椋鳥の賑はうて子の帰る頃 小澤 冗(おざわ・じょう)
「季寄せ」を読むと、大群をなして移動する鳥で、椋の実をついばむのでこの名がある、と書いてあった。
椋は成長が早く、大木になりやすい。
初夏に花が咲き、秋になり熟すと黒褐色の実をつける。
味は非常に甘く、美味である、という。
しかし、最近の椋鳥というと、駅前や繁華街の街路樹に大群で宿る鳥…というイメージがある。
その様は異常で、近くにいると恐ろしささえ感じる。
今や、秋、冬の都会の風物詩となっている。
掲句。
上記のような夕暮の風景であろう。
夕暮れの椋鳥の賑わう樹木の空を見上げている。
秋の夕ぐれは早い。
仕事や学業を済ませた子供たちもそろそろ家に帰ってくるころである。
そう考えれば、この寒々とした夕空もあたたかく感じる。
今、大きく騒いでいる椋鳥も、「わが家」に帰って来たのである。
「椋鳥」の賑わいも、今日一日を無事に過ごした家族の喜びの声かもしれない。
こうして考えると、生きとし生けるものすべてに「帰るところ」は必要なのだな、とあらためて思う。