笛の音に波もよりくる須磨の秋 与謝蕪村(よさ・ぶそん)
(ふえのねに なみもよりくる すまのあき)
元禄2年、松尾芭蕉は「おくのほそ道」の旅に出て、福井県敦賀市種の浜(いろのはま)を訪ね、
寂しさや須磨に勝ちたる浜の秋
と詠んだ。
寂しさが勝っている
というのも変なものだが、芭蕉にとって、或いは「風狂の徒」にとって、「寂しさ」というのは、むしろ大事なものだったのかもしれない。
芭蕉の句でわかるように、
寂しさ
というと「須磨」だった…というか、「須磨」が代表的な景勝地であった。
何度も書くが、「寂しい」というのは、むしろ「素晴らしい」ことなのである。
蕪村の句は、その「寂しさ」が根底にある。
この句の笛は、その時、聞こえた笛かもしれないが、
青葉の笛
をイメージしているだろう。
「青葉の笛」は平敦盛(たいらのあつもり)愛用の笛である。
一応、紹介しておくと、この笛はもともと弘法大師(空海)が唐の国(今の中国)へ留学した時、唐の都・長安の青龍寺の竹(天笠の竹)で作ったものと言われている。
帰国した弘法大師は、これを嵯峨天皇へ献上し、嵯峨天皇は「青葉の笛」と名付けた。
その後皇族から平家の手に渡り、笛の名手であった敦盛へ渡った、と言われている。
源平合戦の折、敦盛は17歳で一ノ谷…つまり須磨近辺で行われた戦いに参加した。
平家は源義経率いる源氏軍の奇襲を受け、敦盛は、騎馬で海上の船に逃げようとしたが、敵将・熊谷直実に、
敵に後ろを見せるのは卑怯!戻れ!
と呼び止められ、討ち果たされた。
このシーンは源平合戦の名場面とされ、『平家物語』はじめ、能の『敦盛』、幸若舞『敦盛』や文楽や歌舞伎にも取り上げられている。
句の中の「波」は源平合戦の頃の波へとつながる。
また、『源氏物語』へもつながる。
いうなれば、この句は日本の詩歌人の心を凝縮した一句と言えるだろう。