辻村麻乃句集『るん』が「鳰の子」12月号で紹介されました!

『るん』辻村麻乃著 俳句アトラス

 

詩人の父と俳人の母を持つ作者は、詩の国からやってきたのではないかと思わせる自由で柔軟な発想で、独特な世界を詠んでいる。

 

春峰や深き森から海の音

電線の多きこの町蝶生まる

鞦韆をいくつ漕いだら生き返る

夏の雨耳石の破片漂うて

 

心の内を出したり抑えたりして

 

思春期や怒つた顔で薔薇を買ふ

爽やかや腹立つ人が隣の座

 

誰にどのような手紙を? ドラマに…。

 

夏帯に渡せぬままの手紙かな

 

尊父から娘に宛てた詩に対して

 

おお麻乃と言ふ父探す冬の駅

 

序にも跋にも詩的な言葉があふれている。

詩情豊かな句集に感謝。

1964年東京生まれ。

埼玉県朝霞在住。

1994年「篠」入会。

「篠」編集長、副主宰。

「ににん」創刊同人。

現代俳句協会会員。

 

執筆者:山口 登 「鳰の子」2018年12月号「句集に学ぶ」

日下野仁美編著『花暦吟行集』が「鳰の子」12月号で紹介されました!

『花暦吟行集』 日下野仁美編著 俳句アトラス

 

この吟行集は、「海」副主宰日下野仁美氏が「俳句はどのようにして作るの」という問いかけから立ち上げた、女性ばかりの吟行会「花暦」の平成18年から29年迄、130回に及ぶ全吟行の、参加者全員の一句と、吟行記を纏め掲載したものである。

眼前実景、即物具象の「海」の理念を念頭に歩んだ吟行会であったと日下野氏は述べておられるが、どの作品からも「俳句はこのようにして作る」と確実に成果が顕れ、歩きつづけ、詠みつづける意志と努力に感動の一書である。

 

日下野仁美氏の作品より

   子規庵

身にしむや文字の乱るる仰臥録

   高尾山火祭り祭

浄め塩踏みて火渡り始まれり

   深大寺

薄氷の解けて流れに加われり

 

編者は、昭和22年生まれ。

平成3年「海」入会。

平成26年「海」主宰。

第4回俳句界受賞等、受賞歴多数。

 

執筆者:師岡洋子 「鳰の子」2018年12月号「句集に学ぶ」

松本和枝(「雪解」同人)句集『釜鳴り』出来ました!

句集『釜鳴り』

『釜鳴り』(かまなり)

著者:松本和枝(まつもと・かずえ)   「雪解」同人 「雪解」選書358

 

一杓に鎮む釜鳴り炉の名残

皆吉爽雨の精神‟和楽交歓”の俳句を求めて

 

和枝さんの、「雪解」創始者・皆吉爽雨への思いは熱く、

師から学んだ写実に徹した叙情句は、

どの句にも温厚な人柄と芯の強さを感じます。

今後も素直に真直ぐに俳句の道を歩んでいただきたいと思います。

―古賀雪江「雪解」主宰―

 

【収録作品】より

涅槃図の灯に鳥獣を数へけり

蛭蓆沼の伝説封じ込め

師の句碑へ越の根雪を踏みにけり

文弥木偶黒衣の泳ぐ春の闇

芋の露こぼれて富士の影迫る

蒔絵師のうすき胡坐や火恋し

一陽来復仏の胸に杢の渦

鰤起し落石網の繋ぐ村

野に響く祝詞奏上虫供養

魚捌く血を滴らす養花天

 

【著者略歴】

松本 和枝

昭和17年 福井県生まれ

昭和49年 「雪解」入門、皆吉爽雨に師事

以後、井沢正江・茂惠一郎・古賀雪江先生に師事

現在、「雪解」同人・俳人協会会員

 

装丁 巖谷純介

印刷製本 中央精版印刷株式会社

私家版

 

刊行句集~落合美佐子(「浮野」同人)句集『野菊晴』出来ました!

句集『野菊晴』

『野菊晴』(のぎくばれ)

著者:落合美佐子(おちあい・みさこ) 「浮野」編集同人 (第三句集)

 

母ふたり健やかに老い野菊晴   美佐子

 

八十歳を迎えた自分史。

句集『野菊晴』。

『花菜』『野みち』に続く第三句集である。

長く「浮野」の編集を担当し、「浮野」の発展に尽くしている。

いつでもそばに俳句のあった生活を、明るく伸びやかに諷詠。

平凡な中に“詩”を見い出し、見える俳句を親しく確立している。

帯文(落合水尾「浮野」主宰)より

 

【収録作品】より

春遅々と点滴の点つもりけり
滑り台落花の中にとび出せり
コスモスや歩いて己確かむる
初山河炎のいろの琴袋
傍らは空大きくて草いきれ
若布刈舟海の青さを女神とす
飛花落花隠れやうなき主峰あり
風の蝶切に癒えよと利根を越す
さくらんぼ枝ごと光ごと貰ふ
来てるはず花人として見てるはず
恋猫となることもなく人を恋ふ
佛頭にとどまる落花二三片

 

【著者略歴】
落合美佐子(おちあい・みさこ)

昭和13年3月  埼玉県加須市に生まれる
昭和32年  「水明」に入会
昭和39年  「水明」を退会
昭和52年  「浮野」創刊と共に同人、編集に参加
昭和56年   埼玉俳句賞受賞
昭和61年   第1句集『花菜』出版
昭和62年   埼玉文芸賞準賞受賞
平成7年    第2句集『野みち』出版
平成11年   自註現代俳句シリーズ九期⑮『落合美佐子集』出版

「浮野」編集同人 俳人協会会員 埼玉県俳句連盟常任理事

 

お求めは俳句アトラスまで

定価 2,500円(税込)

村上鞆彦「南風」主宰~小澤冗句集『ひとり遊び』を読む

句集『ひとり遊び』を読む   村上鞆彦(「南風」主宰)

 

小澤冗さんと知遇を得たのは、俳句アトラスの代表である林誠司さんが中心となって運営していた同人誌「気球の会」であった。

本集にも「気球の会」に関する前書きの付いた句が収められている。
   「気球の会」のメンバーで横須賀へ
浦賀水道帰燕の空の深みたる
この吟行に行ったのは、もう十年以上も前のことになる。

「気球の会」はその後、ひとまずの役目を終えて解散したが、数名のメンバーで句会は続けていた。

誠司さん、冗さん、日下野由季さん、私……、毎月早稲田の小さな会議室に集まっていたころが懐かしい。

その句会も自然と消滅し、近年は冗さんにお会いすることもほとんどなかったが、このたび上梓された『ひとり遊び』を手にしてみて、ふたたび冗さんの気さくな笑顔に触れたようで嬉しくなった。
以下、私の注目した句について述べてみたい。

一病は一芸のうち実南天
冗さんは、心臓にペースメーカーを入れておられる。

この句の「一病」とはその心臓の病のことだろう。

それを「一芸のうち」と笑いに転じてみせた胆力は流石と思う。

「実南天」の充実した赤色が艶々と美しい。

昼寝覚余生の貌をなでまはす
昼寝から覚めたばかり、まだ意識にはどこか濁りが残っている。

それを拭うように、顔を撫でる。

「余生の貌」にはどこかとぼけたような飄逸味があり、また「なでまはす」はいかにも人間臭い表現で面白い。

一叢はますほの芒罔象女
「ますほの芒」とは、真赭(ますほ)の色、つまりやや赤味を帯びた芒のことを言い、「罔象女」とは、水をつかさどる女神のことを言う。

句意は、野のひとところに、周りとは違う色の芒を見つけた。

そのとき、ふと女神の存在を直感したというふうに解したい。

「ますほ」の色彩から女神を思うその優しい感覚と、余計なもののない簡潔な表現が印象的な一句である。

礁荒る能登金剛の新松子
能登の旅吟だろう。

荒磯の光景に配した「新松子」の青さが匂い立つようで、初々しい詩情を生んでいる。

「能登金剛」の重々しい響きと「新松子」の清新さが好対照をなしている。

石ひとつ積めば下北雪が降る
津軽の風土を詠った句が散見されるのは、津軽が奥様の故郷だったからだろう。

この句、「石ひとつ積めば」から「下北雪が降る」への転換がドラマチック。

を積むというと、賽の河原がまず思われるので何となく寒々しい感じがするが、その印象を援用しつつ、読み手を一気に下北の雪景色のなかへと誘ってゆく表現の呼吸が見事である。

ひよどりの初声にしていつもの木
元日、鵯が鳴いている。ときに耳に障る声ではあるが、正月気分のなかで聞くと、めでたく晴れやかな声に思える。

その鵯がいるのが「いつもの木」であるという点がこの句の眼目。

日常的であること、普通であることのよろしさをよく知っている作者なのである。「いつもの木」という構えのない口語がさらりと使われて効果を出している。

ところで、本集を読んでいると、前書きの付いた追悼句が随所に見られることに気づく。

その対象は、兄、義父、義母、義兄といった身内はもちろん、俳句の師や句友、尊敬する俳人まで、幅広い人々に亘っている。

このことは、冗さんの几帳面さ、義理堅さをよく物語っていると思う。

お世話になった大切な方々の死に際し、心を込めた一句を手向け、深い祈りを捧げる。

それだけではなく、その句を句集に録し、活字にして、あらためて哀悼の証とする。死者から受けた恩を忘れぬためという自分自身へ向けての意味もあるだろう。

冗さんは本当に義に厚い方なのである。

なかでも追悼句の最たるものは、奥様へ向けてのものである。
   平成二十七年三月三十一日、妻・榮子逝く 享年七十四
旅立ちを一と日違へし四月馬鹿
あと一日違ったならば、翌日は四月一日でエープリルフール、すべてを嘘として流せたかもしれないのに……。

無益とはわかっていても、ふとそんなことを考えてしまう、という句意に読める。

句の内面には深い悲しみが潜んでいるのに、表面はそれを悟らせぬような飄々とした軽い口ぶりで仕上げている。

冗さんなりの男の含羞というものだろう。
奥様を亡くしたあと、ひとりとなった冗さんの寂しさはいかばかりのものだったろう。

〈亡き妻の部屋を灯して去年今年(147)〉という句も見える。

しかし、ひとつ明るい材料があるとすれば、それは「娘」さんの存在である。

「娘」さんを詠んだ句は、句集の冒頭から奥様への追悼句が掲載された頁までは、ほとんど見られない。

ところが、奥様への追悼句以降、「娘」という言葉は頻繁に冗さんの句に出てくるのである。
八月や娘らの声する妻の部屋
夏休みで、娘さん一家が冗さんの家に泊まりにきているのである。

以前は灯りをともしてもがらんとしてむなしいだけだった「妻の部屋」に、今日は娘さん一家の賑やかな声が満ちている。

それを聴きながら安らいでいる冗さんの莞爾とした表情が想像される。

最後に、これからの冗さんが娘さんや句友のみなさんに支えられつつ、お元気で俳句を続けてゆかれるよう心からお祈りしている。

いつかまた句会をご一緒できる機会があれば幸いである。

加藤房子句集『須臾の夢』が「朴の花」第104号で紹介されました!

加藤房子句集『須臾の夢』

平成30年6月 俳句アトラス刊

 

夜空をイメージする濃紺に、夢を表現しているかのように浮かぶ水玉、装丁、装画の美しさに魅了される。

「須臾」、とは暫時少しの間、しばらくの間の古語で水玉はそれぞれの夢というようにとらえた。

作者は、薬剤師の仕事を続け母の介護、夫の介護と見送りの中で、自分自身の病気という状況下で鋭い観察による詩情豊かな美しい句が詠まれている。

晦日蕎麦過去も未来も須臾の夢

落されし生命鮮やか桃摘花

行間に青き残夢や遠花火

蓮根の糸を頼りの余命編む

落日の遺影に真紅の薔薇を百

作者は生きた証として娘や息子に残すべくこの句集を纏めたと書いておられる。

今後も鋭敏な詩性と抒情ある句を楽しみに「須臾の夢」のつづきを期待している。

楽しとは生涯未完亀鳴けり

 

―俳句とエッセイ「朴の花」第104号~新刊俳書紹介 執筆・朝久野みち子

辻村麻乃句集『るん』が(共同通信社発)愛媛新聞、山梨日日新聞、上毛新聞、新潟新聞に紹介されました。

辻村麻乃句集の第2句集「るん」(俳句アトラス)は、

薪能トンカトンカと舞ひにけり

の、深刻さを外すことのできる目で人事を捉えた句に、平明ながら厚みが感じられる。

帰りたいと繰り返す母冬夕焼

初鏡幼女うつとり髪梳きて

 

執筆者:関 悦史

 

辻村麻乃句集『るん』が「爽樹」誌で紹介されました!

辻村麻乃句集『るん』

平成30年7月 俳句アトラス刊

 

鳩吹きて柞の森にるんの吹く

 

あとがきによれば、句集名はこの句によるとある。

また「プラーナは、サンスクリットで呼吸、息吹などを意味する言葉である。日本語では気息と訳されることが多い。チベット仏教の瑜伽行では、この概念は『ルン(風)』と呼ばれる。」とウィキペディアよりの出典と記している。

 

「鳩吹く」は、鹿狩りに際して鳩の鳴き声をすることであるから、今、鹿狩りが始まるのであろう。

森にはが林立する。

「ははそ」とは、͡コナラ・クヌギ等の総称の意味と共に、母を意味すると広辞苑にあり、謡曲竹雪の「秩父の山秋はてぬれば柞の森」が例示されている。

継子いじめにあった息子が実母を訪ねて行く。

母の住む森は、鹿の多く住む森でもある。

能の竹雪からしても「鳩吹く」と「柞」は結びつく。

この句は氏の母恋の句であろう。

母親で、俳人である岡田志乃さへの想いを込めた句であろう。

 

筆者がもっとも風を感じるのは、次の句である。

 

鷹匠の風を切り出す脚絆かな

 

チベット仏教の風はプラーナとどのように相違するのか詳細には不明であるが、命につながる風の動きの意であるプラーナは、鷹匠の技に感じられるように思う。

鷹匠は狩のために鷹を育てて鷹狩りに備える。

そして本番でその成果を示さなければならない。

確実に、少しの隙もなく、鷹に狩をさせなければならない。

迫力を示すのは鷹であるが、その仕込みは、キリリと巻いた脚絆にあり、脚絆から「風を切り出す」とした見事さに魅せられる。

 

昭和39年東京都生まれ 「篠」編集長、副主宰

 

~「爽樹」2018年11月号~句集逍遥(6) 執筆:田中妙子~

 

※本句集をご紹介いただいた「爽樹」発行所、田中様に心より御礼申しげます。  俳句アトラス

 

辻村麻乃句集『るん』が毎日新聞で紹介されました!

屋根に屋根に重なる街や鰯雲    辻村 麻乃

 

句集「るん」(俳句アトラス)から。

作者は1964年生まれ。

埼玉県朝霞市に住む。

今日の句の街には黒い瓦屋根が広がっているのだろう。

もちろん、赤い石州瓦の屋根でもよい。

地上(街)と空(鰯雲)を取り合わせて、この句は鮮明な言葉の絵になっている。

もっとも、「屋根に屋根重なる街」は、今ではもう過去の風景か。

 

毎日新聞(2018年9月28日)「季語刻々」(今) 坪内稔典