旅人ののぞきてゆける雛かな 久保田万太郎(くぼた・まんたろう)
(たびびとの のぞきてゆける ひいなかな)
「桃の節句」は古来からある。
が、雛人形を飾る、という風習は近世以降より始まった。
この句の面白さは「家庭風景」から離れた視点で、「雛祭り」を詠んだところにある。
この句の場合、「誰」がのぞいていったかが一句の面白さの勝負となる。
この句の場合、「誰」がのぞいていったかが一句の面白さの勝負となる。
客人(まろうど)のぞきてゆける雛かな
子供らののぞきてゆける雛かな
子供らののぞきてゆける雛かな
でもそれなりにいい。
しかし、万太郎は「旅人」と置いた。
「旅人」ということからまず「垣根」が見えてくる。
山里など、それなりの大きな民家に飾られたものであることが想像される。
雛人形もあでやかで、どこか歴史を感じさせる立派なものだ。
さらに言えば、庭に面した大きな広間に飾られているのではないかということにも思いが馳せられるだろう。
その庭には梅や桃の花などが咲いているかもしれない。
その風情のある光景に、旅人も足を止め、垣根越しにのぞいている。
そのような、いろいろな風景が読み手の心に浮かび上がらせてくれる、それがこの句の手際の良さだ。
「旅人」ということからまず「垣根」が見えてくる。
山里など、それなりの大きな民家に飾られたものであることが想像される。
雛人形もあでやかで、どこか歴史を感じさせる立派なものだ。
さらに言えば、庭に面した大きな広間に飾られているのではないかということにも思いが馳せられるだろう。
その庭には梅や桃の花などが咲いているかもしれない。
その風情のある光景に、旅人も足を止め、垣根越しにのぞいている。
そのような、いろいろな風景が読み手の心に浮かび上がらせてくれる、それがこの句の手際の良さだ。