名月や北国日和定めなき 松尾芭蕉
(めいげつや ほくこくびより さだめなき)
ふりかえってみると先週は、
9月17日(月) 村上鬼城忌
9月18日(火) 石井露月忌
9月19日(水) 正岡子規忌
9月20日(木) 中村汀女忌
9月21日(金) 宮沢賢治忌
そして、
9月23日(日)は秋彼岸
9月24日(月)は十五夜
である。
どの季語も重要であるが、とりわけ「十五夜」は感懐深い。
俳句に限らず、日本の古今の詩歌人にとって最も重要な日の一つ、と言っていい。
西行が、
花(桜)に狂った詩人
であれば、芭蕉は、
月(名月)に執した詩人
ではなかったか。
わかる限り、芭蕉の名月を詠った句を挙げてみる。
けふの今宵寝る時もなき月見かな
月はやしこずゑハあめを持ながら
寺に寝て誠がほなる月見かな
賎のこやいね摺かけて月を見る
いものはや月待さとの焼ばたけ
名月や池をめぐりて夜もすがら
名月の夜やおもおもと茶臼山
夏かけて名月あつきすずみかな
明月の出るや五十一ヶ条
名月の見所問ん旅寝せむ
月見せよ玉江の蘆を刈ぬ先
あさむつや月見の旅の明ばなれ
月に名を包みかねてやいもの神
義仲の寝覚の山か月悲し
中山や越路も月ハまた命
国々に八景更に気比の月
月清し遊行のもてる砂の上
月のみか雨に相撲もなかりけり
月いづく鐘は沈る海のそこ
ふるき名の角鹿や恋し秋の月
明月や座にうつくしき皃もなし
名月や門に指くる潮頭
名月に麓の霧や田のくもり
名月の花かと見えて綿畠
今宵誰よしよし野の月も十六里
名月はふたつ過ても瀬田の月
もっとたくさんあるのだが、疲れたのでこのへんにしておく。
名月や池をめぐりて夜もすがら
という句を見た時、私は正直、
おおげさな…。
という気持もあった。
名月を見るために徹夜した!
と言っているのだ。
そんな馬鹿な…と正直思った。
しかし、調べてみると、
けふの今宵寝る時もなき月見かな
という句もある。
これは、
寝ないで名月を眺めるぞ~。
と言っている。
芭蕉の五大紀行文と言われているうちに、
鹿島紀行
更科紀行
は、その地で「名月」を見るための「旅」である。
また、「おくのほそ道」の冒頭、みちのくの旅への思いを綴った箇所に、
松島の月まづこころにかかりて
というのがある。
名月ではないが、芭蕉がみちのくを旅する前、まず心に描いた風景が「松島の月」だったのである。
さて、掲句。
私はこの句が年々好きになっている。
北国(福井県敦賀)の日よりは不安定だな~。
昨夜はあんなに晴れて、きれいな月が見れたのに、今宵の満月は見られそうにない…。
とつぶやいているのだ。
大げさな言い方ではなく、芭蕉は、
名月を見ることに命を懸けていた
のである。
そう思えば芭蕉の無念さがひしひしと伝わってくる。
ただ、芭蕉の凄いところは無念さを詠みながら、それだけで終わらないところだ。
この句にも北国の生々流転の、雄大で、力強い雲の動きが見えてくるようではないか。