句集・結社誌を読む28~「残心」2018年冬号(第14号)

「残心」2018年冬号

 

「残心」2018年冬号(第14号)

主宰・編集 中戸川由美

結社誌・季刊・通巻14号・神奈川県横浜市・創刊 中戸川由美

 

中戸川由美主宰は、「方円」創刊主宰・中戸川朝人の娘。

朝人主宰は大野林火門。

大野林火は、野澤節子、松崎鉄之介、大串章など、優秀な人材を育てた。

朝人氏もその一人。

由美主宰から話を聞いたことがあるが、大変俳句指導に熱心で厳しい人であった、という。

「残心」はその厳しい俳句の詩精神を継承している結社だ。

良く知られた句に、

 

ひかり捨てひかり捨て鴨引きゆけり

 

がある。

これを見てもわかるように、自然の厳しさ、神々しさを抒情的に詠いあげた俳人で、2011年に84歳で亡くなった。

「残心」は朝人氏の句集名でもある。

 

「残心」巻頭では「朝人の一句」を紹介し、由美主宰が鑑賞している。

 

影を曳くものに加はり寒卵

中の卵は殊に滋養に富むと言われている。

卓上に置かれた寒卵がうっすらと影を落としている。

朝人は青春時代結核に倒れ、療養生活を余儀なくされていた。

栄養士をしていた姉がお見舞いによく卵を差し入れてくれ有り難かったと聞いている

当時、卵はかなり貴重なものであった。

死線を越え生きて今あるおのが命。

寒卵の影さえいとおしい。

この句にはそんな思いが込められているように思えてならない。

 

主宰作品「舫ひ綱」より

はつあきやフジタの女発光す      由美

弓返しのあとの残心秋のこゑ

逍遥の果てに港のいわし雲

シャンソンにひろふ仏語や秋深し

舫ひ綱色なき風に放ちけり

新米のどかと届けり帯祝

観音のいま日面に朝人忌

駅出でてひとりにひとつ冬満月

 

「残心」というべきか、「方円」というべきか、朝人氏にしても、由美主宰にしても「港ヨコハマ」の匂いがする。

どことなくハイカラ(…ちょっと古い表現だが)、「潮風」の匂いがする。

特に、

舫ひ綱色なき風に放ちけり

には、透明感のある抒情を、

駅出でてひとりにひとつ冬満月

には、都会の淋しさと、ある意味、カッコよさも感じる。

 

同人作品より

華やぎてよりの淋しさ走馬灯   大胡芳子

とんばうの乗る山の風沢の風   中島吉昭

尼寺に飛び交ふ栗鼠や秋澄める  西田啓子

新涼やみづみづと星拭はれて   島端謙吉

幼くて知りし淋しさ走馬燈    徳永武子

片陰や古地図に辿るビルの街   渡辺育子

暁光に竹の葉さやぐ冬の寺    柴田悠山

虫の夜の闇に濃淡ありにけり   木村登龍

墓参り小さき旅めく野紺菊    志田洋子

 

11月は朝人氏の忌月。

誌面では朝人氏との思い出などをつづったエッセイなども掲載されている。

   

 

 

 

 

 

句集・結社誌を読む27~「響焔」創刊60周年記念号

「響焔」創刊60周年記念号

 

「響焔」創刊60周年記念号(平成30年12月号)

主宰 山崎 聰 編集 駒 由美子

月刊誌・月刊・通巻606号・千葉県八千代市・創刊 和知喜八

 

和知喜八は加藤楸邨門であり、社会性俳句の旗手であった。

現在の信条は、

 

現在、ただいま生きている人間をふたりごころで詠う

 

これは喜八晩年の信条らしい。

 

総ページ250を越える、圧巻の一冊。

 

創刊60周年に当たって   巻頭言 山崎 聰

主宰作品「寧楽」          山崎 聰

創刊60周年記念俳句大会記念講演「俳句の条件」      山崎 聰

はるかなる後ろ姿ーわが師山崎聰と30年

 

の他、

 

PART1 60年の節目を思う

PART2 60周年と私

PART3 私の一句

PART4 思いを込めて

PART5 白灯の輝き

特集 山崎聰第七句集『流沙』

対談 よもやま

 

などが掲載されている。

特筆すべきは巻末。

創刊号である「響焔」創刊号(昭和33年)と復刊号(昭和44年)が再掲載されている。

 

創刊主宰・和知喜八の作品(復刊号)を以下に。

 

葉は絶えず風を失いポポ実る      喜八

向日葵の翼息子が旅に出て

稿すすみバナナの黄色起きており

巣燕の喉ダムの霧さびしかり

禿頭映りてダムの河鹿鳴く

 

この大胆な二物衝撃は面白い。

こういう二物衝撃は今ほとんどない。

これは現代俳句の読解力低下によるものと考えていい。

昔は、この句の良さを明確に説明できる鑑賞者がいた。

現代の俳句のレベルの低下は、作者の問題もあるが、なにより優れた鑑賞者の不在によるところが大きい。

 

創刊号の和知喜八の巻頭言「響焔は主張する」を紹介したい。

 

庶民は何時如何なる時代も

庶民として自らの表現形式をもつだろう

だが俳句も亦詩である以上

未来永劫に生き得る機能をもたねばならぬ

吾々は俳句のもつ慰戯性を排除し

伝統の揺籃に貪り眠るを拒否する

 

詩の形態は感覚によって決定される。

俳句と雖も一形式の固守継承は

芸術本来の帰趨に反する

吾々は俳句に奉仕する人間としてではなく

俳句を駆使する作家として

ここに集う

 

こうして眺めると、さまざまな主張が明確に主張されていて、当時の熱気を感じる。

私なりに要約すると、俳句は庶民の詩であることを認めつつも、伝統を盲目的に守るのではなく、内容・形式ともに革新していかなければならないということ。

俳句の奉仕者ではなく、駆使する者でありたい、ということ。

個人的には「俳句を駆使する」という考えは、やや傲慢な感じもする。

ただ、この熱気は見習うべきものがあるだろう。

句集・結社誌を読む26~沼尾将之句集『鮫色』

沼尾将之句集『鮫色』

著者:沼尾将之(ぬまお・まさゆき)

句集名:鮫色(さめいろ)

第一句集 ふらんす堂 平成30年10月29日

 

屋根といふ屋根は鮫色東風荒れて

 

埼玉県久喜市在住、「橘」同人。

略歴を以下に。

 

昭和55年 埼玉県狭山市生まれ。

武蔵野美術大学油絵学科卒。

平成21年 「橘」入会、松本旭に師事。

平成23年 「橘」同人。

第29回「橘」新人賞、第42回埼玉文学賞受賞。

俳人協会会員。

 

「俳句界」編集長時代、何度か原稿依頼をしたことがある。

その作品にとても好感を持った。

同じく編集長時代、「橘」の全国大会に取材した時、表彰の為、何度も壇上に上がっている姿を見て、いよいよ頭角を顕してきたな…という印象があった。

その作者の待望の第一句集である。

 

白梅の縦にころころ吹かれをり

利根川と荒川の民鰻食ふ

八千草の撓ふ数だけ貨車行けり

弾みたる着地も孕雀かな

 

特に「白梅の」の句に感心した。

ごく初期の句で、素直に写生に徹している。

「縦」というのがいい。

風に吹かれてころころところがってゆく白梅の花の様子がよく見える。

しかも、その花の様子に躍動感がある。

その躍動感はそのまま春の息吹へとつながっている。

また、「利根川と」の句には、産土である「さきたま」(埼玉の古称)への、冷静な視線を保った愛着が感じられる。

この「写生」と「産土への愛着」は句集『鮫色』を一貫したものである。

 

寒鮒に浮世は見せず放ちけり

川なりに泳いでをれば巾着田

朝東風や湾はその碧失はず

詩心なきときは絵ごころ草青む

 

作者は美術教師だった、という。

「詩心」の句はいかにも美術教師らしい。

 

屋根といふ屋根は鮫色東風荒れて

 

句集名はこの句から取ったという。

「鮫色」という感性が素晴らしい。

同じ、埼玉の俳人で、金子兜太氏の代表句に、

 

梅咲いて庭中に青鮫が来ている

 

がある。

この句に出て来る「鮫」は、戦友が散った南国の海の象徴、その海に散った戦友の命の象徴、そして、梅が咲くころの二月の冷気の象徴である。

作者の「鮫色」は、それほど深刻なものではないが、「青」や「しろがね」などではなく「鮫色」と表現した、作者の独特の感性がいかんなく発揮されている。

伝統俳句でありながら、より文学的で美術的な匂いがする。

句の持つ色彩もまた鮮やかである。

句集・結社誌を読む25~「枻」平成30年11月号

 

「枻」平成30年11月号

 

「枻」平成30年11月号 

代表 雨宮きぬよ 橋本榮治 編集 遠藤真砂子

月刊誌・月刊・通巻273号・神奈川県横浜市・創刊 雨宮きぬよ 橋本榮治

 

難しい字だが「かい」と読む。

平成25年、雨宮きぬよさんの結社誌と、橋本榮治さんの結社誌が「合併」し、誕生したユニークな結社である。

この結社の「合併」というのは当時、話題を呼んだ。

「枻」の創刊、合併の意図がどうゆうことであったかはわからない。

私の記憶では、合併の意図は発表していない、と思う。

 

が、私は当時、「少子高齢化」による会員減少対策であろう、と考えた。

今は少し、夏井いつきさん人気などで、俳句の人気が盛り返した来た感があるが、ほんの数年前までは、悲観的であった。

結社の高齢化は進むが、新しい…、特に若い世代は結社にまったくと言っていいほど入ってこない。

どの結社も会員減少に悩んでいた。

会員が少なくなる、ということは経営が成り立たない、ということである。

この合併結社誌「枻」の誕生は、新しい結社のスタイルになる…、つまり、今後、結社の合併が進んでゆくのではないか、と考えた。

これは悪いことではない。

雨宮さんの師は殿村菟絲子(とのむら・としこ)。

殿村菟絲子は「馬酔木」を代表する女流俳人。

橋本榮治さんは「馬酔木」の元編集長である。

ともに水原秋櫻子門である。

俳句信条に共通するものは多かっただろう。

しかし、意外にこの合併スタイルは、現在、進んでいない。

では別の解決方法が生まれたかというと、生まれていない。

ハッキリ言って消滅を続けている。

それはいいことではない、と個人的に考える。

 

代表作品より

まだ雨を見てゐることも子規忌かな    きぬよ

どの木にも雨の降り出す秋の庵

野分あと勉強部屋にゐる子かな

刃こぼれもなき月光を浴び帰郷      榮治

鳥渡る一竿に済む濯ぎもの

どの草もなびけば秋の草らしく

 

同人会員作品より

尽きるまで上る石段法師蟬    遠藤真砂子

さるすべり学舎の壁の被爆跡   高成田満理子

打水の水をまたぎて佃煮屋    雨宮喜和子

羊水のごとき大空ハンモック   宗像アヤ子

遠花火小さき町に暮らしけり   吉田篤子

さるすべりひねもす空を泡だてて 木野文子

千屈菜の束ねられたる赤さかな  北村和子

引かれたる草立ち上がる原爆忌  藤田千代子

雨乞の音を一つに締太鼓     岩澤久子

 

「馬酔木」といえば「抒情俳句」である。

評論家・山本健吉は、「馬酔木」の創始者・水原秋櫻子の句を「きれいさび」と評した。

その句風は今も健在である。

 

句集・結社誌を読む24~「氷室」平成30年11月号

「氷室」平成30年11月号

「氷室」平成30年11月号

主宰 尾池和夫 名誉主宰 金久美智子 編集 尾池和夫

結社誌・月刊・通巻312号・京都府宇治市・創刊 金久美智子

 

主宰作品「瓢鮎抄(119)」より

香を聞くひととき月に雲流れ      尾池和夫

雲掃くは魔女の帚か居待月

山里に菊の残るれる木喰仏

蜩にひぐらし重ね志明院

奥美濃や酒の肴に山胡桃

 

尾池主宰は京都大学総長を務めた知性派。

東京のお生まれらしいが、今は宇治市に住む。

いかにも京都の風情に満ちた作品群である。

「香を聞く」とは「聞香」(もんこう)のことであろう。

香炉からの香りを「聞く」のである。

「香を聞く」というのは「嗅ぐ」とは違うそうだ。

心を傾けて、香りを聞くことらしい。

こういう句が見られるのは、いかにも京都の結社らしい。

「木喰仏」「志明院」の句なども同様である。

一方、「魔女の帚か」などという句もある。

尾池氏は地震学者である。

 

「氷室」は金久美智子氏が京都で創刊した。

「氷室」は、氷や雪を保存し、貯蔵する場所である。

なんとなく北国の印象があるが、京都の山奥に、昔、たくさんあったらしい。

金久氏は長年、主宰を務めたが、今は健康上の理由で作品を発表していない。

 

巻頭に、与謝蕪村、石田波郷、小林康治、金久美智子、尾池和夫の作品を掲げる。

たまたまではあろうが、蕪村の作品があるのも京都らしい。

巻頭でわかるように、「氷室」は石田波郷の「鶴」から生まれた結社である。

波郷は、中村草田男、加藤楸邨とともに人間探求派と称された。

近年、立て続けに草田男の「萬緑」、楸邨の「寒雷」が終刊した。

波郷の「鶴」系にはぜひ頑張って欲し、という気持がある。

 

同人、会員作品より

喉越しの水しみじみと原爆忌    友永美代子

冬瓜切る力かげんと煮る加減    尾池葉子

歩かねば分らぬ地形鷹渡る     長野眞久

家中の窓あけてある文月かな    三和幸一

つくつくし岩の凹みは棹の跡    矢削みき子

手から手へ草市のもの滴らす    松本節子

荒砥石の疾くと水吸ふ残暑かな   余米重則

絵馬堂の軒先に吊り夜店の灯    吉田恭子

秋晴や開き癖ある鳥図鑑      大口彰子

宗祇忌や淵に飛び込む郡上の子   本庄百合子

 

波郷系俳句の良さは、一言で言えば「詠み下し」である。

松尾芭蕉は言うように、一気に句を詠み下すのである。

それゆえ、余計な言い回しはしない。

芭蕉と競う

と言った、格調の高さがある。

 

句集・結社誌を読む23~「帆」平成30年11月号

「帆」平成30年11月号

「帆」平成30年11月号

主宰 浅井 民子 編集 岸 克彦

結社誌・月刊・通巻319号・東京都国立市・創刊 関口恭代

 

主宰作品「とことはに」より

とことはに秋天あをし天守跡     民子

うづたかき白紙原稿桐一葉

秋麗や受くる花束ばら尽し

勝鬨をくぐるこれより秋の海

息荒く駈け寄る栗毛天高し

浅井主宰とは、これまで何度もお会いしているが、清潔で物腰の柔らかい人物である。

作品も同様、どの句にも清潔感がある。

言葉が簡潔で、余計な形容詞、形容動詞など修飾語を多用しない。

例えば、山口誓子の句などがそうであるが、誓子のような乾いた抒情ではなく、しっとりとした艶がある。

女性だから、ということもあろうが、おそらく、言葉の選択がしなやかなのである。

また、「転換」の句に“冴え”を感じる。

例えば、

うづたかき白紙原稿桐一葉

「うづたかき白紙原稿」には「静」があり、そこから「桐一葉」には「動」への転換がある。

また、「白紙原稿」には透明感があり、「桐一葉」には「愁い」が生まれる。

つまり、一句の中で、「静から動への転換」「透明感から愁いへの転換」である。

俳句の「もどき論」「二句一章論」を言うまでもなく、俳句の醍醐味は「転換」にある。

勝鬨をくぐるこれより秋の海

も同様。

「勝鬨」という言葉には、いい意味でも悪い意味でも「人間臭さ」がある。

そこを抜けると、澄み渡った「秋潮」が広がっているのだ。

「凝縮」から一気に「澄み渡った景色」へと展開してゆく。

まあ、俳句をこうやって理論で固めてはいけないが、そういう「転換」の妙、というより、詩の世界を一気に開いているのである。

誌面に戻る。

浅井主宰はこのたび、日本詩歌句協会の第14回日本詩歌句随筆評論大賞の俳句部門大賞を、句集『四重奏』で受賞した。

11月号では、授賞式の模様が報告されている。

「受賞の言葉」より。

『四重奏』は平成22年の「帆」主宰を継承しました時から平成29年までの八年間の作品を収めました。

大きな転換点、変化の時、そして多少の困難もありましたが、この間、より良い結社、より良い作品へと「帆」の仲間と共に俳句を楽しみ歩んで来ることが出来ました。

 

「会員作品」より

陸稲刈る日曜農の父の靴        大木 舜

猪と熊の命をいただきぬ        構井陽子

秋の朝慣れし手順の紅茶二杯      上阪信道

空耳か鶏頭にはて喉仏         鈴木照子

これがまあ朝から待てる今日の月    名小路明之

迷走の千の羊の夜長かな        廣瀬 毅

縄文の土偶の目開く月今宵       海老澤正博

誌面では他に、

十月の詩               大木 舜

受贈誌管見~「風の道」「樹氷」    海老澤正博

私の好きな十句(「帆」9月号)     構井陽子、谷藤房枝

随筆「地球めぐり」(40)        上阪信道

受贈句集紹介             土屋義昭

受贈誌より転載

これらの執筆陣は、作品欄でも活躍している。

作品だけでなく文章の充実を目指している姿勢、また、読み物としても楽しめる編集姿勢が感じられる。

句集・結社誌を読む22~「好日」創刊800号記念特別号(平成30年11月号)

 

 

「好日」創刊800号記念号

「好日」創刊800号記念特別号(平成30年11月号)

主宰 長峰竹芳 編集 川合憲子

結社誌・月刊・通巻800号・東京都江戸川区・創刊 阿部筲人

 

平成27年に創刊、詳しく調べていないが、創刊も千葉県。

千葉県を中心に活動を続けている。

組織も大きい。

長峰主宰は4代目主宰。

巻頭に「歴代主宰の短冊」が掲載されている。

虫鳴きし所昼間は跡方なし   (初代)阿部筲人

元朝の松籟おこるかと思う   (二代)星島野風

楪や農俳一世たるもよし    (三代)小出秋光

引力はときどき曲がる芒原   (四代)長峰竹芳

巻頭エッセイ「創刊八百号を迎えて」では、「創刊」についての経緯を簡単にではあるが触れている。

阿部筲人は新俳句人連盟設立にも参加した新興俳句系作家だったが、戦後俳句の一部の人々による「性急さ」に、俳句本来の姿を見失う恐れがあると判断し、「好日」を創刊した、とある。

エッセイでは、「創刊の辞」の趣旨を説明している。

一部抜粋する。

俳句の限界を明確に認識しつつ、自他相通じる人間性を実現しようという趣旨が述べられている。

そして主義主張を掲げることなく、俳句という形式の中で一人一人の個性を発揮できる場をつくることをこころざした。

ここで、特徴的なのは、

俳句の限界を明確に認識

というのと、

主義主張を掲げることなく

である。

「俳句の限界」とはどういうことであろうか。

創刊のいきさつから察すると、

俳句は主義主張やスローガンを盛るものではない。

と思われるが、これは推量である。

それゆえ、

主義主張を掲げることなく

ということになるのかもしれない。

広く考えれば、「限界」と言いつつも、俳句を自由に詠み、俳句の無限性を考えたい、と考えたのかもしれない。

そして、

俳句は孤高の詩ではなく、衆の文芸であることも認識したい。

仲間や同好の士とともに相研鑽し、自己を高めることに意味がある。

と述べている。

主宰及び会員作品を以下に。

好日の日々あり一粒づつ葡萄     竹芳

竹林をゆき芳しき秋と思ふ

私小説めきし日のあり衣被

歳月の声立てず逝く水の秋      蔦 悦子

なるやうになるが口癖鰯雲      吉木フミエ

裏庭に重石が二つ秋の風       小原澄江

草の実や生家といふは海の音     川合憲子

誰彼にかまはれ金魚太りけり     髙橋健文

水澄んで何もなき空あるばかり    橋本敏子

ハイカラのはじめ横浜涼あらた    渡辺順子

向日葵の枯れてこれより傍観者    石井 稔

秋風に開く古民家文化財       宇佐見輝子

唐突に割れて石榴の光りけり     梶間淳子

声掛けは大事な絆秋の風       髙田秀雄

生きるとは残されること秋日傘    寺内由美

美しくパスタ巻きとる九月かな    広畑美千代

わたしだけ降りるバス停望の月    原田美佐子

百選の水の城下や柿日和       潮 桂子

やはらかき畑となりて大根蒔く    川俣婦美子

 

記念号らしく、誌面は十分のボリューム。

通常の作品集、連載以外にも、

「好日」八百号までの歩み   内田庵茂(12ページにも及ぶ大作)

三賞受賞者新作品       三賞受賞者

八百号記念作品集

好日叢書目録(過去の句集一覧)

また、

平成三十年度「好日三賞」発表

好日賞 須田眞里子

青雲賞 藤田由起

白雲賞 広畑美千代

受賞作品の他、審査員の丹念な選評が掲載されている。

 

句集・結社誌を読む21~「青海波」2018年10月号

 

「青海波」2018年10月号

 

「青海波」2018年10月号

主宰 船越淑子 編集 本城佐和

結社誌・月刊・通巻319号・徳島県徳島市・創刊 斎藤梅子

 

四国で「俳句」といえば、なんといっても俳都・愛媛県松山市が思い浮かぶが、徳島市も負けず劣らず俳句の盛んなところである。

徳島県俳句連盟という団体があり、毎年、連盟主催の俳句大会が開催されている。

県内で10ほどの結社があり、大会は各結社が毎年、持ち回りで運営し、開催するのである。

私も以前、「ひまわり」の西池冬扇主宰に依頼され、そこで講演したことがある。

台風直撃の日であったが、400人近い人が集まっていてびっくりした思い出がある。

 

今年は「青海波」が担当。

いきなり「編集後記」の話になるが、今年の大会応募句は過去最高の「3540句」も集まった、と淑子主宰が書いている。

応募句の多い少ないは、その年の担当結社の力によるところが大きい。

淑子主宰は、

(「青海波」会員の)青海波への愛を再確認致しました。

と礼を述べている。

このことでも、会員の「青海波」への愛着、「青海波」の底力が伺える。

 

一つのエピソードを紹介したい。

創刊主宰・斎藤梅子に関することである。

飯田龍太、森澄雄は戦後俳句、特に高度経済成長期の頃の現代俳句の二巨頭である。

その二人が、「現代俳句女流賞」の選考委員をしていた。

女性雑誌「ミセス」を出版する文化出版局が創設した賞で、女性の句集に授与される賞だが、今は消滅している。

だいたい俳句の賞というのは、大御所や大結社主宰が取るものと相場が決まっている。

過去の受賞者も、

桂 信子

鷲谷七菜子

中村苑子

岡本 眸

黒田杏子

と錚々たるメンバーであった。

さて、1985年(昭和60年)の話である。

選考会を数日後に控えていた龍太は、受賞者を決められず悩んでいた。

そこへ森澄雄から電話がかかって来た。

澄雄は興奮気味に、

斎藤梅子という女流俳人を知っているか?

と尋ねた。

龍太は知らないと答えた。

澄雄は、斎藤梅子句集『藍甕』というのがすごくいいから読んでみろ、と言った。

それで龍太も読み、感嘆し、当時、梅子は無名だったが、二人は「現代女流俳句賞」に推薦し、見事に受賞した。

それによって斎藤梅子は一躍、脚光を浴びたわけである。

「青海波」創刊前のことであるから、これは快挙と言っていい。

 

私は、このエピソードを聞くたび、あらゆる俳句賞が、単なる名誉賞、功労賞になってしまった現代を嘆き、澄雄、龍太という「慧眼」なき現代俳句を悲しむ。

これは「青海波」の人から聞いた話で、「青海波」の人々にとって、このエピソードは「青海波」の誇りなのである。

現在は、梅子氏逝去により、妹の船越淑子さんが継承している。

淑子さんの話を聞くと感嘆する。

梅子氏も淑子さんも、関西で俳句を学ぶため、毎月何度も船に乗り、関西へ出かけたそうである。

当時は明石大橋も鳴戸大橋もなく、関西へ行くのは船しかなかったのだ。

私はその光景、船に乗って鳴門海峡、或いは紀伊水道を渡ってゆくお二人の姿を空想してしまう。

お二人の情熱、志の高さを尊敬するのである。

 

さて、誌面である。

巻頭の斎藤梅子氏の作品。

 

十月や魚が目を張る船の胴

火の恋し祖谷は夜へと岳つらね

秋まつり栃の幹より子の出で来

 

特に1句目は「さすが」と思う。

「目を張る」がいい。

ものすごい臨場感である。

こんな臨場感のある写生句は滅多に見れるものではない。

「船の胴」も実に細かく、巧みだ。

並の才能なら、「船の上」「船の中」程度であろう。

季語「十月」の斡旋も素晴らしい。

青く澄んだ空、海原が見えてくる。

 

10月号から感銘句を以下に。

 

戦争が海峡の沖灼けてゐた     船越淑子

まつさらな空の深きへ門火の炎

置き去りの箒真夏の石畳      松村和子

芝居絵の地獄をともす土佐の夏   日野繁子

百畳の開け放たれし蝉の声     竹本良子

初潮や世界遺産へ渦巻けり     濱本紫陽

大橋に晩夏を惜しむ海の色     石井政子

夕焼けて百の島々光り合ふ     本城佐和

燃える燃える空気の燃える炎天下  仁田典子

手のひらで切る水蜜桃の魅惑    長谷川公子

鷺草を咲かせ女は風となり     岩本敏子

夏の夜や山の吐き出す水の音    秋田芳子

あいうえお習つたばかり夏休    佐伯さちこ

 

関東人の私のとって「青海波」誌を読む楽しさは、阿波や四国の風土ならでは俳句を読めることである。

船越氏の「戦争が」、日野氏の「芝居絵の」、濱本氏の「初潮や」、石井氏の「大橋に」、本城氏の「夕焼けて」がそうである。

こんな俳句は私には逆立ちをしても出来ない。

風土、そして風土俳句というものを眩しく思う。

 

連載では、

「折々随想」…佐藤 武

「阿波の藍甕」…堤 高数

などがある。

手前味噌だが8月号より、

「管見」…林 誠司

つまり私が執筆を担当している。

これは、「青海波」会員作品鑑賞である。

 

句集・結社誌を読む20~日下野由季句集『馥郁』

 

日下野由季句集『馥郁』

著者:日下野由季(ひがの・ゆき)

句集名:馥郁(ふくいく) 

第二句集 ふらんす堂 平成30年9月25日刊行

 

ひとりではなくて北窓ひらきけり

 

日下野由季さんの待望の第二句集。

30代より「海」編集長を務める俊英である。

私が編集長時代、文學の森主催の山本健吉評論賞を受賞している。

記憶があいまいだが、おそらく女性初の受賞者である。

師である高橋悦男「海」主宰の師、野澤節子の評論で、選考委員の大輪靖宏・坂口昌弘両氏とも1位で一致し受賞した。

このように書くと、「理論派の人」と思われるかもしれないが、そうではない。

むしろ俳句に於いては「しなやかな感性の人」というイメージがある。

30歳で刊行した第一句集「祈りの天」もしなやかな感性に満ちた好句集だったが、今回はそれに「豊かな静けさ」が加わった感がある。

「祈りの天」にそういう部分がなかったわけではないが、どこか、青春や若さゆえのざわざわとした心の揺れがあった。

もちろんそれも若き俳人の作品特有の魅力で、それが悪いという意味ではない。

ただ、今回の「馥郁」は、句集名を較べてみるとわかるように、どこか心の安定が伺え、それが俳句の「純度」を高めている。

 

感銘句を以下に。

揺れやむは泣きやむに似て藤の花

桐咲くや忘れしころに来る手紙

径ゆづるとき秋草に濡れにけり

風を聴くかたちとなりてうす氷

まだ見つめられたくて鴨残りけり

虹を見しことをはるかな人に告ぐ

羅を水のごとくに纏ひけり

またひとつ星の見えくる湯ざめかな

ただ晴れて虚子忌の空のありにけり

吹かれたるままに歩きて花の岸

春の山生きるものとは光るもの

まほろばの風はるかより更衣

ポンプ井戸押せば夏日の迸る

今日の月思ふところに上がりけり

秋めくとショパンに針を下ろしけり

詩に生きて人悲します啄木忌

口づけを受く手の甲や夜半の秋

朝霧や眠らぬ街をゆく運河

水澄めり受胎告知のしづけさに

鳥雲に入る灯台に窓一つ

さかしまに叩く屑籠花ぐもり

てのひらに指で書く字や蝶生まる

流星の強く短く山の端

大空を来て水鳥となりにけり

いきいきと巌の生まるる春の潮

紫陽花の大きく白を尽くしけり

鳶の輪のゆるむことなき初御空

星涼しいのち宿るをまだ告げず

こうし見ると、やはり、『祈りの天』の頃の「ざわざわ」としたものが消えている。

彼女の俳句は「心から湧いてくるもの」を基調としている。

そして、その心は常に汚れてはならないもの、でなければならない。

 

栞文は大木あまりさんが執筆。

あまりさんは、彼女の俳句について、

感性の豊かさ、柔軟な発想が際立っている

と述べ、

どのページをめくっても、透明な句に出会うことができる

と称賛している。

 

掲句は私がもっとも感銘した句。

「ひとりではない」とはご主人のことか、或いは、この句のあとに出てくる、身の内に宿った命のことか。

「ひとりではない」ということは、以前は「ひとり」だった、ということである。

もちろん家族にも、句友にも恵まれている彼女だが、若さゆえの「孤独感」というものはあっただろう。

人はおのれの使命や生きがいを見いだした時、孤独を忘れることができる。

私にはこの句は、妻として母として、そして自分の俳句人生を含めた人生というものに確固たる「道」を見つけたことへの喜びの一句であると思う。

「北窓」は「迷い」を象徴している、と考えていい。

 

 

句集・結社誌を読む19~「蒼海」創刊号

「蒼海」創刊号

「蒼海」創刊号

主宰 堀本裕樹 編集長 浅見忠仁

結社誌・季刊・創刊号・東京都千代田区・創刊 堀本裕樹

 

若手のトップを疾駆する俳人・堀本裕樹氏が結社誌を創刊。

夏井いつきは別にして、彼ほどマスコミで活躍している俳人はいない。

それは俳句の普及、発展に大きく貢献している。

今回、満を持しての主宰誌創刊である。

さすがに俳壇のスター。

特別寄稿に錚々たる俳人の名が並ぶ。

池田澄子

茨木和生

上野一孝

宇多喜代子

小川軽舟

小澤 實

櫂未知子

片山由美子

黒田杏子

高橋睦郎

西村和子

星野高士

随筆にも以下の方々の寄稿が続く。

鎌田東二

石田 千

中上 紀

長嶋 有

穂村 弘

又吉直樹

町田 康

主宰作品「さやけかれ」より

桔梗を剪るときこころさやに鳴る

切り岸を駈けのぼりくる虫の声

爛爛と海見よそこに颱風来

きりもみの鴎に深空澄みにけり

最果てを見むと沖見るさやけかれ

「創刊の辞」より抜粋する。

太陽の下、無垢に煌き渡る海原に眼を奪われるとき、このような雄大で深く真っ青な一句をいつか物することができればと思いを馳せる。

「蒼海(滄海)の一粟」という成句がある。

これは広大な青海原に、極めて微小な一粒の粟が漂っていることになぞらえ、宇宙における人間の存在の微塵を譬えている。

天地のあわいに佇むとき人間は、ごく小さな儚い存在となる。

そのことを自覚し、自然と交感しながら俳句を詠みたい。

(後略)

彼とは間接的な思い出がある。

私が「俳句現代」の新米編集員だった時だ。

俳句現代賞という若手のための登竜門の賞があった。

彼はそこに「熊野曼荼羅」という作品で応募した。

最終選考まで残ったが、受賞はならなかった。

会社関連のパーティーの時、取引のデザイナーだったか、外部校正者だったか忘れたが、私のところに来て、

私は彼(堀本裕樹)の作品が一番よかった。

なぜ、取れなかったんでしょう?

と私に聞いた。

私は選考委員ではないし、賞に編集者の思惑は関わってはいけない。

(まあ、そのころ、私は新米で、関わることなんて、はなから出来ないのだが…。)

その時に私なりの見解を述べた。

選考委員の出した結果を尊重しつつ、無難な答えを返した記憶がある。

ただ、私も彼の作品は気になっていて、内心、その人と同じ思いはあった。

その後、彼は私が「河」を辞めた頃、「河」に入会した。

私とは入れ替わったような感じで、面識はなかった。

その後、めきめき頭角を顕し、わずか数年で「河」編集長に抜擢された。

その後、「河」を退会し、私が編集長を務める雑誌の新人賞に応募し、見事、受賞した。

そのタイトルが、

熊野曼荼羅

だった。

受賞作は句集にして出版するという特典があり、句集「熊野曼荼羅」が出版され、その句集は俳人協会新人賞を受賞した。

別にそれだけではないが、そのころから彼を注目を浴び、一気に俳壇期待の星へと飛躍した。

熊野曼荼羅

というのは、何か私にとっても思い入れのあるタイトルである。

〈会員作品〉より

白髪のサマードレスの清らなる    加藤ナオミ

カレー屋の跡にカレー屋二月尽    白山土鳩

あの鳥はきつと海まで青葉風     森沢悠子

向日葵を手向け何から話そうか    加留かるか

ビッグデータのゆらめいて蝶生る   サトウイリコ

子蟹らの順に動かすはさみかな    会田朋代

どの句にも類想というものを感じない。

堀本主宰の指導の徹底ぶりが伺える。

どれもが「現代」である。

昨今は「現代」「今」を意識するあまり、俳句の根源を無視する軽薄さがあるが、「蒼海」作品にはそういうものがなく、一句に重厚感がある。

ここから新しい才能がたくさん生まれてくるような予感がある。