「響焔」創刊60周年記念号(平成30年12月号)
主宰 山崎 聰 編集 駒 由美子
月刊誌・月刊・通巻606号・千葉県八千代市・創刊 和知喜八
和知喜八は加藤楸邨門であり、社会性俳句の旗手であった。
現在の信条は、
現在、ただいま生きている人間をふたりごころで詠う
これは喜八晩年の信条らしい。
総ページ250を越える、圧巻の一冊。
創刊60周年に当たって 巻頭言 山崎 聰
主宰作品「寧楽」 山崎 聰
創刊60周年記念俳句大会記念講演「俳句の条件」 山崎 聰
はるかなる後ろ姿ーわが師山崎聰と30年
の他、
PART1 60年の節目を思う
PART2 60周年と私
PART3 私の一句
PART4 思いを込めて
PART5 白灯の輝き
特集 山崎聰第七句集『流沙』
対談 よもやま
などが掲載されている。
特筆すべきは巻末。
創刊号である「響焔」創刊号(昭和33年)と復刊号(昭和44年)が再掲載されている。
創刊主宰・和知喜八の作品(復刊号)を以下に。
葉は絶えず風を失いポポ実る 喜八
向日葵の翼息子が旅に出て
稿すすみバナナの黄色起きており
巣燕の喉ダムの霧さびしかり
禿頭映りてダムの河鹿鳴く
この大胆な二物衝撃は面白い。
こういう二物衝撃は今ほとんどない。
これは現代俳句の読解力低下によるものと考えていい。
昔は、この句の良さを明確に説明できる鑑賞者がいた。
現代の俳句のレベルの低下は、作者の問題もあるが、なにより優れた鑑賞者の不在によるところが大きい。
創刊号の和知喜八の巻頭言「響焔は主張する」を紹介したい。
庶民は何時如何なる時代も
庶民として自らの表現形式をもつだろう
だが俳句も亦詩である以上
未来永劫に生き得る機能をもたねばならぬ
吾々は俳句のもつ慰戯性を排除し
伝統の揺籃に貪り眠るを拒否する
詩の形態は感覚によって決定される。
俳句と雖も一形式の固守継承は
芸術本来の帰趨に反する
吾々は俳句に奉仕する人間としてではなく
俳句を駆使する作家として
ここに集う
こうして眺めると、さまざまな主張が明確に主張されていて、当時の熱気を感じる。
私なりに要約すると、俳句は庶民の詩であることを認めつつも、伝統を盲目的に守るのではなく、内容・形式ともに革新していかなければならないということ。
俳句の奉仕者ではなく、駆使する者でありたい、ということ。
個人的には「俳句を駆使する」という考えは、やや傲慢な感じもする。
ただ、この熱気は見習うべきものがあるだろう。