句集・結社誌を読む11~「ひまわり」平成30年8月号

「ひまわり」昭和30年8月号

「ひまわり」平成30年8月号

主宰 西池冬扇 副主宰 西池みどり

結社誌・月刊・昭和21年創刊、徳島県徳島市、創刊 髙井北杜

 

四国で俳句というと、まず愛媛県松山が思い浮かぶが、徳島もまた俳句の盛んな地である。

「ひまわり」は徳島市に拠点を置く大結社。

徳島でも随一の規模を誇る。

現主宰の西池冬扇氏は、髙井北杜、髙井去私と続き、三代目の主宰。

句作のみならず、評論集も積極的に発表する気鋭の俳人である。

まず表2の〈今月のこの一句〉の、

ばりばりと伸ばせば匂う盆提灯   冬扇

に感心した。

その脇に「ひまわり俳句の信条」が記載されている。

ひまわり俳句はやさしくて、たのしい庶民の詩である。

俳句のよい伝統をたいせつにしながら、すなおな写生をくりかえして、新鮮な抒情の世界にあそぶ

とある。

注目すべきは「庶民の詩」。

「すなおな写生」も「庶民の詩」という信念から派生している。

主宰作品「出水」より

風と染め風が抜けたり藍工房

滝とどろとどろとどろと龍棲むと

星星の悲しみことにアンタレス

我が田までうつむき急ぐ出水かな

沈下橋濁流まさに越えんとす

先日、西池冬扇、みどり両先生のお誘いで、徳島の吟行旅行に参加した。

まだ徳島にいます~那賀町農村舞台

その折の作品があって、実になつかしい。

一句目、〈風と染め…〉の「藍工房」では、私もともに「藍染体験」をした。「風が抜け」れば蝋で描いた句や絵が浮き上がったことだろう。捉え方が詩的である。

二句目もともに吟行した「大釜の滝」だろう。

「とどろ」のリフレインが、あの滝の豪快さを象徴している。

副主宰作品「螢舟」より

ほうたるの手に灯りけり高瀬舟闇よりも船頭黒き蛍舟

鮎焼けりサッカー観戦始まれり

噺家も客も扇子を使いおり

幽霊の噺に笑い転げたり

一句目、二句目は「母川」とある。

徳島県海陽町を流れる清流らしい。

船を浮かべての「螢狩」とは実にうらやましい。

こういう句は東京に住んでいては詠めない。

松尾芭蕉の、

旅は俳諧の花

という言葉を思い出す。

徳島の人にとっては「旅」ではないが、この言葉は、私は、

その地に行かなければ出会えない未知なるものに触れる喜び

を言っているのだと思う。

三句目〈鮎焼けり〉も同様。

サッカー観戦に、焼き鮎が出るなんて、水が豊かな吉野川に住む徳島県ならではの吟である。

その他、同人欄、会員欄の感銘句。

黒い顔洗ってばかりかいつぶり   大久保道子

水中花咲かせて水の無表情   森 睦子

巣立ちたるらしい一本の藁残し   木村昌子

蛍火の尽きてターンす屋形船   車田マサ子

追焚きの風呂の煙や栗の花   米本知江

ハンカチに蝋で染め抜く鮎の文字   伊勢則子

山の駅降りて踏みゆく梅雨の霧   多田カオル

流された分だけ戻るアメンボウ   木村 修

桐下駄に残る足跡梅雨入雨   田村寿美

五月晴彼方に宇宙ステーション   富田花野

いつまでも沈まぬ夕日キャベツ畑   寿田淳乃

巻末の「ひまわり支部と句会予告」を見て驚いた。

支部数が66もある。

さらに合同句会、勉強会、講座教室などを合わせると75以上もある。

主宰、副主宰の多忙ぶりが伺えるが、徳島という地の俳句の興隆に欠かせない結社という宿命を担っていることがわかる。

句集・結社誌を読む10~「対岸」2018年8月号

「対岸」2018年8月号

「対岸」2018年8月号

主宰・編集人 今瀬剛一

結社誌、月刊、昭和61年創刊、茨城県城里町、創刊 今瀬剛一

 

主宰作品「日光」より、

 

大瀧や中段はづむひとところ   剛一
膝つくは傅くに似て泉汲む
泉湧くなり一つづつ癒えてゆけ
水音の涼しき限り神おはす
この瀧をあげます暑中見舞ひです

 

今瀬主宰というと、

 

しつかりと見ておけと滝凍りけり

 

を思い出す。
今瀬先生の代表作、というだけでなく、現代俳句の代表作と言っていい。
先生のうちから近いのかどうかわからないが、先生はよく茨城の大子の滝に行く。
この句も大子の滝で作られた、と聞いた。

 

(句の解説はこちらを…)
季節の風物詩3 凍滝
https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/2580982.html

 

今回も、「滝」「水音」「泉」など、「水」に関する句に優れたものが多い。
タイトルが「日光」であるから、この「大瀧や」は日光のどこかの滝だろう。

「中段」という漢語が力強い。
滝の途中に大巌があるのだろう。
帯なしていた滝水が、大きく跳ね上がっている様が見える。
今瀬主宰の句はダイナミックな写生句が多い。
それはそのまま、生の力強さにつながる。
「泉湧く」は、ご病気をされたのだろうか。
この句も前向きである。
一番好きだったのは、「水音の」である。
「しつかりと」の句も、瀧が擬人化されている。
この瀧はきっと「神」なのである。
今瀬主宰にとって、「水」は「神」なのであろう。

同人欄、会員欄より

雪嶺や三角屋根の土合駅    橋本公子
潮流は絶えずぶつかり瀬戸の夏   毛利きぬゑ
寝返りて傾く柱はしり梅雨   宮崎すみ
ざわざわと青葦分けて釣師来る   氏家ゆうき
抜きんでて蓮の巻葉は風の的   鈴木 勉
白蝶のいま羽根ひろげたる別れ   石堂摩夜子

 

今年33年目を迎える結社の充実した作品群である。
「写生」から「情感」へひろがってゆく詩情がある。
連鎖で目を引くのはやはり今瀬主宰の「能村登四郎ノート」、なんと「200回目」である。

句集・結社誌を読む9~「篠」(岡田史乃主宰)2018年185号

「篠」2018年185号

「篠」2018年185号

主宰 岡田史乃 副主宰・編集長 辻村麻乃

結社誌、季刊、昭和59年創刊、東京都港区赤坂、創刊 岡田史乃

 

主宰作品「黒き猫」より

どこからを春といふのか若布汁    史乃

片隅によせられてゆく春の雷

香水を変へて下さい今日だけは

副主宰・編集長作品「蛇苺」より

お辞儀する牡丹の下の牡丹かな   麻乃

浮御堂床の隙間に夏の潮

釣人の投げたる針に梅雨の月

「同人作品」より

空蝉のわが手の平に不時着す   福地 靖

万緑や水の鎮もる阿弥陀堂   助川伸哉

一周して泰山木の花幾つ   関島敦司

青田風どの家も窓開けて留守   歌代美遥

片栗やふたつ並びて花の反り   榎本みよ子

一木に同胞つどふ藤の棚    大林和代

夕映えに鶴の噴水光見ゆ   佐々木朝子

鉄骨の足場からんと夏燕   山野邉 茂

しがらみも幸もたわわに八重桜   渡辺優子

 

句集・結社誌を読む8~「漣」(前田摂子主宰)平成30年7月号

「漣」平成30年7月号

「漣」平成30年7月号

主宰 前田摂子 編集 前田摂子

結社誌、月刊、平成30年創刊、滋賀県大津市、創刊 前田摂子

 

主宰作品(「仰木集(四)」)より

早蕨を折りて小辺路の峠口    摂子

夕霞ひだる神憑く峠越

法要の日取り決めをり花の下

あたらしき駅の名長しチューリップ

道草のつもりの花に酔ひにけり

主宰作品として30句を掲載。

秀句が多く、新雑誌にかける情熱を感じる。

「今月の俳句」として、

石田波郷や小林康治、金久美智子の作品をあげ、「波郷門」を高らかに宣言している。

 

秀句抄である「湖光抄」より。

さくら貝奇稲田姫のおとし物   矢削みき子

ただよふは己が魂かもしやぼん玉   藤田 晴

桜満ちねむたき午後の歩幅かな   服部烏有

花果てて産着干されてをりにけり   辻まさ子

遠足の後ろ歩きをしてをりぬ   大口彰子

石田波郷の言葉「切れ字を疑うな」という言葉を思い出す。

「かな」「けり」の切れ字の調べがここちよい。

また、「漣」「湖光集」など、誌面のいたるところに「琵琶湖」の湖風を感じる。

他に、

○「漣」創刊記念合同句会報告

○坂本吟行記

○私の好きな季語  松本美和子

○現代俳句森々   橋本真理

○My風土記   辻まさ子

○添削広場   前田摂子

など、充実の誌面である。

摂子主宰は先日、第三句集『雨奇』も上梓。

新雑誌はどこも元気がいい。

しかし、ここ最近の新雑誌を見ると、さほどの熱気を感じない。

高齢化のせいか、新雑誌といっても、何かの事情…、例えば、旧雑誌が終刊し、会員の発表の場が無くなる為に創刊するなど、しかたなく…といっては変だが、そういう事情で、あまり熱気を感じない。

そういう意味では、今時珍しい(?)、熱気を感じる新創刊の雑誌である。

 

句集結社誌を読む7~「南風」(津川絵里子・村上鞆彦主宰)平成30年7月号

 

「南風」平成30年7月号

「南風」平成30年7月号

主宰 津川絵里子、村上鞆彦 編集長 村上鞆彦

結社誌、月刊、昭和8年創刊、兵庫県神戸市、創刊 山口草堂

 

「なんぷう」と読む。

今号で通巻896号。

創刊の山口草堂から鷲谷七菜子、山上樹実雄と続き、現在、50歳になったばかりの津川絵里子と30代後半の村上鞆彦両氏に引き継がれた。

主宰就任時は津川さんが40代、村上君は30代前半であっただろう。

山上樹実雄前主宰の英断と言っていい。

多くの結社が、主宰が高齢となり主宰を降板する、或いは、主宰が亡くなる…、その場合、ほとんどの結社がNO2の人が主宰を引き継ぐ。

しかし、そのNO2の方も就任時にすでに高齢であり、数年で亡くなり、またNO2の高齢の方が引き継ぎ…というケースが多い。

これまで長年結社を見て来たが、そういう体制は、高齢化から脱却できず、そのうちに、「後継者がいない」と終刊になる。

不安なのは会員である。

数年の内に主宰が目まぐるしく交代し、俳句に専念できない。

その点、両主宰は若い。

会員も俳句に集中できるだろう。

私は、俳句の高齢化は何の問題もないと思っている。

高齢化の問題は俳句だけの問題ではない。

日本全体の問題である。

日本がこの状況を脱却しない限り、この問題はついてまわるのである。

だから、高齢化はいいのだ。

むしろ、高齢の方々が生き生きと嗜むことに俳句の素晴らしさがある。

しかし、結社と言うのは組織、体制である。

主宰や有力同人は、組織の活性化を図っていかなければならない。

「南風」が立派なのは、山上さんがまだ元気なうちに、若き二人を主宰としたこと。

後見人となって、二人を主宰として育てたところである。

いまや二人は現代俳句の旗手として活躍している。

主宰作品より

漣の無限の網目鳥の恋   絵里子

鳥雲にずらりと同じ吊り広告

鉄棒の下の微塵の春落葉

缶蹴りの影ぱつと散る夕桜

鴉より小さき人や山若葉

幹を巻く落花の風となりにけり   鞆彦

一片の落花ひかりをさかのぼる

残花ちるひとりの午前人との午後

席取りのスカーフ置かれ蝶の昼

着陸の窓に夕富士春惜しむ

津川さんの「二句一章」の鮮やかさには舌を巻くものがある。

常々、不思議に思っている。

山口草堂は「ホトトギス」の有力同人。

「ホトトギス」の信条は「客観写生」。

松尾芭蕉は、

発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし(『俳諧問答』)

(俳句と言うのは結局、取り合せの妙だと思いなさい)

と言ったが、「写生」とはものを丁寧に写すことであるから、自然と「一句一章」となり、取り合せは軽んじられる。

その、写生の系譜に連なる津川さんには「取り合わせ」の素晴らしい作品が多い。

これはどういうことだろうか。

写生をしつつ、取り合せの妙をも見せる実に稀有な俳人である。

一方、村上君は、文字通り丁寧に写生している。

彼は何気ない事柄、風景を詩へと昇華させることに長けている。

それにより、生活詠でありながら「花鳥諷詠的美」が生まれている。

昭和の時代、「花鳥諷詠」は「花鳥諷詠」、「人生詠」は「人生詠」だった。

人生詠、例えば人間探求派は美よりリアリズムを追求した。

平成になり、彼の登場によって、それぞれの長所が融合されたような感がある。

「風花集」(同人欄)より

竜ひそむ淵の一木大ざくら   杉谷貞子

花冷えのまだあたらしき手術痕   越智佳代子

風光る沖までもわが故郷かな   北見鳩彦

燕来る自販機だけのたばこ屋に   橘 修一

エプロンのままのいちにち柿若葉   武藤万喜子

「南風集」(会員欄)より

背に運ぶドレス真つ白花は葉に  今泉礼奈

貝塚の層の白波夏きざす   戸澤光莉

たんぽぽのぽの音風に連れ行かる   赤松正夫

鳥雲に踵の減りし夫の靴   館 ゑみ子

プラットホーム新入生のこぼれさう   深水香津子

オカリナを吹く指速し燕   奥山啓子

でで虫のからの中から見える雨    帯谷到子

なお、編集は副主宰の村上鞆彦君が担当、彼は書籍編集の経験も豊富であり、いわば「プロ」。

企画にしても、レイアウトにしても細部まで行き届いた編集姿勢が伺える。

句集・結社誌を読む6~「舞」平成30年夏季特別号

「舞」平成30年夏季特別号

「舞」平成30年夏季特別号

主宰 山西雅子、編集 今井とんぼ

結社誌、隔月刊、平成21年創刊、神奈川県逗子市

 

山西さんは早くから新鋭、中堅俳人として注目された実力俳人。

近年は文語や文法に関する著作も出版し、文語・文法のよき指南役的な存在感がある、と私は思う。

【主宰作品】

明日葉の雄々しき丈や雨の島   山西雅子

その糸の付け根太々浦島草

作品とともに掲載されていた小文の「タイトル」は「文語・口語」。

いかにも山西さんらしいと思った。

「第四回舞賞発表」があり、秋津寺彦さんが受賞している。

【受賞作品】

けん玉の少女の腰や春惜しむ    寺彦

畑仕事終へて噴井に人の声

草の端の露の大玉落ちにけり

オクラ咲く左はひゑい右くらま

連載では、芭蕉好きの私としては、前田和男さんの「芭蕉研究 『おくのほそ道』」に注目した。

「おくのほそ道」「曽良随行日記」はもちろん、江戸時代に刊行された、「おくのほそ道」の注釈書『菅菰抄』を参考に、「おくのほそ道」の、芭蕉の足跡を丹念に辿っている。

出羽三山のくだり…「天台止観」は私も大いに悩んだ。

なお、編集後記を読むと、「舞」は本号をもって「月刊」から「隔月刊」に移行するとあった。

これは正解であると思う。

俳句結社の高齢化、少人数化が進む中で、月刊にこだわる必要は無い。

むしろ、評論などは隔月刊化、季刊化して、じっくり取り組んだほうがいいと思う。

噂に聞いた話だが、俳人協会などは月刊の結社を基本とし、隔月刊誌、季刊誌では相手にしてくれないという。

山西さんおよび「舞」にはそういう心配はないと思うが、協会も柔軟に対応してゆくことが重要だろう。

 

句集・結社誌を読む5~「海」7月号(創刊35周年記念号)

「海」創刊35周年記念号

「海」7月号(創刊35周年記念号)

主宰 高橋悦男、副主宰 日下野仁美、編集長 日下野由季

結社誌、月刊、昭和58年創刊、師系・野澤節子、東京都世田谷区

 

「海」は高橋悦男氏が一代で始めた結社。

その「海」が7月で、創刊35周年を迎えた。

一代で35年というのは凄い。

会員数も多い。

妻で副主宰の仁美さんも活発に活動し、さまざまな俳句賞を受賞している。

娘で編集長の由季さんは俳壇のホープとして活躍、実作のみならず、二年前には野澤節子に関する評論文で、山本健吉評論賞を受賞している。

 

特集号は圧巻の312頁。

特別寄稿には、

「エッセイ」

落合水尾「浮野」主宰

鈴木貞雄「若葉」主宰

片山由美子「香雨」主宰

遠藤若狭男「若狭」主宰

河内静魚「毬」主宰、「俳句界」編集長

坂口昌弘(短詩型評論家)

髙柳克弘「鷹」編集長

「作品」

鍵和田秞子「未来図」主宰

大牧 広「港」主宰

今瀬剛一「対岸」主宰

大串 章「百鳥」主宰、俳人協会会長

稲畑廣太郎「ホトトギス」主宰

という豪華な顔ぶれ。

他に、35周年を記念した、

特別作品コンクール

評論・随筆部門

海各賞(結社賞)

の発表が行われている。

悦男氏は現役時代は早稲田大学教授で、新鋭として注目されていた頃、俳句総合誌すべてに連載を持っていた、というエピソードを持つ。

それゆえ、会員にも実作はもちろん自然と評論など、文章にも長けた人材が多い。

「海」会員に聞いた話だが、多くの人が句会での悦男氏の選評や、余談を聞くのが楽しみなのだそうだ。

「海」は「和」を何より大切にする。

俳句信条は、年鑑や結社誌上には掲載されていないが、以前、「即物具象」を大切にしている、ということを聞いた。

主宰作品や感銘した作品を以下に。

じつと見てをれば角出すかたつむり    悦男

海見えて遠足の列乱れけり

山笑ふ昔はありし貧富の差

恋猫の鈴を失くして戻りけり       仁美

帯なして渓渡りゆく花吹雪        神坂玉子

桜祭火縄銃撃ち始まれり         松原かな子

義経と静の桜並び咲く          山崎辰見

靖国の桜を仰ぐ老夫婦          佐々木武郎

「海」35周年祝賀会は7月16日(月・祝)、東京早稲田のリーガロイヤルホテル東京で開催される。

句集・結社誌を読む4~師岡洋子句集『水の伝言』

師岡洋子句集『水の伝言』

一片の花びらのごと鵙の贄    洋子

(ひとひらの はなびらのごと もずのにえ)

 

師岡洋子(もろおか・ようこ)「鳰の子」同人の第一句集。

文學の森刊。

驚いた。

この方は本当にうまい。

俳句の世界で「うまい」という言葉は、あまり、褒め言葉として使われていないが、これはいい意味で言っている。

おおまかな表現だが、句に「雑味」がない。

多くの人が、一句に過剰な「詩」や「情」を加えよう、或いは技術的に優れたものにしようと「余計な表現や言葉」を加える。

また、同じように、雑味のある「二句一章」にしようとする。

私が言っている「雑味」というのは、過度な言葉の装飾、情の押しつけ、無理のある二句一章などである。

『水の伝言』にはそういうものがない。

まるで高野素十の「純粋写生」を読んでいるようである。

それでいて、句が面白く、溌剌としている。

天賦の才を感じる。

プール出る鬣のごと水を引き

小窓ある箱で届きしカーネーション

青芝に乾杯の卓ととのへり

新藁の匂ひまみれの仔犬かな

もう少し降ればよい雨ねこじやらし

縫初はまづとれさうな釦つけ

帯解きてよりの喪心春深し

雪折や名所をつなぐ竹の道

蟋蟀の隠るる雨の大工箱

にじみたるやうに川暮れ祭笛

どの句にも破たんがない。

そういう句集はある意味、淡白で物足りなさを感じてしまうものだが、『水の伝言』にはそういうものがない。

写生の眼がしっかりしていることもあるだろう。

さらに、二つほどのことを指摘したい。

柴田多鶴子「鳰の子」主宰の序文や著者略歴にあるように、作者は元「ぐろっけ」(品川鈴子主宰)の所属であった。

品川鈴子さんの「ぐろっけ」は山口誓子門である。

柴田主宰も、誓子門の系統と考えていい。

誓子俳句の素晴らしさはいろいろあるが、私は「もの」の存在感が巨大であることを挙げたい。

今風に言えば、「もの」の存在感が「半端ない」ことである。

七月の青嶺まぢかく熔鑛爐

の「熔鑛爐」、

夏の河赤き鉄鎖のはし浸る

の「鉄鎖」、

蟋蟀が深き地中を覗き込む

の「蟋蟀」、

海に出て木枯帰るところなし

の「木枯」、

扇風機大き翼をやすめたり

の「翼」、

夏草に汽罐車の車輪来て止る

の「車輪」などなど。

もちろん「もの」で詠う伝統は、高浜虚子の「ホトトギス」の伝統でもあるが、この存在感の強さは「ホトトギス」以上である。

無機質な塊が一句の中にデンと存在している。

『水の伝言』にもそれがある。

上記の句で言えば、

プール出る鬣のごと水を引き

の「鬣」、

雪折や名所をつなぐ竹の道

の「竹の道」、

蟋蟀の隠るる雨の大工箱

の「大工箱」、

にじみたるやうに川暮れ祭笛

の「祭笛」(これは「もの」というより「音)、

或いは、

吊橋を大きく揺らす登山靴     洋子

の「登山靴」。

「吊橋を揺らす」などという表現は腐るほどあるが、この「登山靴」の存在感はどうだろう。

登山を済ませて来たのか、意気揚々と吊り橋を渡ってくる登山者の様子を「登山靴」という「もの」で表現している。

ここに誓子に連なる「ぐろっけ」「鳰の子」の系譜を見る。

現代はしゃべり過ぎ俳句、感覚・情緒優先の俳句が氾濫している。

その中で、俳句の本来の素晴らしさ、未来への可能性を示唆してくれる句集である。

もう一つ言いたい。

これは、上記の「もの」と関連している。

『水の伝言』を読んでいる最中、私は、高浜虚子のある文章を思い出した。

引用する。

俳句を十七字を以て詩の体となす。
すでに十七字を以て詩の体をなす以上は、散文のごとく、上下に引き続く語勢を有すべからずして、その中には中心点あり、首尾あらざるべからず。
切字はすなはち十七字をして首尾あらしめ中心点あらしむる所以にして他の語を以ていへば、句にしまりあらしむるなり。  高浜虚子『俳句入門』

虚子は「切れ字論」などというものはさして大切なものではない、と言い、上記のことを書いている。

つまり、いい句には「中心点」というものがあり、それがあれば自然と「切れ」は生まれているのだ、と述べている。

詳しいことは以前、ブログに書いたことがあるので、そちらを読んでいただきたい。

ブログ「虚子は切れ字は大切ではない」と言った?

https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/17043973.html

さきほどの「もの」は、まさしく句の「中心点」となっている。

それゆえ、自然と切れも生まれていて、読んでいて鮮明な印象を覚えるのである。

いい俳句をつくろうと思い、それが達成できれば、自然と技術や技法は、句の中に納まっている、ということだ。

さて、冒頭の句である。

この句も同様の効果があり、句集の中でもっとも印象深かった。

「もの」の存在感、一句の中心点がまったくぶれていない。

誰だったか忘れたが、芸術というのは、ものに生命を吹き込むことだと言う。

この「鵙の贄」は、この句によって「永遠のいのち」が吹きこまれ、「一片の詩」となったのだ。

詩歌の力の本質を見たような気がする。

 

句集・結社誌を読む3~「あだち野」

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「あだち野」2017年アンソロジー

 ~結社誌(主宰・一枝伸)、師系・土生重次、東京都足立区

 

結社誌名の「あだち野」は現在の東京都足立区周辺の古名。

平成9年に創刊。

一時期、一枝主宰の体調不良などにより休刊となったが、矢作十志夫さんの編集長就任を機に、年に一度、アンソロジーという形式で復刊。

巻頭随筆は、

池田澄子「船団」「豈」「面」

村上鞆彦「南風」主宰

日下野由季「海」編集長

と、外部の豪華な顔ぶれが担当。

池田さんが「摂氏一度と一語」、村上君が「新よりも深」、日下野さんが「『今』を生きるということ」というテーマで執筆している。

他に、

異論俳論4 新しい釣果を求めて  一枝伸

主宰作品

あだち野歳時記 ※季語と、その季語を詠んだ「あだち野」会員の例句を紹介

会員作品欄

あだち野俳句会関連記事

レポート 花見吟行、牡丹吟行、初夏吟行、初冬吟行

トピックス

などがある。

編集長である矢作さんは、昨年、俳人協会全国俳句大会最優秀賞を受賞するなど、さまざまなところで活躍を続けている俳人であり、なおかつ、元「ダヴィンチ」編集長という経歴を持つ。

誌面の至る所に「プロの編集者」の冴え、センスの良さが感じられる。

誌面の中で特に目を引いたのは、

「トピックス~足立俳連俳句大会で上位独占」

足立俳句連盟主催の俳句大会で、1位と2位を「あだち野」の会員が独占、という快挙を果たしている。

会員全体のレベルの高さ、充実ぶりが伺える。

総合1位(足立俳句連盟賞)

少年の夢は直線夏つばめ   天野みつ子

総合2位(足立区長賞)

母の日の介護の湯舟あふれをり  矢作十志夫

【主宰作品】より

東京の雪の一日ヘリコプター      伸

春一番二番三番一軒家

日を弾く一枚いちまい柿若葉

江戸よりの千住大橋更衣

【会員作品・花王集】より

歌留多跳ぶ畳の青さよかりけり   松木靖夫

尺取の尺取り損ねひと踊り     水本ひろ人

一年をぐいと流して蕎麦湯かな   西川政春

甲虫にらみ合うても戦わず     伊藤正玄

寒柝のあとに子供の声そろふ    礒貝尚孝

遠の目を土に戻して耕せり     村井栄子

花芒古墳を囲む水たひら      河合信子

親の目を盗んで仔猫もらひけり   二瓶里子

踊りだす洗濯ばさみ桜南風     菅沼里江

秋の風頬にやさしく島めぐり    小松トミ子

八十路より眺める世間草若葉    尾形けい子

いたはられいたはる齢花の冷    天野みつ子

この星を分け台風とハリケーン   石田むつき

イメージの狂ふのつぽのチューリップ  澁谷 遥

トンネルを八本くぐり海の家    竹内祥子

夏来れば夏のかたちに暮らしけり  岡田みさ子

風光る硯の海もひかりをり     越川てる子

新聞に切り抜きの窓夏休み     柿﨑瑛子

富くじに夢を追ひたる寺の花    國井京子

ひめゆりの少女曝書のなか老ゆる  矢作十志夫

作品全体としては喜びあり、悲しみありの、さまざまな作品世界が展開されているが、どの作品にも「向日性」が感じられる。

一枝主宰の指導の賜物であろうが、東京下町の人間が持つ先天的な明るさにも思える。

明るい、のびのびした生活詠が多く、それらが輝きを放っている。

同じ下町生まれの私などには、どこか懐かしく親しみを感じる作品群である。

あまり小難しいことや難解な表現を用いず、言葉の持つかがやきを大切にしているようだ。

昨今の俳句は、過度なインテリジェンス、或いは、奇抜な表現、取り合せなどが評価されがちだが、そういうところにばかり目が行くのは、鑑賞者の質が低いから、と言わざるを得ない。

こういう素直な表現からにじみ出てくる人間性、文学性、言葉の持つ輝きなどを味わうべきであろう。

悲しい句も過度の情の吐露を避け、淡々と表現することにより、しみじみとした人生哀歓を感じた。

 

【発行所】

〒123-0873 東京都足立区扇1-34-22

発行人/一枝 伸

編集人/矢作十志夫

 

※句集、結社誌、同人誌、俳句アトラスまでお送りください

 

句集・結社誌を読む2~斎藤夏風『辻俳諧以後』

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斎藤夏風句集『辻俳諧以後』~発行人・第七句集を刊行する会

 

斎藤夏風「屋根」主宰は平成29年に亡くなった。

同年、後継誌「秀」が創刊され、染谷秀雄氏が主宰を務めている。

つまり、これは「遺句集」なのだが、そうは呼ばず、「第七句集」としている。

そこに元「秀」同人、会員たちの悲しみがある。

第六句集『辻俳諧』以降(平成21年~29年)の作品が収められてあり、年譜・あとがきを染谷秀雄「秀」主宰が書いている。

主な略歴を以下に。

 

昭和6年 東京生まれ

昭和23年 関東配電(現・東京電力)入社

昭和24年 早稲田大学第二法学部入学(結核療養の為、中退)

昭和28年 「夏草」入会、山口青邨に師事

昭和40年 「夏草」編集長

昭和61年 「屋根」創刊、主宰

平成11年  俳人協会理事

平成23年  俳人協会賞受賞

句集に『埋立地』『桜榾』『次郎柿』『燠の海』『禾』『辻俳諧』

 

青邨門には優秀な人材が多い。

深見けん二、有馬朗人、黒田杏子などがいる。

夏風氏も、その系統に連なる。

感銘句を以下に、

 

クリスマスケーキ手向けてまだ暮れぬ

春コート雨粒のせてつまびらか

信心のそこに湯の神月の峰

ひびくかに大國主命の鏡餅

茶畑のうねりは長し日脚伸ぶ

花びらのいくつ目高の前うしろ

望月の影踏み遊び佃島

鳥渡る地の草なほもみどりにて

魚野川くらみ増しつつ下り簗

水切のしぶき小さくつばくらめ

水打つてひかり一枚ひろがりぬ

 

どの句も「上質」と言っていい。

写生を基本とした、凝縮した目の持ち主である。

青邨は虚子門の重鎮であるから、夏風氏も「花鳥諷詠」の継承者であるが、「美」というよりは、風景を通して、正直な心の奥底を覗き見ようとしている。

「あとがき」によれば、この句集は元「屋根」同人や「秀」会員からの募金で発刊できた、という。

これも俳縁であり、夏風氏の人柄がいかに慕われていたかがわかる。

 

※句集、結社誌、同人誌、俳句アトラスまでお送りください

 

(林 誠司)