今週の一句~流燈(りゅうとう)

流すべき流燈われの胸照らす   寺山修司(てらやま・しゅうじ)

(ながすべき りゅうとう われの むねてらす)

 

寺山修司は歌人、詩人、劇作家であったが、彼の文学の原点は「俳句」だった。

中学時代から俳句を始め、高校時代に「牧羊神」という文芸誌を創刊、また、全国学生俳句会議を結成した。

私の記憶では、前「河」編集長の佐川広治、現「浮野」主宰の落合水尾氏などもこの会に参加していた。

今、充実の活動を見せている80歳前後の世代が、寺山となんらかの形でつながっていた人が多いのである。

うろ覚えだが、こんなエピソードを聞いた。

飯田龍太の元に、寺山修司から連絡があり、学生俳句大会の選者の依頼があった。

龍太はこころよく引き受けて、送られてきた作品を見た。

寺山の作品が他の作品より優れていた。

が…、どれも以前に見た作品であった。

寺山の作品は高校時代より評判を呼び、龍太の目にも入っていたのだ。

龍太はその旨を書き、作品を送り返した。

主催者である寺山が、規範を破っていることに納得がいかなかったのである。

このエピソードは二人の生き方を象徴するようで、好きなエピソードだ。

寺山は早稲田大学入学後、短歌に転向し、以後、時代の寵児となった。

掲句も学生時代の作品。

「流すべき」とは、「流離」の象徴であろうか。

普通、「流燈」というと亡くなった人の魂を慰めるものであるが、(もちろん、この句もそうであるが…)この「流すべき」には、生きる者、亡くなった者に共通する「流離」の思いがある。

そこが斬新。

生きる者も、若者の自分であっても、そして死者も、「流離」してゆくものである、という印象が私にはある。

 

 

 

今週の一句~原爆忌(げんばくき)

背泳ぎに空を見てゐる原爆忌    大森理恵(おおもり・りえ)

(せおよぎに そらをみている げんばくき)

 

昭和20年8月6日は広島に原爆が投下された日である。

9日には長崎に投下された。

死者30万人という未曽有の惨事であった。

 

海で「背泳ぎ」をしたことがある方なら経験があるだろう。

両耳が海に浸かり、周囲の音は何も聞こえない。

通り過ぎてゆく波の音、海の音なのか、空の音か、「ゴーッ」という、奥から湧いてくるような音。

視野にはギラギラとした夏空と、盛り上がる入道雲の群…。

 

入道雲が、原爆の「きのこ雲」に見えたのかもしれない。

しかし、それ以上に、背泳ぎをした時だけに聞こえる、雑音の無い、空や海の深い「沈黙」…、私はそこに鑑賞の重点を置きたい。

作者は、その「沈黙」の音に、一瞬にして消えてしまった30万人もの、悲しき命の「沈黙の声」を聞いたのではないか。

そして、人間たちが織りなす戦争という愚かしさと、それを見つめて来た空や雲の沈黙を…。

この句には、「生身」の人間の声や生活の音、文明の音などは一切遮断されている。

空と雲と海の音だけ…。

背泳ぎはある意味、今、生きている人間の命の「躍動」でもある。

しかし、「原爆忌」との「取り合せ」により、その躍動する命も一瞬のうちに消え去ってしまうということがある、という不安をも描いている。

鎮魂の思いや、戦争反対の思いとともに、生と死という表裏一体の世界にまで踏み込み、文学的作品にまで昇華しているところが、この句の素晴らしさである。

今週の一句~晩夏(ばんか) 

打水も晩夏のひかり阿修羅王    角川春樹(かどかわ・はるき)

(うちみずも ばんかのひかり あしゅらおう)

 

「阿修羅」はもともとは古代ペルシャの神で、古代インドの魔神だった、という説もある。

この神は、仏法の守護神・帝釈天と壮絶な戦いをした。

大事な娘を帝釈天に犯されたから、という説がある。

まあ、もともとこういう説話は創作だから、あてにはならない。

負けても負けても、すさまじい形相で、何十年にわたり、帝釈天と激しい戦いを繰り広げたそうである。

春樹さんの主宰する「河」は「二句一章」を信条の一つとして掲げている。

創刊主宰・角川源義が提唱した。

二句一章にこそ、俳句の醍醐味がある、というわけだ。

この句も二句一章の取り合わせがすさまじい。

「打水の光り」と「阿修羅王」との取り合せである。

俳句はなぜ「取り合わせ」なのか。

これは「二物衝撃」によって途轍もないエネルギーを生みだすからだ。

「取り合わせ」とは「生命」と「生命」のぶつかり合いと考えるべきだ。

だから、すさまじいエネルギーが生まれる。

そのことを忘れてはいけない。

「取り合わせ」は単なる「方法論」ではないのだ。

松尾芭蕉の、

荒海や佐渡に横たふ天の川

夏草や兵どもが夢のあと

暑き日を海に入れたり最上川

などはすべて「生命」と「生命」とのぶつかりあいである。

荒ぶる「海」と「天の川」のぶつかり合い

生命力旺盛な「夏草」と「もののふの魂」のぶつかり合い

燃え盛る「太陽」と「みちのくの大河」のぶつかり合い

これこそが掲句の魅力である。

これらがぶつかりあい、こすれ合い、すさまじい「エネルギー」が生まれる。

それは「命の絶頂」「生のエクスタシー」である。

芭蕉自身も俳句は取り合わせである、と言っている。

発句(ほっく)は畢竟(ひっきょう)、取合物(とりあわせもの)とおもひ侍(はべ)るべし。

―森川許六「俳諧問答」―

俳句とは「生のエクスタシー」と言ってもいい。

今週の一句~葛切(くずきり)

葛切や少しあまりし旅の刻(とき)   草間時彦(くさま・ときひこ)

 

葛切は葛粉を水で溶かし、型に入れて加熱し、板状に固めたものを麺のように細長く切ったもの。

「寒天」は天草などの海草を煮詰めたゼリー状のものを冷凍し乾燥したもの。

こちらは角状に切り、蜜豆などで使う。

寒天は煮詰めて冷却してゼリー化するが、葛切は煮詰めるだけでゼリー化出来る。

 

ここ最近の暑さは異常だが、暦の上ではあと10日ほどで「秋」となる。

すでに「晩夏」なのである。

京都では、京都の夏を彩る祇園祭が行われている。

 

掲句…、調べたわけではないが、京都の祇園祭の風景であろう。

作者は東京生まれの鎌倉育ち。

のち、同じく神奈川県逗子に在住。

俳壇では食通、ワイン通として知られた人である。

 

新幹線の発車時刻まで間がある。

京都四条あたりで、葛切をいただいている。

食事や酒にするには時間がない。

かる~く、「葛切」をいただいて、発車時刻を待っている。

私だったら、京都駅の待ち合わせ室でスマホで時間をつぶしたり、駅周辺のカフェなどで時間を潰すだろう。

いかにも洒脱な作者らしい風景…。

きっと、店の中にも「祇園囃し」が聞こえてきているのではないか。

 

つまり「葛切」で「京都の夏」を想起させ、そこから「祇園祭」へとイメージが膨らむ。

「季語」の力…、連想力とはそういうことではないか。

今週の一句~大暑(たいしょ) 久保田万太郎

芥川龍之介佛大暑かな   久保田万太郎(くぼた・まんたろう)

 

一昨日、昨日、今日と、ものすごい暑さである。

この暑さはヤバイ…、殺人的である。

この暑さの中で、俳句の上で、最も「暑さ」を感じる季語は何だろう、と考えた。

思いつくまま上げてみる。

「薄暑」「小暑」「炎昼」「炎暑」「炎日」「炎天」「三伏」「盛夏」「大暑」「極暑」「酷暑」「溽暑」「劫暑」「晩夏」

などがある。

ただ…である。

これは個人的な感覚なのかもしれないが、俳句ではあまり使われない、

猛暑

という言葉が、私は一番暑さを感じる。

「明日は猛暑です!」

などと、テレビなどの天気予報で聞くと、ぞっとするのである。

「猛暑」というのは気象用語で、最近出来た言葉らしい。

25度以上を夏日

30度以上を真夏日

35度以上を猛暑日

という。

うまい(?)ネーミングだ、と私は思う。

勝手な推理だが、今まであげた季語は昔の暑さで、自然から受ける印象から生まれたような気がする。

ビルのコンクリートや道路のアスファルトの照り返しなどから受ける暑さのイメージは「猛暑」という言葉が似合う。

俳句で「猛暑」という句はあまり見かけたことがないが、今後は増えて、やがて定着してゆくのではないか。

 

さて、ちょっと開き直って、知っている句の中で、一番暑く感じる句はなんだろう、と考えた。

人から聞いた話なので「眉唾もの」だが、昔、作家の団鬼六がヤ〇ザを集めて、句会をやった。

兼題が「暑さ」だった。

その中で、一番点数が入った句が、

アフリカで火事に出会ひし暑さかな

だった。

選評の時、みなが口々に、

これは暑い!

とか、

いや~、これは暑そうだ。

とか、

これが一番暑そうです。

などと言った。

鬼六さんは、

いや、お前たち…、別に「暑さ比べ」をしてるんじゃないんだから…。

とたしなめた、という笑い話がある。

 

私はなぜか、掲句の万太郎の句に一番暑さを感じる。

この句は、自殺した芥川龍之介の追悼句。

龍之介の自殺した日が、昭和2年7月23日の大暑の日だった。

この句はなんにも言っていない。

「芥川龍之介佛」と「大暑」の取り合せだけである。

なのに、なにゆえ、こんなにも「暑さ」を感じるのだろうか…。

「万感の思い」が籠っているから…、としか言いようがない。

万太郎と龍之介は作家仲間というだけでなく、両国高校の先輩と後輩だった。

互いに俳句談義などにも花を咲かせたようである。

久保田万太郎と芥川龍之介(「林誠司 俳句オデッセイ」)

https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/36932857.html

芥川龍之介は「唯ぼんやりした不安」という言葉を残し、自殺した。

夏の素晴らしいところは、太陽、雲、海、水、山の緑、草木など、あらゆる命がもっとも活発になるところではないか。

ありあまるほどの才能を持ちながら、自ら消してしまった「命」と、大暑を迎え、旺盛な万物の「命」…。

その対比が、この句の素晴らしさかもしれない。

汗ばみ、炎天を見上げながら、龍之介を死を悼む万太郎の姿が実に切ないのである。

今週の一句~七夕 野村喜舟

七夕に夜干の網のありにけり   野村喜舟(のむら・きしゅう)

 

(たなばたに よぼしのあみの ありにけり)

 

野村喜舟の名を最近聞くことはないが、忘れてはならない俳人だ。

この人は俳句の達人である。

冷奴(野村喜舟)

https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/24465340.html

喜舟、久保田万太郎…、この二人こそ近現代俳句の達人、と私は考えている。

「ホトトギス」系の方々が、「伝統俳句」を名乗っておられるが、正確を期せば、それは間違っている。

「伝統俳句」とは、江戸俳諧の精神、手法を継承する俳句である。

変な言い方だが、「ホトトギス」の俳句は、正岡子規によってすでに一回「革新」されている。

そういう意味では「新興俳句」と言っていい。

 

野村喜舟は「渋柿」主宰で、「渋柿」創始者は松根東洋城。

東洋城も喜舟も「芭蕉直結」を提唱している。

東洋城、喜舟の俳句、そして近代俳句の洗礼を受けなかった文人俳句こそ、本当の「伝統俳句」である。

 

掲句。

七夕の夜、砂浜には漁り網が干されている。

「七夕」という言葉から、読者は、その遥か向うの沖の上に広がる天の川を想像する。

大きく横に広げられた「漁り網」と、その遥か向うに横たわる「天の川」…。

いうなれば、この句は「漁り網」と「天の川」の「取り合せ」である。

この「横たわる天の川」は、芭蕉が詠んだ、

荒海や佐渡によこたふ天の河

を踏まえている。

芭蕉が詠んだ「天の川」は「荒海」越しだが、喜舟の句は、静かな渚に干された「漁り網」越しである。

芭蕉のこの名句は、厳しい現実である「荒海」と、静かで幻想的な「天の川」の対比的構成の句である。

喜舟の句は、漁村に生きるつつましい「生活」と、天空の雄大な「天の川」の対比的構成と考えていい。

これこそ…、この手法こそ「伝統」というものだろう。

 

今週の一句~鳰(にお)の子 柴田多鶴子

鳰の子の潜りて作る水ゑくぼ   柴田多鶴子

 

「鳰」(にお)は「かいつぶり」のこと。

「かいつぶり」は「冬」の季語だが、「鳰の子」は「夏」の季語。

鳰の子が、ようやく水を潜ることを覚えたのだろう。

楽しそうに潜っては、また、水面に現れる。

掲句はまず「水ゑくぼ」という表現がいい。

鳰の子が潜った時の水の凹みのことであるが、なんだか、潜られている(?)水も嬉しそうである。

さらに言えば、(さりげない表現だが)「作る」がいい。

並の俳人であれば、

鳰の子の潜りて生まる水ゑくぼ

鳰の子の潜りて生るる水ゑくぼ

とするだろう。

でも、それでは「普通の写生」。

鳰の子は水に潜るのが目的であって、「水ゑくぼ」を作ることが目的ではない。

つまり、視点を変えることによって、この句は、独自の光彩を放っている。

「作る」に、鳰の子の、小さいながらも、力強い「いのちの躍動」を見るのである。

この表現は「擬人法」と言っていいだろう。

擬人法とは、人間以外のものを人間に見立てて表現する方法。

鳰の子が「水ゑくぼ」を作っているというのが、それに当たる。

「擬人法」は俳人によっては嫌う人もいるが、俳句に於いて、強力な表現方法である。

まあ、そればかりやっていても仕方ないが、松尾芭蕉もずいぶん使っている。

 

俳句の擬人法の強さ

https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/37652103.html

 

この「作る」が、この句の眼目と言っていい。

今週の一句~五月雨(さみだれ) 芥川龍之介

さみだれや青柴積める軒の下   芥川龍之介

(さみだれや あおしば つめる のきのした)

 

今、人気の「柴犬」など、「柴」という言葉は日常よく見かける。

昔話にも、

おじいさんは山へ柴刈に…

という言葉が多く出てくる。

「柴」というのは、私たちにとって身近な言葉だが、そもそも「柴」とはなんだろう。

私は以前まで、「杉」や「ヒノキ」のような樹木の一種かと思っていた。

「柴」とは、

山野に生える、小さな雑木

のこと。

「雑木」は文字通り、

雑多な樹木

のことである。

さらにいえば、

薪にしたり、垣根や壁、つまり生活に仕える樹木

とも言える。

「青柴」は、

青い葉っぱをつけた柴

のことをいう。

夏だからこそ「青柴」なのだろう。

掲句。

軒下に積まれた「青柴」。

いづれ薪などに使用されるのだろう。

束ねられて軒下に置かれている。

「五月雨」は「梅雨の雨」のこと。

いつまでもしとしとと降り続いている。

きっと、今日あたりは家人も山へ出ず、家に籠っているだろう。

青柴は濡れないように軒下に置かれているが、今にも濡れてしまいそうである。

山里の梅雨の風景と、そこに暮らす人の質素な生活が描かれている。

眼目は「青柴」とくに「青」。

これを、

五月雨や柴木を積める軒の下

としたら、どうだろう。

たちまち、色彩が失われてしまう。

五月雨や青柴積める軒の下

には、墨絵のような風景の中、唯一、青柴の「青」が生命の「息吹」を出している。

そこが巧み。

初心者の方に、ぜひ言いたいのは、「句の色彩」がとても重要だ、ということ。

夏草や兵どもが夢の跡   松尾芭蕉

この句は「夏草」の「緑」が句を鮮明にさせている。

この句は遥か(芭蕉の訪れた時代からすれば…)400年以上前の歴史に思いを馳せている。

こういう句は、ややもすれば一句全体が「茫洋」となってしまうものだが、「夏草」が「具象」を出し、さらに「色彩」を生み出している。

「夏草」は草の中でもっとも「生命力」があり、「色彩」も鮮やかである。

それが、一句をしっかりとしたものにしている。

龍之介の句も、「青」という一語が一句を、ある意味瑞々しくしている。

今週の一句 夏帽子~加藤房子

あづまはや根の国へ振る夏帽子    加藤房子(かとう・ふさこ)

(あずまはや ねのくににふる なつぼうし)

 

「千種」代表。

昭和9年、横浜育ち。「風花」「蘭」を経て、小枝秀穂女に師事。

昭和63年、小枝秀穂女創刊の「秀」に参加。秀賞を二度受賞。

平成19年「秀」終刊に伴い、翌年「千種」創刊、代表を務める。

今年、「千種」創刊10周年、第二句集『須臾の夢』(俳句アトラス刊)上梓。

 

「あづまはや」がこの句の眼目となる。

この言葉は「古事記」「日本書紀」に出てくるヤマトタケルの言葉。

「吾妻(あづま)はや」…、つまり「ああ、わが妻は…(もういないのだ!)」という意味である。

エピソードを要約して紹介しよう。

 

ヤマトタケルは、父の景行天皇の命で、大和朝廷に従わない者たちの討伐を命じられ、九州を平定し、出雲を平定し、東国を平定した。

東国平定の際、今の神奈川県横須賀市にさしかかり、小船で海を渡り、今の千葉県へ渡ろうとした。

今の東京湾である。ヤマトタケルは東京湾を眺め、

「なんて小さな海だ。ここなどは一っ跳びに渡れるだろう」

と言った。

それを聞いた、この地の「海の神」が激しく怒り、小舟が海の真ん中にさしかかった時、暴風雨を巻き起こした。

船が今にも転覆しそうな時、タケルの妻・弟橘媛(おとたちばなひめ)が、

「海神のお怒りを鎮めるため、私が身を捧げます」

というや否や、海に身を投げた。

海はたちまち穏やかになった。

ここは今、「浦賀水道」、古名を「走水」(はしりみず)という。

その後、東国平定を終え、大和へ帰還するタケルは、「古事記」では今の神奈川県足柄峠、「日本書紀」では群馬碓氷峠あたりで、何度も東の方角を振り返り、

「吾妻はや」

と、弟橘媛を偲んだ、という。

(ちなみに、それゆえ「関東」のことを「吾妻」という。)

 

掲句の鑑賞に戻る。

つまり「あづまはや」とは、愛する人への慟哭の言葉。

この場合、配偶者と限定する必要はないだろう。

自分にとって心から愛する人、亡くなったその人への慟哭の言葉である。

「根の国」とは「死者の国」。

作者は、愛する人が住む黄泉の国へ夏帽子を振っているのだ。

「夏帽子」も、この句に切なく、あたたかな郷愁を添えている。

なんとなく、私は西条八十の詩を思った。

 

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。(以下、略)

 

「夏帽子」は郷愁、思い出の象徴である。

 

この句は観念句であるが、虚の世界から実へと迫っている。

観念から、自己の内面、別れ、という「実」を表現しているのだ。

松尾芭蕉も、

虚に居て実を行ふべし

と言っている。

実景よりも激しい、心の奥底で生み出した「慟哭」の一句、と言えるだろう

今週の一句 祭笛~鈴木鷹夫(すずき・たかお)

帯まくとからだまはしぬ祭笛    鈴木鷹夫

 

(おびまくと からだまわしぬ まつりふえ)

 

「祭」は夏の季語。

祭というのは一年中ある。

秋には主に農村で収穫を祝う秋祭が行われるし、冬でも秩父夜祭などが行われている。

それでも「祭」が夏の季語なのはなぜか?

昔は「祭り」といえな京都賀茂神社の「葵祭」のことだったから。

「花」と言えば「桜」を指すのと同じような理屈である。

特に「歳時記」というのは、京都の四季を中心に考えられ、編纂されている。

今はそういうことは薄れつつあるが、その名残と考えていいだろう。

ただ、今、「祭」を詠むときはそういうことは意識しなくていい。

「〇〇祭」と入っていないから、これは葵祭のことだろう、と考える人は(ほとんど)いない。

 

掲句の「祭」も違う。

鈴木鷹夫氏(1928~2013、「門」主宰)は生粋の江戸っ子。

これは東京の夏祭である。

着物、特に夏祭に着る着物に馴れている人は、帯を巻く時、体を回して巻くのである。

体を回すといっても、時代劇の「ご無体な~」などのようにぐるぐる回るのではなく、仕上げに体をちょっとひねって巻くのである。

その所作はいかにも江戸っ子らしく、粋である。

路地の方からは、賑やかな祭笛が聞こえてくる。

子どもの頃ほどではないが、いくつになって祭は楽しいもの。

いなせに角帯を巻いて、出かける作者の姿が見えるようである。

「祭かな」などではなく「祭笛」がうまい。

一句を「聴覚」で刺激しているのだ。