今週の一句~七夕(たなばた) 野村喜舟

七夕に夜干の網のありにけり   野村喜舟(のむら・きしゅう)

 

(たなばたに よぼしのあみの ありにけり)

 

野村喜舟の名を最近聞くことはないが、忘れてはならない俳人だ。

この人は俳句の達人である。

冷奴(野村喜舟)

https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/24465340.html

喜舟、久保田万太郎…、この二人こそ近現代俳句の達人、と私は考えている。

「ホトトギス」系の方々が、「伝統俳句」を名乗っておられるが、正確を期せば、それは間違っている。

「伝統俳句」とは、江戸俳諧の精神、手法を継承する俳句である。

変な言い方だが、「ホトトギス」の俳句は、正岡子規によってすでに一回「革新」されている。

そういう意味では「新興俳句」と言っていい。

 

野村喜舟は「渋柿」主宰で、「渋柿」創始者は松根東洋城。

東洋城も喜舟も「芭蕉直結」を提唱している。

東洋城、喜舟の俳句、そして近代俳句の洗礼を受けなかった文人俳句こそ、本当の「伝統俳句」である。

 

掲句。

七夕の夜、砂浜には漁り網が干されている。

「七夕」という言葉から、読者は、その遥か向うの沖の上に広がる天の川を想像する。

大きく横に広げられた「漁り網」と、その遥か向うに横たわる「天の川」…。

いうなれば、この句は「漁り網」と「天の川」の「取り合せ」である。

この「横たわる天の川」は、芭蕉が詠んだ、

荒海や佐渡によこたふ天の河

を踏まえている。

芭蕉が詠んだ「天の川」は「荒海」越しだが、喜舟の句は、静かな渚に干された「漁り網」越しである。

芭蕉のこの名句は、厳しい現実である「荒海」と、静かで幻想的な「天の川」の対比的構成の句である。

喜舟の句は、漁村に生きるつつましい「生活」と、天空の雄大な「天の川」の対比的構成と考えていい。

これこそ…、この手法こそ「伝統」というものだろう。

 

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