かなかなや子供靴より砂無限 成田一子
(かなかなや こどもぐつより すなむげん)
「滝」2018年9月号より。
成田一子主宰は「滝」二代目主宰。
先年、お亡くなりになった、父・菅原鬨也氏のあとを継ぎ、主宰に就任。
まだ若い主宰である。
成田主宰の存在をはっきり意識したのは、辻桃子「童子」主宰の言葉による。
面白い感覚を持った、才能のある若い俳人がいる。
と教えていただいた。
それ以来、注視するようになったが、かねがね表現や発想の豊かな俳人だと感心していた。
編集長時代は、お住まいの宮城県仙台市へ行き、雑誌のグラビア撮影で、初めてお会いした。
音楽(ロック)が好きで、今でもバンド活動をしているそうだ。
なんとなく俳句は「国文科」出身の人が有利(?)のように思われがちだが、実際はそうでもないようだ。
特に音楽をやっていた人の作品は優れている。
音楽は不得手だが、俳句は「韻文」、つまり「調べ」「リズム」の文学であるから、きっとそういう点が共通するものがあるのだろう。
急にリズムを変える「転調」は、俳句の「転換」「ひねり」と共通しているのかもしれない。
(まあ、推測だが…)。
成田主宰の句はなにより発想がよく、表現が独特で、なおかつ、一句全体に「ハリ」がある。
「しらべ」が張っているからだろう。
掲句。
「無限」という表現に実に感心した。
一般的表現であれば、
かなかなや子供靴より砂こぼれ
かなかなや子供靴より砂尽きず
かなかなや子供靴より砂あまた
などとなるのではないか。
「無限」がいい。
上の句を見てわかるように、素材自体は、なんということもない、むしろ陳腐で、詠み古されたものと言っていい。
この「無限」という一語だけが「斬新」なのだ。
俳句は何を詠むかも大事だが、「どう詠むか」も大事である。むしろ俳句の歴史400年の厚みを考えれば、これからは「何を詠むか」より「どう詠むか」が重要になってくる。
とめどもなくこぼれて来る砂の小さな「滝」が見えるようである。
子供靴からいつまでも砂が尽きない、ということは、子供がそれだけ外で元気に遊んできた、ということであり、「無限」という言葉のイメージから、元気に遊ぶ子供の大きな「未来」をも表現している。
また、「無限」という言葉は「現実」と「非現実」の狭間へと読者を誘うのだ。
実に表現力豊かな俳人だ。
今後の活躍がますます期待される。
季語「かなかな」は秋の季語だが、夏の終わりの象徴でもある。夏休みが終わり、子供たちも「日常」へと帰ってゆくのだ。
涼野海音さんから、私の句を取り上げて下さっている旨連絡いただき、のぞかせていただきました!
なんだかもったいないような鑑賞文、本当にありがとうございます。
「「無限」という言葉のイメージから、元気に遊ぶ子供の大きな「未来」をも表現している。」
~砂場遊びしてきた子供の靴をフリフリしてきれいにするという、かつての作業の大変さが報われた気がします
素敵な鑑賞ありがとうございました!
成田一子様 こちらこそいい句に出会えました。わざわざコメントありがとうございます。ますますのご活躍を期待しています。
成田一子さまというお方に、私はたった昨日出会わせていただきました。PCの動画に現れてくださったのです、2021年の暮れ、いえクリスマスに。
動画を二本見るうちに聞くうちに居ても立ってもいられないような胸騒ぎを覚えました。ああ、こんな風にお出会いできてしまうなんて!恩寵だと。
否、73歳今年から我流で俳句を始めました。今のところ二男と、県下のどこかの国語教師で歌人であるらし男性の二人が、読者です。
年が明けましたら、せめて心身さっぱりとさせて早速、貴誌『滝』を注文させて頂きたく存じます。宜しくお願い致します。心臓患者で、あまり時間はないのかもしれません。でも元気です。宜しくお願い致します。
成田一子さまというお方に、私はたった昨日出会わせていただきました。PCの動画に現れてくださったのです、2021年の暮れ、いえクリスマスに。
動画を二本見るうちに聞くうちに居ても立ってもいられないような胸騒ぎを覚えました。ああ、こんな風にお出会いできてしまうなんて!恩寵だと。
否、73歳今年から我流で俳句を始めました。今のところ二男と、県下のどこかの国語教師で歌人であるらし男性の二人が、読者です。
年が明けましたら、せめて心身さっぱりとさせて早速、貴誌『滝』を注文させて頂きたく存じます。宜しくお願い致します。心臓疾患で、あまり時間はないのかもしれません。でも元気です。宜しくお願い致します。夏の初めころに、アトラスのサイトを知り、そのときも・・いえ図々しいのでそれ以上は言えません。勉強の機会に感謝いたします。かしこ