中野貴美句集『葛の花』が「雲の峰」3月号で紹介されました!

「句集・著作紹介」~「雲の峰」3月号

 

著者は昭和12年徳島県阿波市生まれ。

平成10年「青海波」入会、斎藤梅子先生、船越淑子先生に師事。

17年「青海波」同人。

22年句集『神楽笛』上梓。

現在、現代俳句協会会員、日本俳人クラブ会員、徳島ペンクラブ会員。

本著は「傘寿を迎えるに当たり」刊行する著者の第二句集である。

船越淑子「青海波」主宰が指導、選句され懇切な序を寄せられている。

同じく船越主宰による帯に、

 

初春の神鼓の渡る山河かな

 

「作者は、俳句は歴史、風土と共にある文芸であることを弁えている。句集『葛の花』は俳句の真髄を心得、一段と表現力に磨きがかかった充実の作品群である。」

とある。

以下、序に抄出の作品より

 

畑中の道は宮へと秋桜

貝塚の深さは知らず鵙猛る

一掬の水なまぬるき広島忌

うれしいときうれしいやうにさくらさく

こほろぎや夫の切らせぬ長寿眉

 

一人の俳人を立体化する如き序と相俟って著者の為人が彷彿とする句集である。

―西田 洋―

渡邉美保句集『櫛買ひに』が「雲の峰」3月号で紹介されました!

「句集・著作紹介」~「雲の峰」3月号

 

著者は1948年熊本県天草生まれ。

2000年柿衞文庫也雲軒俳句塾にて作句開始。

03年「火星」入会(のち退会)、13年「とんぼり句会」参加。

14年俳壇賞受賞。

17年「香天」入会。

岡田耕治「香天」代表は帯文で

 

けむり茸踏んで花野のど真ん中

 

「渡邉美保さんが切り取った風物、それぞれに息を鎮めて立ち会うと、生きることのかなしみは生きることのよろこびだと思えてくる。」

との言葉で称える。

本書は第一句集にして自選句集という。

「主宰や代表の選を仰いで纏めることが多いなか、潔いことである。」

と、ふけとしこ氏は序に記す。

跋では内田美紗氏が著者の進化に期待を寄せる。

自選句より

土に釘つきさす遊び桃の花

薪積む十一月の明るさに

すかんぽの中のすつぱき空気かな

烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに

海鳴りや布団の中にある昔

蓬莱や海ひろびろと明けきたる

実在写生と観念写生を自在に行き来する芯の強さを内在した句集である。

―小林伊久子―

 

 

成瀨喜代(「蘭」同人)句集『東路』出来ました!

成瀨喜代句集『東路』

 

『東路』(あづまぢ)

著者:成瀨 喜代(なるせ・きよ)  「蘭」同人

 

雪道を誰やら搔きてくれたらし

 

成瀨喜代さんは「蘭」最古参のお一人である。

永い人生の悲喜こもごもを前向きにとらえた「生のあかし」が、ここに永遠にとどめられたことを心より喜びたい。

―松浦加古「蘭」名誉主宰―

 

【収録作品より】

わが髪もしだれさくらも風の中

灯台は女神のすがた春光る

声とどく距離に夫ゐる茸採り

利根川を去るきつかけの嚏かな

白鳥引く藍の深きを湖に置き

われに添ふ師の影さくら咲きてより

亡き夫に謝すことばかり天の川

障子貼りこの明るさに一人棲む

待つといふ心の張りや牡丹の芽

影もまた匂うてをりぬ梅林

身に入むやおはすごと置く男靴

二度訣かるる思ひに捨つる白絣

星月夜あふぎ逢ひたき人あまた

 

【著者略歴】

成瀨 喜代(なるせ・きよ)

 

昭和2年(1927)10月 千葉県に生まれる。

昭和57年(1982)   「蘭」入会

平成5年(1993)   「蘭」同人

 

千葉県成田市在住

中野貴美(「青海波」同人)句集『葛の花』出来ました!

中野貴美句集『葛の花』

 

『葛の花』(くずのはな)

著者:中野 貴美(なかの・きみ) 「青海波」同人

 

初春の神鼓を渡る山河かな

 

作者は、俳句は歴史、風土と共にある文芸であることを弁えている。

句集『葛の花』は俳句の真髄を心得、一段と表現力に磨きがかかった。充実の作品群である。

―船越淑子「青海波」主宰(帯文)―

 

【収録作品より】

構へたる欅の白し弓始

うぶすなの風まつすぐに大茅の輪

一人行く又ひとりゆく秋遍路

御手洗にみたす山水夏はじめ

母と子の影もてくぐる茅の輪かな

山は父川は母なり雁渡る

文豪の館へつづく桜かな

楪や水の豊かな阿波に生き

鳥帰る民話の里を置き去りに

竹の秋石にもかつて火の記憶

芽柳や昔藍屋の舟着場

七草や瑞穂の国に生れしこと

 

【著者略歴】

中野 貴美(なかの・きみ)

 

徳島県徳島市在住

昭和12年10月7日 徳島県阿波市土成町吉田生まれ

平成10年    「青海波」入会

斎藤梅子、船越淑子に師事

平成17年    「青海波」同人

平成22年     句集『神楽笛』上梓

現代俳句協会会員 日本俳人クラブ会員 徳島ペンクラブ会員

 

 

お求めは俳句アトラスまで。

【定価】2130円+税

 

 

【句集鑑賞】 杉山久子~渡邉美保句集『櫛買ひに』を読む

 

 

「中にあるもの」      杉山久子(すぎやま・ひさこ)

 

すかんぽの中のすつぱき空気かな

 

『櫛買ひに』を手にしてパラリとめくった時、この句が目に飛び込んできて痺れた。

「酸い葉」とも呼ばれる植物だから噛むと酸っぱいのは周知のことだが、「空気」と言ったことで内側の空間が押し広げられ、ぐっとこちらに近づいてくる感覚がある。

「すかんぽ」「すつぱき」の表記と音の並列も巧い。

そこから渡邉美保さんの作品世界に入って行った。

多くの句がものをよく見てしっかり描写されおり、季語も心地よく響く。

 

どの木にも雨粒光る大祓
魚くはへ腋のゆるびぬ青鷺は
貼りたての障子に大き鳥の影
みどりさすアンモナイトの眠る壁

 

安らかな気息を感じる句たちである。 

 

料峭や島にふふめる山羊の乳
金柑に山羊繋ぎある日向かな
新涼や水平になる山羊の耳

 

近所に山羊が住んでいる筆者としては気になる句で、山羊の体温がほんのり伝わってきそうな心地よさがある。

密かに「山羊三部作」と名付けた。因みに「鯉三部作」もある。

 

えごの花水面に鯉の口動く
鯉の背の藻を引いてゐる盆の雨
日短か泥の浅瀬を鯉が打ち

次の句のような日常のちょっとした機微を捉えた俳諧味のある句もあり、手堅い。

 

ボサノバに合はすアイロン小鳥来る
着ぶくれて打ち解けられずゐるふたり
手袋を脱いで口止めされにけり
これといふ話はなくて衣被
  
しかし、先ほどの山羊や鯉以外にも生き物の句が目に付き始めたころから、いやそれだけではないぞと更に引き込まれていった。

量的にも生き物の句が多いのだが、それらの句を読むと、どうも人間と他の生き物の間の境界がないようなのだ。

 

きのふ鷺けふ少年の立つ水辺
花びらの中に目覚めしなめくぢり
身を反らす伸ばす縮める蛇穴へ
大腿四頭筋鍛へられよと飛蝗跳ぶ
ががんぼに言ひ寄られけり夜のトイレ
円陣を組む九人と蟻二匹

 

一句目、鷺の面影が少年に、少年の面影が鷺に重なってゆくような時間も同時に詠みこまれている。

二句目は、嫌われがちな蛞蝓を美しく詠み上げて、かすかな息遣いが聴こえて来そう。

蛇と飛蝗の句は、人間の肉体の部位や機能と対象のそれが同化していく独特の感覚。

ががんぼは種を超えて積極的にアピールしてくるし、最後の句に至っては、種も体の大小も超えて同志のような親密感。

直後に置かれた、

 

九人のはずが十人ところてん

 

など、もうこの二匹が変身したとしか思えない可笑しさ。

 

くはがたのやうな貌来る溝浚

 

これは明らかに比喩なのだが、顔つきのみならず体つきも硬質でぎしぎしと歩いてくる様子を想像させられる。

よく見ると可笑しい句は他にも沢山あるではないか。

 

痒さうな鶏頭の種とつてやる
耳栓にしようか殻付き落花生
柿剥いて明日はちやんとするつもり
日記買ふついでにニッキ飴を買ふ

 

これから先、鶏頭を見るたびにこちらもなんだか体のどこかがむず痒くなってきて、種を採らずにはいられなくなりそう。

落花生を耳栓になど、小学三、四年生くらいの男子がやりそうなことで、今度落花生を手に入れたらやってみよう。

柿を剥きながらの決心は、これはまあ大人の感覚。

私も非常に共感するし、読み手によって内容や程度の幅がある言葉だが、「ちゃんと」はなかなか言えない。

「日記」に「ニッキ飴」とは言葉遊びだけで馬鹿馬鹿しさもこの上ないのだが、この人とは気が合いそうだと確信した。

手堅いものと新鮮な発想をてらいなく放出したような句のある中で、日常とはちょっと異なる世界へ足を踏み入れる句にも惹かれた。
ふけとしこさんが、

 

ファンタジックな要素が入ってくるようになった。

幻想というか、虚の要素を取り込むというか、物語性というか、世界を拡げてきた…

 

と序文で述べておられる句と重なるかもしれない。

 

烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに

 

かの世と言えばおそらく死後の世界。

晩秋の夕方の暗めの風景の中にぽっと灯ったように見える烏瓜を思った。

かの世から帰ってくるときの目印だろうか。

現世では手にいれられない美しい櫛なのかもしれない。

もし烏瓜の灯りを見失い帰れなくなったとしても行ってしまうのかも。

 

龍淵に潜む卵の特売日

 

想像上の季語と日常感溢れる卑近な事柄を取り合わせた。

卵を買いに行ったその足でそのまま龍の世界へ入り込んでしまいそうな気もする。

「烏瓜」の句との相乗効果かもしれないが、鶏の卵を買いに行ったはずが竜の卵を探していそうなシュールな味わい。

 

サーカス一行箱庭に到着す

 

配置された人形としてのそれらではなく、本物のサーカス団がやって来て、自然と箱庭に入ってゆく気配がこれまた不思議。

最後に、思い切った省略に驚かされた一句を。

 

海鳴りや布団の中にある昔

 

「すかんぽの中の空気」は細やかにその空間を拡げてみせたが、こちらは時間も物質的なものや匂いや感情、渦巻くカオスのような膨大なものを「昔」という一言でもって押し込めた。

読み返すほどに恐ろしさも加わってくる。

美保さんの「中」には面白くて不思議なものがまだまだありそうだ。

次は何が出てくるのか楽しみで、手品を待つ子供のように今わくわくしている。

 

けむり茸踏んで花野のど真ん中 

中田尚子「絵空」同人~落合美佐子句集『野菊晴』を読む

行動力の人 落合美佐子句集『野菊晴』鑑賞     「絵空」 中田尚子

 

『野菊晴』は、落合美佐子さんの第三句集である。平成七年から三十年までの約四百句が収められる。母として娘として、また「浮野」落合水尾主宰の妻として、同誌編集委員として、いくつもの立場をこなしてこられた軌跡がここにある。

 

母ふたり健やかに老い野菊晴

 

 句集名となった一句。平成十三年作。「母ふたり」は当然夫の母と実母である。健やかに老いることのめでたさ、「野菊晴」にそれが象徴される。そして、作者自身がそのことを実感する年齢に差しかかっていたと思う。さらに母の句を挙げる。

 

 悼 五月二十九日 義母九十歳

天寿いま涼しき音の骨拾ふ

涼しさの日々を重ねて白寿かな

百歳を立たせて青き踏ましむる

櫨紅葉百一歳の童女めく

母を置く老人施設花菜畑

一人静遠くへ母を置きしまま

 

 「健やかに老い」し母の変化に、本句集二十三年間の時の重さを感じる。「涼しき骨」に籠もる義母への尊敬と感謝。「白寿」「百歳」「百一歳」には敬服するばかりだが、「立たせて青き踏ましむる」の娘の祈りと行動が胸を打つ。その母を「老人施設」に「置きしまま」にしなければならないことへの罪悪感と哀しみ。読み手は我が身に重ねて深く共感する。あとがきに、母上が百二歳の今も元気でおられることが記されていて、ああよかったと思う。母上の豊かで幸せな人生は、美佐子さんの存在なしにはあり得なかった。これからも、母上は、美佐子さんのほとりで安らかな時を過ごされるだろう。

 『野菊晴』には、この他にも家族の句が多く、家族史として読める一面をもっている。

 

うちの娘でゐられる日数秋ざくら

日向ぼこ胎児ぽこぽこ動き出す

新生児うららか足に名を書かれ

さあ行かう帽子手袋三輪車

かあさんとばあちやん似てるねといとど

 

 母としての眼差しに、初孫を得て祖母としてのそれが加わった。第一句には自解がある。〈名字が変わる。吾が家の娘でなくなる。他人様の名字が付く。あと何ヶ月、あと何日、うちの子でいられるのか。〉(「浮野」30年11月号)このブルーな思いも、初孫が吹き飛ばす。「胎児ぽこぽこ」の弾みに押さえきれない喜びと期待が表出。「新生児」は初孫秀之さんの名が前書きに。そして、この後生まれる二人のお孫さんにも、祖母は句を贈っている。「さあ行かう」は楽しさが溢れる。「三輪車」で情景が一気に浮かぶ仕掛けが見事だ。この作者の句には口語調が時々表れる。「かあさんと」もそうだが、日常会話のさりげないことばが、こんなにも一句に馴染んでしまうとは。後者は孫のことばであろうが、そんなことを言うようになったと目を細めている作者が見えてくる。

 

去年今年医師の言葉を力とす

 

 二十六年作。最終章「白梅」の冒頭に置かれた句。「十二月二十七日水尾脳梗塞にて入院」と前書きが付く。〈「浮野」の行方はどうなるのかと、闇黒の谷へ落ちていくような思い〉であったとあとがきに記されている。がっしりと見るからに健康体の水尾先生であれば、青天の霹靂ともいう出来事であったろう。ご家族はじめ結社の人々の動揺は大きかったに違いない。

 

たてがみの欲しき今なり初山河

 

 しかし、主宰の妻として今こそ己を奮い立たせ、立ち向かおうとする決意をもつのである。水尾先生の句集『円心』(二十七年刊)のあとがきに次の一節が見える。〈妻の美佐子には格別世話になった。介護・家事・渉外・編集等、言葉にならないほどである。〉

 

少しづつ癒えて応へて五日かな

七日過ぐ遠山脈に守られて

山笑ふ癒えて我儘ふえてきて

 

 さらには

 

青田中予後とも見えぬ歩きぶり

パナマ帽先生ぐんと若くなる

 

「たてがみの」の後に続く句群にほっとさせられる。水尾先生は順調に快復され、以前にも増してお元気になられたのである。

 さて、「浮野」今号(30年12月号)に和泉好遺句集『在るがまま』特集が組まれている。和泉好さんは水尾先生の実弟で下田在住の俳人であった。三回忌に当たって上木された句集である。『野菊晴』最終章には、悼句が置かれている。

 

納棺や山抱き入るる夕時雨

冬北斗召されて海を輝かす

野水仙海へ喪心ただよはす

 

「浮野」の特集と合わせて読み、遺句集を改めて読んだ。よき兄弟、よきご家族である。

 もう一人、触れておきたい人と美佐子さんの関わりがある。「浮野」の編集長を長く務められた河野邦子さんである。

 

利休忌や下肢切断の覚悟とは

 

 河野さんは、「浮野」を支え牽引する、美佐子さんにとっては頼れる同志ともいうべき存在ではなかったかと想像する。その人から右足切断の覚悟を告げられたのである。

 

逝く人の側にそのまま春の服

冴返る遺品めきたる庭の木木

来てるはず花人として見てるはず

 

 三年後河野さんはついに亡くなられる。明るい色の「春の服」が悲しみを深くする。「庭の木木」を見ても思い出が蘇り、何度も共にした桜には「花人として」訪れている魂を感じずにはいられない。私事になるが、筆者も河野さんには長年お世話になった。元小学校の教師をしていた河野さんは、俳人協会で教師向け講座の担当をされていて、私は講座委員の一人である。講座を知り尽くし、隅々に隈無く配慮されていた河野さんはなくてはならない方だった。ひょうひょうとしていて、声高ではないけれど言うべき事をおっしゃる方だった。だから、作者の気持ちが私にも少しはわかる。水尾先生と共に、美佐子さんは今も毎月、河野さんの仏前に「浮野」を持参されるのだという。

 こうして見てくると、四章「羊蹄花」から最終章「白梅」にかけての数年間は、作者にとってつらいことの多い日月だったことがわかる。しかし、そんな作者を励ますのもやはり俳句なのである。

 

春ショール八十路の坂を踏み出せり

 

は力強く頼もしい。「春ショール」の軽やかさがよい。乗り越えて歩き始めた作者の矜恃がうかがえる。

 ここからは、心に残ったその他の句に触れていこう。 

美佐子さんの俳句の始まりは「水明」である。

 

つなぎたる手の熱いまもかな女の忌

かな女忌や丸の上手に書けたる子

秋子忌の赤きマフラー手離さず

秋子忌の椿を挿して心とす

 

「つなぎたる」は『野菊晴』掉尾を飾る。自解(前出)に席題でできたと記されているが、『山月集ー忘れえぬ珠玉ーかな女の句 秋子の句』(落合水尾)に、こんな一節がある。

 

東京銀座のおしるこ屋若松の句会にはかな女の杖となってよく出かけた。

かな女の掌はやわらかくて大きかった。

 

 水尾先生若き日のエピソードがベースになっている。「丸の上手に書けたる子」は、「浮野」の作家ならではの作と思う。かな女の教えに〈俳句は、マルを描いて、それに立体感をつけて、自身はその影にそっと居るように表現すればよい〉があるからだ。幼子の描いた丸は絵の一部であったろうが、師の教えがまざまざと蘇った瞬間だ。「赤きマフラー」を手放さなかったのは作者ではなく夫に違いない、と思っていたら「買初めや赤と決めたる夫のもの」を見つけて思わずにやりとした。「椿を挿して心とす」は椿が季語以上の力を発揮している。秋子忌の作には、秋子らしい華やぎが備わり、在りし日の姿を偲ばせる。

 

蚊をつれて動物園を出でにけり

滑り台落花の中にとび出せり

初山河炎のいろの琴袋

膝掛けやすぐ眠くなる年を取る

浮かぶたび遠のいてゆく鳰

 

 「蚊をつれて」のユーモア、「落花の中に」のスピード感、「炎のいろ」の激しさ、「年を取る」の自然体の潔さ、「遠のいてゆく」の確かな措辞。どれもみな小気味よい読後感に満たされて、特に好きな句だ。

 美佐子さんは多くの旅をされてきた。

 

秋の夜や神を呼び出す笛太鼓(国東・高千穂)

納沙布の海霧に眉濃き夕べかな

城塞を海に傾け冬夕焼(イタリア)

潮騒かはた神集ふ水音か (出雲神社祭)

爽やかに靴音はづむシャンゼリゼ

 

 フットワーク軽く、どこへでも出かけられるが、この行動力が美佐子さんの人生を作り上げてきたのだと思う。度々の引用になるが、「浮野」12月号の編集後記で〈一か月ほど前も、東京例会の後、突然日立海浜公園のコキアを見たいと宿も取らずにご夫妻で出かけていきました。相当歩かれたようです。〉と、龍野龍さんを心配させている。しかし、お二人は、これからもきっと、少し回りをはらはらさせながら自由自在に羽ばたかれることだろう。美佐子さんの作品に今後それがどう結実していくか、楽しみに拝見していたい。

 

利酒の良き名浮足立ちにけり

 

ほとんどお目にかかったことのない美佐子さんと、いつの日か酌み交わしたいものだ、とそんなことを考えてしまった。