おしろいが咲いて子供が育つ路地 菖蒲あや(しょうぶ・あや)
(おしろいが さいて こどもが そだつろじ)
気分的にはまだ夏だが、ここ最近はそこはかとなく秋の気配が感じられる。
秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行
八重葎しげれる宿のさびしきに人こそ見えね秋は来にけり 恵慶法師
あかあかと日はつれなくも秋の風 松尾芭蕉
とりわけ秋の気配を感じるのは「日の長さ」と「草花」である。
毎日、少しずつ変化しているのであろうが、感覚的には、ここ数日でめっきり暮れるのが早くなった。
草花もそう。
今日は東京都杉並区の旧角川源義邸であるすぎなみ詩歌館へ出かけたが、芒、萩、女郎花、露草などを見た。
草花はすでに秋の装いである。
(百日紅もまだまだ頑張っているが…。)
菖蒲あやは大正13年(1924)~平成17年(2005)。
東京都葛飾区の生まれ、墨田区京島育ち。
「春嶺」主宰。
余談だが、京島は私の母の実家で、あのへんのことはよく知っている。
東京の下町の暮らしを見てみたかったら、ぜひ京島を歩いてみるといい。
浅草、佃島もいいが、すでに観光地化している。
京島も近年、隣町の「押上」に「東京スカイツリー」が立ち、再開発の波が押し寄せているが、まだまだ風情を残している。
京島は、有名な向島のすぐ隣であるが、向島は「花柳界」であり、京島は「職人の街」なのである。
母方の実家も、ペンキ屋職人の祖父、叔父が住んでいた。
叔父は、お客さんから「どこに住んでいるの」と聞かれると、「京島」と言ってもわからないので、たいがい「向島です。」と答えていた。
大抵のお客さんが「あら、粋なところね」と言う。
しかし、京島はそういうところではなく、下町でも浅草、佃島、向島と較べると少し野暮ったい感じがする。
まあ、それはともかく…。
菖蒲あやの家はこの界隈で「炭屋」をしていた。
四歳で実母を亡くし、酒びたりで家業をかえりみない父と、折り合いの悪い継母の元で育った。
吾妻尋常高等小学校を卒業後、日立製作所亀戸工場に勤務。
昭和22年、職場句会で当時の「若葉」同人・岸風三楼(きし・ふうさんろう)と出会い、「若葉」に入会した。
その後、主宰の富安風生にも師事したが、28年、風三楼が「春嶺」を創刊すると「春嶺」に参加し、発行事務を担当した。
42年、句集『路地』で第7回俳人協会賞を受賞。
平成9年、風三楼、宮下翠舟の後を継ぎ「春嶺」三代目主宰となった。
風三楼が提唱した、
俳句は日常の詩、俳句の向日性
を継承した。
風生は句集『路地』の序文で、あやと、その作品を、
踏まれても踏まれてもへこたれない、自分の力で起き直ってくるたんぽぽ
のよう、と評している。
あたたかで、素朴で、誰もが共感する下町の生活哀歓を豊かに詠み〝路地の俳人〟〝路地裏の俳人〟と称された。
あやの幼年期は恵まれたものでなく、知れば知るほど泣けてくる。
父親は炭屋をやっていていたが、ほとんど収入がなく、ただただ呑んだくれていた。
貧しさゆえかいじわるかはわからないが、継母からお弁当を持たせてもらえず、昼休みになると「家でごはんを食べてくる」と嘘をつき、学校の周りをぐるぐる歩いて時間を潰したそうだ。
焼酎のただただ憎し父酔へば
泣きたくなる父に代りて炭かつぎ
炭俵かつぐ乳房を縛されて
墓もなき母の忌日の野菊咲く
実母の墓もない、というのはどういうことだろう。
それほど貧しかった…、ということであろうか。
しかし、持ち前の明るさから、多くの俳句の仲間から愛され、晩年は幸せだったようだ。
エピソードをいくつか知っている。
あやは若い頃、毛糸編みが趣味だった。
しかし、その編み物はすべて人にプレゼントしていた、とあやをよく知る人から聞いた。
また、「春嶺」句会にはいつも50名近い人が参加したそうだが、主宰のあやはよく遅刻した、という。
その理由は、みんなの分だけ「鯛焼き」を買う為だった。
いつもお店に50人分の鯛焼きを作ってもらい、そのため、いつも時間がぎりぎりになった、そうである。
さて、掲句はあやの代表作として知られている。
いかにも「路地裏の俳人」らしい作品だ。
さきほども紹介した「向日性」がある。
白粉花は夏の終わりから秋にかけて咲く。
昔、お化粧の白粉(おしろい)の原料としていたことから、この名がついたそうだ。
私などは子供の頃、花の下についている丸い部分を引っ張ると、細い糸が出てくるので、それを花ごと空に投げ、「パラシュート」に見立ててよく遊んだ。
この句の「おしろい」は、暑さが少しおさまり、ほのかに秋が訪れている下町の「路地」の空気をよくあらわしている。
「子供が育つ路地」という表現が何よりいい。
とても清々しいではないか。
子供は自然が育て、親が育てる。
しかし、下町は「路地」が育ててくれる。
今ではそういう感じはなくなってしまっているのかもしれないが、下町生まれの私にはよくわかる。
内職のおばさんもいれば、三味線を弾くおばあさんもいる。
自宅兼小さな町工場でおじさんが働いている。
猫が暇そうにあくびをしている。
ときどき酔っ払いや偏屈なじいさんが通る。
夜になれば談笑の声や、親子喧嘩の声が聞こえ、夜が更けると、ほろ酔いの下駄の音が聞こえる。
それらの物音の中で、下町の子は育つのだ。
飲んだくれで働こうとしない父や、継母との確執で苦しみながら、彼女もまた「路地」に育てられたのである。
その他の作品も紹介しておこう。
旋盤のこんなところに薔薇活けて
たんぽぽなんか踏まれ鉄材運ばるる
二階より見られて父と炭をひく
美しき月夜の屋根に炭団干す
処女のごと自由奔放夏の川
尻の汗疹かゆしと女工ら笑ひあふ
路地の子が礼して駈けて年新た
女工たち声あげ入りて柚子湯たり
父病めり壁にオーバーすがりつき
炭俵担ぐかたちに父逝きし
もう炭をかつぐことなし父逝けり
路地に生れ路地に育ちし祭髪
蝶来たり路地の奥より産声す
銭湯で御慶を交す路地育ち
蚊帳渡る風の青さに目覚めけり
大き足布団はみ出し継母逝けり
継母の忌の素麺つめたくつめたくす
野菊摘み来世は父母に甘えたき
香水をひとふりくよくよしてをれず
梅雨深くいまはの一語「ありがたう」
渾身に鶴舞ひ天地覚めきりぬ
大根が煮上り星がきれいです
恋遂げし鶴かも高く高く翔つ
毛糸選るたのしさ姪に子が生まれ
眠くてねむくて泣く子に廻る風車
待つと言ふことに馴れつ子春を待つ
路地の葬掃いても掃いても花が散る
朝顔やさみしがりやで路地住まひ
戻りたる命大事に髪洗ふ
若い恋人見つかるやうにと初参り
眼帯をとれば秋天青し青し
感動しました。素晴らしい記事をありがとうございます
匿名さん こちらこそ読んでいただきありがとうございます。母の故郷を詠んだ菖蒲あやは、私の中で特に共感できる俳人なのです。