「南風」平成30年7月号
主宰 津川絵里子、村上鞆彦 編集長 村上鞆彦
結社誌、月刊、昭和8年創刊、兵庫県神戸市、創刊 山口草堂
「なんぷう」と読む。
今号で通巻896号。
創刊の山口草堂から鷲谷七菜子、山上樹実雄と続き、現在、50歳になったばかりの津川絵里子と30代後半の村上鞆彦両氏に引き継がれた。
主宰就任時は津川さんが40代、村上君は30代前半であっただろう。
山上樹実雄前主宰の英断と言っていい。
多くの結社が、主宰が高齢となり主宰を降板する、或いは、主宰が亡くなる…、その場合、ほとんどの結社がNO2の人が主宰を引き継ぐ。
しかし、そのNO2の方も就任時にすでに高齢であり、数年で亡くなり、またNO2の高齢の方が引き継ぎ…というケースが多い。
これまで長年結社を見て来たが、そういう体制は、高齢化から脱却できず、そのうちに、「後継者がいない」と終刊になる。
不安なのは会員である。
数年の内に主宰が目まぐるしく交代し、俳句に専念できない。
その点、両主宰は若い。
会員も俳句に集中できるだろう。
私は、俳句の高齢化は何の問題もないと思っている。
高齢化の問題は俳句だけの問題ではない。
日本全体の問題である。
日本がこの状況を脱却しない限り、この問題はついてまわるのである。
だから、高齢化はいいのだ。
むしろ、高齢の方々が生き生きと嗜むことに俳句の素晴らしさがある。
しかし、結社と言うのは組織、体制である。
主宰や有力同人は、組織の活性化を図っていかなければならない。
「南風」が立派なのは、山上さんがまだ元気なうちに、若き二人を主宰としたこと。
後見人となって、二人を主宰として育てたところである。
いまや二人は現代俳句の旗手として活躍している。
主宰作品より
漣の無限の網目鳥の恋 絵里子
鳥雲にずらりと同じ吊り広告
鉄棒の下の微塵の春落葉
缶蹴りの影ぱつと散る夕桜
鴉より小さき人や山若葉
幹を巻く落花の風となりにけり 鞆彦
一片の落花ひかりをさかのぼる
残花ちるひとりの午前人との午後
席取りのスカーフ置かれ蝶の昼
着陸の窓に夕富士春惜しむ
津川さんの「二句一章」の鮮やかさには舌を巻くものがある。
常々、不思議に思っている。
山口草堂は「ホトトギス」の有力同人。
「ホトトギス」の信条は「客観写生」。
松尾芭蕉は、
発句は畢竟取合物とおもひ侍るべし(『俳諧問答』)
(俳句と言うのは結局、取り合せの妙だと思いなさい)
と言ったが、「写生」とはものを丁寧に写すことであるから、自然と「一句一章」となり、取り合せは軽んじられる。
その、写生の系譜に連なる津川さんには「取り合わせ」の素晴らしい作品が多い。
これはどういうことだろうか。
写生をしつつ、取り合せの妙をも見せる実に稀有な俳人である。
一方、村上君は、文字通り丁寧に写生している。
彼は何気ない事柄、風景を詩へと昇華させることに長けている。
それにより、生活詠でありながら「花鳥諷詠的美」が生まれている。
昭和の時代、「花鳥諷詠」は「花鳥諷詠」、「人生詠」は「人生詠」だった。
人生詠、例えば人間探求派は美よりリアリズムを追求した。
平成になり、彼の登場によって、それぞれの長所が融合されたような感がある。
「風花集」(同人欄)より
竜ひそむ淵の一木大ざくら 杉谷貞子
花冷えのまだあたらしき手術痕 越智佳代子
風光る沖までもわが故郷かな 北見鳩彦
燕来る自販機だけのたばこ屋に 橘 修一
エプロンのままのいちにち柿若葉 武藤万喜子
「南風集」(会員欄)より
背に運ぶドレス真つ白花は葉に 今泉礼奈
貝塚の層の白波夏きざす 戸澤光莉
たんぽぽのぽの音風に連れ行かる 赤松正夫
鳥雲に踵の減りし夫の靴 館 ゑみ子
プラットホーム新入生のこぼれさう 深水香津子
オカリナを吹く指速し燕 奥山啓子
でで虫のからの中から見える雨 帯谷到子
なお、編集は副主宰の村上鞆彦君が担当、彼は書籍編集の経験も豊富であり、いわば「プロ」。
企画にしても、レイアウトにしても細部まで行き届いた編集姿勢が伺える。
はじめまして。南風の帯谷到子です。
私の俳句を紹介してくださって、ありがとうございます。
自分の句がインターネットに載っていたので、驚きました。
私は小学四年生です。俳句が大好きです。
これからも一生懸命がんばります。
とうこさん コメントありがとう!とてもうれしいです。「でで虫」の句、お世辞ではなく、ほんとうにすばらしいです。「詩」がやどっています。これからもがんばってください!
南風の仲間が知らせてくれまして、
この記事を拝見しました。
丁寧にご紹介くださり、
有難うございました。
村上君、いつもお世話になってます。両主宰の句、素晴らしいです。読ませる雑誌です!