句集・結社誌を読む13~「嘉祥」2018年夏号

「嘉祥」2018年夏号

「嘉祥」(かしょう)2018年夏号

代表 石嶌 岳(いしじま・がく)  編集 三代たまえ

結社誌・季刊・通巻34号・東京都板橋区・創刊 石嶌 岳

 

 岳代表は昭和32年東京生まれ、東京在住。
「雪解」の皆吉爽雨・井沢正江に師事し、平成19年に「嘉祥」を創刊。

句集に『岳』『虎月』『嘉祥』があり、『嘉祥』で第30回俳人協会新人賞を受賞している。

共有の場を通して個の創意の伸長をめざす

を信条とする。

 

代表作品〈鏡より〉より

鮒釣の竿のかるさや花ぐもり

老鶯の裏声にして谷渡る

鏡より風吹いてくる五月かな

桐の花寺に位牌を預け置く

垂直に気の立つてくる泉かな

 

岳氏の傑作の一つに、

クリムトの金の接吻結氷期

がある。

私はよく、この句を例にして「写生」の話をする。

オーストリアの画家、グスタフ・クリムトの代表作「接吻」を題材としている。

これが、

クリムトの接吻

では「写生」とは言えない。

クリムトの金の接吻

だからこそ、「写生」となった、のである。

石嶌 岳

「写生」とは「ものを写す」のではなく、「ものの本質を写す」ということである。

そのためには「具象性」が必要だ、と私は思う。

岳代表はその「具象性」に優れている作家だといつも思う。

この句は「金の接吻」…とくに「金」が具象なのである。

高浜虚子の名句に、

去年今年貫く棒の如きもの

がある。

この句は「時間」という「観念」を描いている。

「時間」「時」「時空」という観念的な世界、目に見えない世界を描いていながら、多くの人が理解し、共感出来るのは、

という「具象」があるからだ。

「棒」は誰でも知っている。

それによって、虚子が描こうとした「時間の観念」がイメージとして理解出来るのである。

岳氏は「写生の人」と言っていいが、この「具象性」に優れた才を持っている。

今回の作品で言えば、

垂直に気の立つてくる泉かな

がそれに当たる。

「泉から気が立ってくる」というだけではどこか、抽象的で漠然としてしまう。

「垂直に」によって、見えるはずのない「気」が見えて来るのだ。

そして「垂直に」には立ち上る「気」の「力強さ」、そして「泉」の気高さをも表現しているのである。

 

同人作品より

母亡くて四時の果てなる桜草   三代たまえ

春荒や木々の饒舌鳥の黙     逆井孝子

屋島嶺は天の俎鳥引けり     大野麗子

受験子の車中に開く手擦れ本   中川千尋

青空を真つ逆さまに那智の滝   吉田眞理子

蓬の芽踏み付け猫の朝帰り    瀬在敏子

火の帯が火の帯を追ふお山焼   石井みさを

春一番菓子の老舗の藍暖簾    加藤啓子

沈むものじつと抱へて冬の水   山崎邦子

をちこちの山霊たたく春疾風   高瀬春遊芝

大仏の螺髪に桜舞うてをり    結城辰雄

陽炎や歌人ゆかりの奈良の宿   福永 紺

 

同人作品も「写生」が優れている作品が多い。

結城氏の作品は「螺髪」が「具象」である。

これが「大仏の頭」あたりでは報告句になってしまうし、なにより「詩」として成立しない。

大野氏の作品も「屋島」を「天の俎」と断じたところに、力強い描写が生まれている。

 

感心したのは岳代表による「作品鑑賞」。

同人一人一人から、必ず一句を取り上げ、懇切に鑑賞、時にはアドバイスを送っている。

鑑賞文の中では、その一句だけではなく、他に1、2句を取り上げて鑑賞している。

代表の、多くの人を育てたい、という熱意を感じた。

 

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