「嘉祥」(かしょう)2018年夏号
代表 石嶌 岳(いしじま・がく) 編集 三代たまえ
結社誌・季刊・通巻34号・東京都板橋区・創刊 石嶌 岳
岳代表は昭和32年東京生まれ、東京在住。
「雪解」の皆吉爽雨・井沢正江に師事し、平成19年に「嘉祥」を創刊。
句集に『岳』『虎月』『嘉祥』があり、『嘉祥』で第30回俳人協会新人賞を受賞している。
共有の場を通して個の創意の伸長をめざす
を信条とする。
代表作品〈鏡より〉より
鮒釣の竿のかるさや花ぐもり
老鶯の裏声にして谷渡る
鏡より風吹いてくる五月かな
桐の花寺に位牌を預け置く
垂直に気の立つてくる泉かな
岳氏の傑作の一つに、
クリムトの金の接吻結氷期
がある。
私はよく、この句を例にして「写生」の話をする。
オーストリアの画家、グスタフ・クリムトの代表作「接吻」を題材としている。
これが、
クリムトの接吻
では「写生」とは言えない。
クリムトの金の接吻
だからこそ、「写生」となった、のである。
「写生」とは「ものを写す」のではなく、「ものの本質を写す」ということである。
そのためには「具象性」が必要だ、と私は思う。
岳代表はその「具象性」に優れている作家だといつも思う。
この句は「金の接吻」…とくに「金」が具象なのである。
高浜虚子の名句に、
去年今年貫く棒の如きもの
がある。
この句は「時間」という「観念」を描いている。
「時間」「時」「時空」という観念的な世界、目に見えない世界を描いていながら、多くの人が理解し、共感出来るのは、
棒
という「具象」があるからだ。
「棒」は誰でも知っている。
それによって、虚子が描こうとした「時間の観念」がイメージとして理解出来るのである。
岳氏は「写生の人」と言っていいが、この「具象性」に優れた才を持っている。
今回の作品で言えば、
垂直に気の立つてくる泉かな
がそれに当たる。
「泉から気が立ってくる」というだけではどこか、抽象的で漠然としてしまう。
「垂直に」によって、見えるはずのない「気」が見えて来るのだ。
そして「垂直に」には立ち上る「気」の「力強さ」、そして「泉」の気高さをも表現しているのである。
同人作品より
母亡くて四時の果てなる桜草 三代たまえ
春荒や木々の饒舌鳥の黙 逆井孝子
屋島嶺は天の俎鳥引けり 大野麗子
受験子の車中に開く手擦れ本 中川千尋
青空を真つ逆さまに那智の滝 吉田眞理子
蓬の芽踏み付け猫の朝帰り 瀬在敏子
火の帯が火の帯を追ふお山焼 石井みさを
春一番菓子の老舗の藍暖簾 加藤啓子
沈むものじつと抱へて冬の水 山崎邦子
をちこちの山霊たたく春疾風 高瀬春遊芝
大仏の螺髪に桜舞うてをり 結城辰雄
陽炎や歌人ゆかりの奈良の宿 福永 紺
同人作品も「写生」が優れている作品が多い。
結城氏の作品は「螺髪」が「具象」である。
これが「大仏の頭」あたりでは報告句になってしまうし、なにより「詩」として成立しない。
大野氏の作品も「屋島」を「天の俎」と断じたところに、力強い描写が生まれている。
感心したのは岳代表による「作品鑑賞」。
同人一人一人から、必ず一句を取り上げ、懇切に鑑賞、時にはアドバイスを送っている。
鑑賞文の中では、その一句だけではなく、他に1、2句を取り上げて鑑賞している。
代表の、多くの人を育てたい、という熱意を感じた。