抱く吾子も梅雨の重みといふべしや 飯田龍太(いいだ・りゅうた)
(だくあこも つゆのおもみと いうべしや)
うっとおしい梅雨の時期である。
子供が甘えて、作者の胸に抱きかかえられている。
眠っているのかもしれない。
作者のふところに全てをゆだねるように安心して身をまかせている。
その「重み」を「梅雨の重み」と表現した。
この「重み」とはなんであろうかと考える。
命の重さ?
絆の重さ?
父としての責任の重さ?
すべてがそうであるようにも思えるが、それだけでもないように思える。
山本健吉は「現代俳句」で、
二年目の勤めがどうも性に合わないと思い出していたらしい
と指摘する。
龍太は四男でありながら、兄を次々に戦争や病気で失い、にわかに近代俳句の巨星・飯田蛇笏の跡取りとしての重責を背負うこととなった。
そのようないろいろな重責が梅雨のうっとうしい雨のように作者へのしかかってくる。
しかし、この腕の中で安心して身をゆだねている子供のいとおしさはどうであろう。
この小さな命を守りたい、守らなければ、という思いがこの「梅雨の重み」という言葉を生み出したのであろう。
「梅雨の重み」の強い実感に感銘を受けました。
よい句をご紹介いただき、ありがとうございます。
正子先生、わざわざコメントありがとうございます。