帯まくとからだまはしぬ祭笛 鈴木鷹夫(すずき・たかお)
(おびまくと からだまわしぬ まつりふえ)
「祭」は夏の季語。
祭というのは一年中ある。
秋には主に農村で収穫を祝う秋祭が行われるし、冬でも秩父夜祭などが行われている。
それでも「祭」が夏の季語なのはなぜか?
昔は「祭り」といえな京都賀茂神社の「葵祭」のことだったから。
「花」と言えば「桜」を指すのと同じような理屈である。
特に「歳時記」というのは、京都の四季を中心に考えられ、編纂されている。
今はそういうことは薄れつつあるが、その名残と考えていいだろう。
ただ、今、「祭」を詠むときはそういうことは意識しなくていい。
「〇〇祭」と入っていないから、これは葵祭のことだろう、と考える人は(ほとんど)いない。
掲句の「祭」も違う。
鈴木鷹夫氏(1928~2013、「門」主宰)は生粋の江戸っ子。
これは東京の夏祭である。
着物、特に夏祭に着る着物に馴れている人は、帯を巻く時、体を回して巻くのである。
体を回すといっても、時代劇の「ご無体な~」などのようにぐるぐる回るのではなく、仕上げに体をちょっとひねって巻くのである。
その所作はいかにも江戸っ子らしく、粋である。
路地の方からは、賑やかな祭笛が聞こえてくる。
子どもの頃ほどではないが、いくつになって祭は楽しいもの。
いなせに角帯を巻いて、出かける作者の姿が見えるようである。
「祭かな」などではなく「祭笛」がうまい。
一句を「聴覚」で刺激しているのだ。