蓑虫の父よと鳴きて母もなし 高浜虚子
(みのむしの ちちよとなきて ははもなし)
蓑虫が鳴くことをご存知であろうか?
実は蓑虫は、
チチヨ チチヨ
と鳴く。
もちろん、嘘である。
ただ、古来より、そう鳴くと言われて来た。
蓑虫は別名「鬼の子」「鬼の捨て子」と呼ばれている。
清少納言『枕草子』には、
蓑虫、いとあはれなり
鬼のうみたりければ
という一文がある。
いくつかの歳時記や辞書を当たってみたが、「鬼の子」「鬼の捨て子」という名の由来は、この「枕草子」の一文が由来している、と書いてある。
これは清少納言の創作だろうか、或いは、当時、そのようなことが広く言い伝えられていたのだろうか。
それに調べてみると、「枕草子」の原文を見つけた。
蓑虫、いとあはれなり。
鬼の生みたりければ、親に似てこれも恐ろしき心あらむとて、親のあやしき衣ひき着せて、
「今、秋風吹かむをりぞ、来むとする。侍てよ」
と言ひ置きて逃げて去にけるも知らず、風の音を聞き知りて、八月ばかりになれば、「ちちよ、ちちよ」と、はかなげに鳴く、いみじうあはれなり。
意訳するとこういうことになるだろう。
蓑虫は憐れである。
蓑虫は鬼が生んだ子で、親鬼は、
「この子も、自分と同じように恐ろしい心を持っているだろう」
と畏れ、みすぼらしい衣を着せ、
「秋風が吹く頃、戻ってくるから、ここで待っていろ。」
と言い聞かせて、逃げ去ってしまった。
そんなことも知らず、蓑虫はひたすら風の音を聞き、秋になれば、
「父よ 父よ」
儚い声を挙げて鳴くのである。
その様子はとくに憐れをさそう。
この背景を知れば、虚子の、この句の哀れさが胸を打つ。
「父よ 父よ」と鳴いているが、お前には母もいないのだ…。
と言っている。
秋風に揺れる蓑虫の姿はどことなく、儚げで、何より「蓑」(枯葉)を纏っているというのが不可思議で、こういう創作が生まれたのだろう。
私はこの句の意味が解らず悩んでましたが、これではっきり納得しました。ありがとうございました。現代俳句ではこういう句は詠めませんね。
コメントありがとうございます。子規以降なのかどうかわかりませんが、現代俳句は伝統から断絶してしまいましたね。