「ひろそ火」2019年1月号
主宰 木暮陶句郎 編集委員 清水 檀、星野裕子、杉山香織
結社誌・月刊・創刊2011年・群馬県渋川市伊香保・創刊 木暮陶句郎
今年で通巻100号を迎え、5月には祝賀会が開催される。
木暮主宰は昭和36年生まれ、群馬県渋川市伊香保在住。
木暮主宰の俳壇デビューは衝撃的だった。
平成10年、日本伝統俳句協会賞、花鳥諷詠賞を同時受賞して、颯爽と現れた。
俳句を始め、わずか5年である。
日本伝統俳句協会賞は日本伝統俳句協会会員を対象とした賞だが、一般的に協会所属の有名俳人、ベテラン俳人が受賞する賞である。
新人には「新人賞」がある。
その新人賞を飛び越し、若手で、主宰でもない木暮氏が受賞した。
そのことは多くの新聞の俳句欄で取り上げられた。
また、氏は日展にも作品を出品する著名な陶芸家でもある。
定期的(?)に高島屋などで個展を開催している。
地元に窯元を構え「伊香保焼」を創始した。
彼は地元・伊香保の榛名湖を愛した竹下夢二を記念した竹久夢二全国俳句大会を開催するなど、地元の俳句に貢献している。
この大会には私も何度も招待され、楽しい思い出がある。
【主宰作品「瑞験」】より
火の匂ひ混じりて夜の神渡
寒禽の翼を試すごとく飛ぶ
短日や句座を重ねるペンの先
寒風に銀の炎を立てて湖
まだ誰も知らざる未来暦売
うわついていない「美の世界」がある。
現代俳句は「おきれいな言葉」で「おきれいな世界」を詠う。
しかし、そのことにほとんど俳句に於いて意味はない。
木暮主宰の「美」はそういうものではない。
水の匂い、風の匂い、山の匂い…、がする。
彼が「陶芸家」だから…、と結論付けることもできるが、きっと、そんな単純なことでもあるまい。
彼自身が持っている感性がそうであり、むしろそれゆえ「陶芸」の道をえらんだのかもしれない。
「火の匂ひ」「寒風に」は特に秀抜で、彼の作品の特徴がよく表れている。
火や風の匂いがする。
ただ、それを「風土俳句」という「土臭い」ものとせず、美に昇華する。
大げさに言えば、美の観念、情念で燃やす、と言ってもいい。
【会員作品】より
少年の細き手首や山ぶだう 峯岸俊江
酔ひきれぬ芙蓉一輪夜の雨 ななさと紅緒
十峰の藍を画布とし稲雀 茂木妃流
草虱払ひぬ嫌なものは嫌 佐藤志乃
黄落の始まついてゐし句碑の丘 砂子間佳子
ため息のどこかで秋の風となる 星野裕子
しみじみと十指の皺に秋の風 松本余一
新宿に魔女の帽子を買つて秋 中野千秋
シャトルバス乗ればすぐ着く露の宿 大河原紀子
てのひらへ燃え移りたる色葉かな 須藤恵美子
さきほど述べた木暮主宰の特徴と共通している。
これは結社として「喜ばしい」ことである。
俳句とは関係ないが、旧知の中野千秋さんが「LOVE歳時記」というエッセイを連載している。
そこで「カード情報」が盗まれて不正流用されていた、という経験談が書かれていた。
今や私もあらゆることが「カード決済」で、読んでいて、ちょっと「ぞっ」とした。
「ひろそ火」の活動拠点は木暮主宰の地元、群馬県伊香保だが、主宰の巻頭言で、昨年、東京支部が発足したことを知った。
「ひろそ火」全国進出への足がかりができました。
これからは各地に散らばるひろそ火会員を核として次々に支部を立ち上げてゆきたいと思います。
とある。
今は、さまざまなことから、かつての何千人、かつての「ホトトギス」のように何万人という「大結社」はおそらくできないと思う。
それは俳人の力というよりも、時代である。
今や結社は細分化し、1000近い結社(同人誌を含む)が全国にある。
正直に言えば、さほどの実力者でない人も主宰になれる時代だ。
それは自由な時代の象徴でもあるが、俳壇の発展としては必ずしもいいことではない。
木暮氏のような実力俳人が、全国展開を視野に入れているということは、「ひろそ火」のみならず俳壇にとってもよいことである。
「ひろそ火」は(私の記憶では…)創刊以来、表紙が「火」をテーマにしている。
「ひろそ火」は哲学(philosophy)を意識したものだとも言う。
一見しただけで、主宰はじめ会員の俳句にかける情熱を感じる。