

本書は第一句集にして自選句集という。

「主宰や代表の選を仰いで纏めることが多いなか、潔いことである。」

と、ふけとしこ氏は序に記す。

跋では内田美紗氏が著者の進化に期待を寄せる。

自選句より

土に釘つきさす遊び桃の花

薪積む十一月の明るさに

すかんぽの中のすつぱき空気かな

烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに

海鳴りや布団の中にある昔

蓬莱や海ひろびろと明けきたる

実在写生と観念写生を自在に行き来する芯の強さを内在した句集である。

―小林伊久子―

 

 

成瀨喜代(「蘭」同人)句集『東路』出来ました!

成瀨喜代句集『東路』

 

『東路』(あづまぢ)

著者:成瀨 喜代(なるせ・きよ)  「蘭」同人

 

雪道を誰やら搔きてくれたらし

 

成瀨喜代さんは「蘭」最古参のお一人である。

永い人生の悲喜こもごもを前向きにとらえた「生のあかし」が、ここに永遠にとどめられたことを心より喜びたい。

―松浦加古「蘭」名誉主宰―

 

【収録作品より】

わが髪もしだれさくらも風の中

灯台は女神のすがた春光る

声とどく距離に夫ゐる茸採り

利根川を去るきつかけの嚏かな

白鳥引く藍の深きを湖に置き

われに添ふ師の影さくら咲きてより

亡き夫に謝すことばかり天の川

障子貼りこの明るさに一人棲む

待つといふ心の張りや牡丹の芽

影もまた匂うてをりぬ梅林

身に入むやおはすごと置く男靴

二度訣かるる思ひに捨つる白絣

星月夜あふぎ逢ひたき人あまた

 

【著者略歴】

成瀨 喜代(なるせ・きよ)

 

昭和2年(1927)10月 千葉県に生まれる。

昭和57年(1982)   「蘭」入会

平成5年(1993)   「蘭」同人

 

千葉県成田市在住

中野貴美(「青海波」同人)句集『葛の花』出来ました!

中野貴美句集『葛の花』

 

『葛の花』(くずのはな)

著者:中野 貴美(なかの・きみ) 「青海波」同人

 

初春の神鼓を渡る山河かな

 

作者は、俳句は歴史、風土と共にある文芸であることを弁えている。

句集『葛の花』は俳句の真髄を心得、一段と表現力に磨きがかかった。充実の作品群である。

―船越淑子「青海波」主宰(帯文)―

 

【収録作品より】

構へたる欅の白し弓始

うぶすなの風まつすぐに大茅の輪

一人行く又ひとりゆく秋遍路

御手洗にみたす山水夏はじめ

母と子の影もてくぐる茅の輪かな

山は父川は母なり雁渡る

文豪の館へつづく桜かな

楪や水の豊かな阿波に生き

鳥帰る民話の里を置き去りに

竹の秋石にもかつて火の記憶

芽柳や昔藍屋の舟着場

七草や瑞穂の国に生れしこと

 

【著者略歴】

中野 貴美(なかの・きみ)

 

徳島県徳島市在住

昭和12年10月7日 徳島県阿波市土成町吉田生まれ

平成10年    「青海波」入会

斎藤梅子、船越淑子に師事

平成17年    「青海波」同人

平成22年     句集『神楽笛』上梓

現代俳句協会会員 日本俳人クラブ会員 徳島ペンクラブ会員

 

 

お求めは俳句アトラスまで。

【定価】2130円+税

 

 

【句集鑑賞】 杉山久子~渡邉美保句集『櫛買ひに』を読む

 

 

「中にあるもの」      杉山久子(すぎやま・ひさこ)

 

すかんぽの中のすつぱき空気かな

 

『櫛買ひに』を手にしてパラリとめくった時、この句が目に飛び込んできて痺れた。

「酸い葉」とも呼ばれる植物だから噛むと酸っぱいのは周知のことだが、「空気」と言ったことで内側の空間が押し広げられ、ぐっとこちらに近づいてくる感覚がある。

「すかんぽ」「すつぱき」の表記と音の並列も巧い。

そこから渡邉美保さんの作品世界に入って行った。

多くの句がものをよく見てしっかり描写されおり、季語も心地よく響く。

 

どの木にも雨粒光る大祓
魚くはへ腋のゆるびぬ青鷺は
貼りたての障子に大き鳥の影
みどりさすアンモナイトの眠る壁

 

安らかな気息を感じる句たちである。 

 

料峭や島にふふめる山羊の乳
金柑に山羊繋ぎある日向かな
新涼や水平になる山羊の耳

 

近所に山羊が住んでいる筆者としては気になる句で、山羊の体温がほんのり伝わってきそうな心地よさがある。

密かに「山羊三部作」と名付けた。因みに「鯉三部作」もある。

 

えごの花水面に鯉の口動く
鯉の背の藻を引いてゐる盆の雨
日短か泥の浅瀬を鯉が打ち

次の句のような日常のちょっとした機微を捉えた俳諧味のある句もあり、手堅い。

 

ボサノバに合はすアイロン小鳥来る
着ぶくれて打ち解けられずゐるふたり
手袋を脱いで口止めされにけり
これといふ話はなくて衣被
  
しかし、先ほどの山羊や鯉以外にも生き物の句が目に付き始めたころから、いやそれだけではないぞと更に引き込まれていった。

量的にも生き物の句が多いのだが、それらの句を読むと、どうも人間と他の生き物の間の境界がないようなのだ。

 

きのふ鷺けふ少年の立つ水辺
花びらの中に目覚めしなめくぢり
身を反らす伸ばす縮める蛇穴へ
大腿四頭筋鍛へられよと飛蝗跳ぶ
ががんぼに言ひ寄られけり夜のトイレ
円陣を組む九人と蟻二匹

 

一句目、鷺の面影が少年に、少年の面影が鷺に重なってゆくような時間も同時に詠みこまれている。

二句目は、嫌われがちな蛞蝓を美しく詠み上げて、かすかな息遣いが聴こえて来そう。

蛇と飛蝗の句は、人間の肉体の部位や機能と対象のそれが同化していく独特の感覚。

ががんぼは種を超えて積極的にアピールしてくるし、最後の句に至っては、種も体の大小も超えて同志のような親密感。

直後に置かれた、

 

九人のはずが十人ところてん

 

など、もうこの二匹が変身したとしか思えない可笑しさ。

 

くはがたのやうな貌来る溝浚

 

これは明らかに比喩なのだが、顔つきのみならず体つきも硬質でぎしぎしと歩いてくる様子を想像させられる。

よく見ると可笑しい句は他にも沢山あるではないか。

 

痒さうな鶏頭の種とつてやる
耳栓にしようか殻付き落花生
柿剥いて明日はちやんとするつもり
日記買ふついでにニッキ飴を買ふ

 

これから先、鶏頭を見るたびにこちらもなんだか体のどこかがむず痒くなってきて、種を採らずにはいられなくなりそう。

落花生を耳栓になど、小学三、四年生くらいの男子がやりそうなことで、今度落花生を手に入れたらやってみよう。

柿を剥きながらの決心は、これはまあ大人の感覚。

私も非常に共感するし、読み手によって内容や程度の幅がある言葉だが、「ちゃんと」はなかなか言えない。

「日記」に「ニッキ飴」とは言葉遊びだけで馬鹿馬鹿しさもこの上ないのだが、この人とは気が合いそうだと確信した。

手堅いものと新鮮な発想をてらいなく放出したような句のある中で、日常とはちょっと異なる世界へ足を踏み入れる句にも惹かれた。
ふけとしこさんが、

 

ファンタジックな要素が入ってくるようになった。

幻想というか、虚の要素を取り込むというか、物語性というか、世界を拡げてきた…

 

と序文で述べておられる句と重なるかもしれない。

 

烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに

 

かの世と言えばおそらく死後の世界。

晩秋の夕方の暗めの風景の中にぽっと灯ったように見える烏瓜を思った。

かの世から帰ってくるときの目印だろうか。

現世では手にいれられない美しい櫛なのかもしれない。

もし烏瓜の灯りを見失い帰れなくなったとしても行ってしまうのかも。

 

龍淵に潜む卵の特売日

 

想像上の季語と日常感溢れる卑近な事柄を取り合わせた。

卵を買いに行ったその足でそのまま龍の世界へ入り込んでしまいそうな気もする。

「烏瓜」の句との相乗効果かもしれないが、鶏の卵を買いに行ったはずが竜の卵を探していそうなシュールな味わい。

 

サーカス一行箱庭に到着す

 

配置された人形としてのそれらではなく、本物のサーカス団がやって来て、自然と箱庭に入ってゆく気配がこれまた不思議。

最後に、思い切った省略に驚かされた一句を。

 

海鳴りや布団の中にある昔

 

「すかんぽの中の空気」は細やかにその空間を拡げてみせたが、こちらは時間も物質的なものや匂いや感情、渦巻くカオスのような膨大なものを「昔」という一言でもって押し込めた。

読み返すほどに恐ろしさも加わってくる。

美保さんの「中」には面白くて不思議なものがまだまだありそうだ。

次は何が出てくるのか楽しみで、手品を待つ子供のように今わくわくしている。

 

けむり茸踏んで花野のど真ん中