へろへろとワンタンすするクリスマス 秋元不死男(あきもと・ふじお)
(へろへろと わんたんすする くりすます)
この句に出会った時の衝撃は忘れられない。
いわゆる「二句一章」ではあるが「一つの意味」として成立している。
聖夜に(おそらく一人で…)「へろへろ」と「ワンタン」を啜っている、という光景を詠んだものだが、「へろへろとワンタンをすする」と「クリスマス」との「二句一章」というり「二物衝撃」がまさしく「衝撃」だった。
いうまでもないが、聖夜は七面鳥(あるいはチキン)やケーキを食べるものである。
しかし、この作者は「ワンタン」を食べている。
しかも「ヘロヘロ」と情けなく…である。
ここから、一人寂しく聖夜を過ごす、中年男(?)のわびしい姿が浮かぶ。
しかし、どうであろうか。
これは、この人だけの特別な世界であろうか?
今は楽しい聖夜を過ごしている人も、過去には(さすがにワンタンは啜らないまでも…)、そんな寂しい聖夜を過ごしたことがあるのではないか。
また、今、そういう状況の人もいるかもしれない。
そういう意味ではこの句には「普遍性」…というと大げさだが、「共感」出来るものがある。
また、この句には、日本人の「クリスマス狂騒」への冷めた視線も感じる。
聖夜の意味を、どれだけの日本人が理解しているかどうか。
そういうことを考えると、作者は、ワンタンをすするという「日常」を、クリスマスに「ねじ込んだ」とも言える。
それにしても「ワンタン」と「クリスマス」を取り合せた力量にも感心するが、「へろへろ」というのがいい。
ある意味、これも立派な「写生」だ。
たしかに「ワンタン」はへろへろとすするものである。