鳰の子の潜りて作る水ゑくぼ 柴田多鶴子
「鳰」(にお)は「かいつぶり」のこと。
「かいつぶり」は「冬」の季語だが、「鳰の子」は「夏」の季語。
鳰の子が、ようやく水を潜ることを覚えたのだろう。
楽しそうに潜っては、また、水面に現れる。
掲句はまず「水ゑくぼ」という表現がいい。
鳰の子が潜った時の水の凹みのことであるが、なんだか、潜られている(?)水も嬉しそうである。
さらに言えば、(さりげない表現だが)「作る」がいい。
並の俳人であれば、
鳰の子の潜りて生まる水ゑくぼ
鳰の子の潜りて生るる水ゑくぼ
とするだろう。
でも、それでは「普通の写生」。
鳰の子は水に潜るのが目的であって、「水ゑくぼ」を作ることが目的ではない。
つまり、視点を変えることによって、この句は、独自の光彩を放っている。
「作る」に、鳰の子の、小さいながらも、力強い「いのちの躍動」を見るのである。
この表現は「擬人法」と言っていいだろう。
擬人法とは、人間以外のものを人間に見立てて表現する方法。
鳰の子が「水ゑくぼ」を作っているというのが、それに当たる。
「擬人法」は俳人によっては嫌う人もいるが、俳句に於いて、強力な表現方法である。
まあ、そればかりやっていても仕方ないが、松尾芭蕉もずいぶん使っている。
俳句の擬人法の強さ
https://blogs.yahoo.co.jp/seijihaiku/37652103.html
この「作る」が、この句の眼目と言っていい。
作る水ゑくぼ
のご指摘に感嘆しました。
俳句の味わいを改めて教えていただきました。
有難うございました。
福井さま コメントありがとうございます。こちらこそありがとうございます。