「あだち野」2018年アンソロジー(通巻40号)
主宰 一枝 伸 編集 矢作十志夫
結社誌・年刊・創刊1997年・東京都足立区・創刊 一枝 伸
「俳句は発見であり、感動の表現である」を標榜する。
一枝主宰のもと、編集のプロであり、俳人としても活躍する矢作氏が編集を務める。
年一回の刊行とし「アンソロジー」という形式を取る。
こういう結社誌を手にすると、苦労しながら「月刊」を維持し続けている結社誌の問題を考える。
いまや何千人を誇る結社はおそらく「1ケタ」しか存在しない。
それはそのまま結社の経済力、経営力の衰退を意味する。
また、多くの結社の編集部も高齢化している。
わずかの人数が、ほとんど無償で編集をしている。
かなり無理がある、と断言していい。
それだけに結社誌の内容もはっきり言えば薄い。
結社が相次ぎ廃刊しているのは、そういう事情もある。
「あだち野」誌面を見ると、もちろん、編集のプロの矢作さんが手がけているから、ということもあるが、一年をかけてじっくり取り組んでいるだけあり、誌面も充実している。
【異論俳論】 一枝 伸
【葦立集】 一枝 伸
【巻頭随筆】 角谷昌子、金子 敦、林 誠司
特別企画【「俳枕」を訪ねて(2012年~2017年)】
【2018年作品集】 花王集 白梅集
【主宰の一句】
【季語の周辺】 矢作十志夫
【2018年「主宰特選句一覧」】
【寒行集】(年間秀逸句)
【俳句と写真で見る「あだち野」の一年】
【秀句鑑賞】 松木靖夫 他
【あだち野悠々】
【吟行レポート】 初大師吟行、牡丹吟行、小石川後楽園吟行、東京大学吟行
【トピックス】
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と実にきめこまかい。
写真もふんだんに使っていて、見る楽しさもある。
これらは昨今の、他の結社誌には見られないものである。
年刊とまではいかないが、多くの結社誌も参考にして、ムリのない発行を考えてもいいのではないか、そのほうが結社の「寿命」も延びるし、誌面も充実するのではないか、と考える。
【葦立集】(主宰作品より)
あちこちに落葉を溜めて鎮守さま
寸ほどの枝の先より寒桜
境内の奥よりきこゆ春の滝
公園の端から端まで花吹雪
風の日の牡丹に深く竹を差す
少し大げさだが「言霊」ということを感じる。
「鎮守さま」の句である。
これを、
あちこちに落葉を溜めて八幡社
では陳腐極まりない。
「鎮守さま」という「言葉」に作者の親しみの思いが籠もっている。
おそらく、そこは作者の「産土」であり、子供のころから見守ってくれていたのだ、という親しみが込められている。
「様」ではなく「さま」としたのにも「親しみ」がある。
この「鎮守さま」という下五の言葉で一句が上等なものになった。
一枝さんの作品にはそういうものがある。
【会員作品より】
片付けてしまふは惜しき鰯雲 松木靖夫
切り通し越えれば天城夏はじまる 水本ひろ人
空蝉をくしやりと潰す猫パンチ 西川政春
腰すゑて釣を見てゐる薄暑かな 村井栄子
缶蹴りの缶の凹みや梅雨に入る 河合信子
しんがりに産まれし子猫もらひけり 二瓶里子
次の世をみてきたばかり冬の蝶 菅沼里江
病葉をリュックに付けて帰り来ぬ 小松トミ子
誘はれてゐる食事会春浅し 尾形けい子
うららかやあまり物事考へず 天野みつ子
天高し化粧なほしのレストラン 石田むつき
順調に老ゆるいちにち冷奴 澁谷 遥
釣舟のただある沼の秋夕焼 伊藤弘子
一句にも筋力つけたし二月尽 竹内祥子
雪だるまさうは見えねど雪だるま 岡田みさ子
塩地蔵等身大の赤マント 越川てる子
説明書とばして読んで日の永し 田ケ谷房子
観覧車はるかに広がる春田かな 國井京子
あかあかと山の頂ななかまど 三浦恒子
静けさを指にくはへて昼寝の子 矢作十志夫
虫干しは昔をしのぶ袴かな 田ケ谷保二
文月や短冊の字に風流る 五十君與志子
原節子偲んで歩く冬の海 渡辺 徹
名も知らぬ五重の塔の夕霞 田口 修
風鈴や無風の中に経の声 佐藤やよい
自転車の籠の中から千住葱 吉村すみえ
花便りピンクに染まる日本地図 水谷義江
豊の秋生あるものの淫らなる 高野敏男
はばかりながら、私も巻頭エッセイを執筆している。
「俳句は庶民の詩」という主旨のことを書いた。