ゆびきりの指が落ちてる春の空 坪内稔典(つぼうち・ねんてん)
(ゆびきりの ゆびがおちてる はるのそら)
「指」というと、この句と、
秋風やひとさし指は誰の墓 寺山修司
を思い出す。
どちらも一読、ドキッとする。
「季語」の付け方が、この作者たちの違いを浮き彫りにしている。
寺山の句の「秋風」は、どこか「憂鬱」で、寺山俳句の詩情を象徴している。
稔典さんの「春の空」は明るい。
もちろん、一句全体が明るいわけではない。
ただ、「春の空」が憂鬱だの、淋しさだの、そういう深刻さを打ち消している。
「ゆびきりの指が落ちている」という深刻さをだ。
稔典さんの俳句というと、「意味」や「詩情」より「調べ」を優先しているよう思える。
が、こういう句を見ると、やはりそれだけではない。
きっと稔典さんの句には、深い思索があり、それを極限まで「か細く」して、俳句の醍醐味である「軽い調べ」に乗せる。
それが稔典俳句の一つの手法ではないか。
稔典さんの句には何処か違うものをかんじていましが
そこが楽しいところだと感じました。
ありがとうございました。
どくだみさん コメントありがとうございます。稔典さんの作品を通しで読むと、いろいろなメッセージを含んでいるように思います。