われは巨燵君は行脚の姿かな 正岡子規(まさおか・しき)
(われはこたつ きみはあんぎゃの すがたかな)
この句の眼目、面白さは「君」という一語にある。
この「君」とは誰のことか、ご存じだろうか。
これは、
松尾芭蕉
のことである。
掛け軸、あるいは書物であろう。
冬の寒い一日、ぬくぬくと炬燵に入りながら、子規はそれを眺めている。
そこには、(おそらく奥の細道の)旅へと向かう芭蕉の姿が描かれていたのだ。
「行脚」とは僧侶が修行または布教の為、諸国を旅すること。
そこから派生して、ある目的で諸地方を巡り歩くこと、とりわけ、詩歌人が、諸国を巡り歩くことを意味するようにもなった。
芭蕉、小林一茶、種田山頭火を持ち出すまでもなく、俳諧師、俳人にとって行脚は最も大切なことだった。
余談だが、今、そのことを意識している俳人はまったくいない。
まあ、要するに「サラリーマン俳人」「行脚をしない俳人」ばかりになったわけで、(少なくとも私にとっては…)現代の俳句のつまらなさはそこにある。
さて、この句だが、子規が喀血した後か、その前かで、鑑賞はずいぶん違ってくるのではないか。
喀血前であれば、
おやおやあんた(芭蕉)はこの寒い中、旅に出るのかい。
僕は炬燵でのんびりさせてもらうよ…。
(あ~、あったかい)
となる。
喀血後であれば、
私にはもうあんたのように旅にでることが出来ないよ…。
となる。
ただ、この句が凄いのは、それだけではない。
芭蕉は、
旅は風雅の花
と言った。
風雅(ここでは俳諧のことだが…)に於いて、「旅」こそが最上のものだ、と言っている。
子規の心の中には、それが出来ない淋しさがある。
しかし、例え、旅に出られない身となっても、
あんたと同じ…、いや、それ以上の仕事をして見せる。
という覚悟を含んでいることだ。
あの高浜虚子でさえ、著書の中で、
俳句は芭蕉の文学
とはっきり言っている。
不心得者はともかく、俳諧・俳句史上に於いて、俳聖芭蕉を、
汝(なれ)
などとなれなれしく、対等に呼びかけた者はいない。
一茶などは、
芭蕉翁の脛をかぢつて夕涼
と詠んでいる。
芭蕉先生のおかげで、私はなんとかおまんまを食わせていただいています。
と述べている。
蕪村も一茶も虚子も、みな、芭蕉を崇めた。
しかし、子規だけは違った。
子規にとって芭蕉は、(変な言い方だが…)「悪友」のようなものだった。
そこに子規の凄さがある、と私は思う。