中村猛虎句集『紅の挽歌』 俳句アトラス
「滝」の成田主宰から薦められた句集の中に中村猛虎氏の名前があった。
実は彼とは「ロマネコンティ俳句ソシエテ」というところの同人仲間である。
因みにロマネコンティは誌上句会を主とする超結社の全国的会員の集まりである。
私自身は平成15年頃に入会したが、お蔭で北海道から九州まで各地の俳人と知り合いになることが出来て実に良かったと思っている。
前置きが長くなってしまったが、猛虎さんの句集『紅の挽歌』の紹介に入ろうと思う。
冒頭に彼の妻の死が述べられている。
平成29年8月に脳腫瘍を宣告されてからわずか二ヶ月余りで、10月9日に55歳の生涯を閉じてしまうという衝撃的な書き出しである。
振り返ってみれば「ロマネコンティ」誌上でもそれまでに思いもよらなかった哀切な句が何ヶ月か続いたことがあった。
直接的に妻が死んだと詠まないので、最初は気づかなかったが、そのことに気づいた時は思わず目頭が熱くなったことを記憶している。
痙攣の指を零れる秋の砂
遺骨より白き骨壺冬の星
葬りし人の布団を今日も敷く
早逝の残像として熱帯魚
鏡台にウイッグ遺る暮の秋
月斜して影絵の狼妻を喰らう
亡き人の香水廃盤となりぬ
改めて衷心より哀悼を捧げたい。
話は変わるが、彼は平成17年地元姫路において句会「亜流里」を立ち上げ、活発に俳句と取り組む中で、松尾芭蕉が「おくのほそ道」で使ったとされる蓑と笠が残されているのを知り、奉納されていたという「風羅堂」の再建運動を始めたのである。
そのことは新聞などにも掲載され話題となった。
ともあれ彼の作品は恐らく初心の頃から優れていたような気がする。
次に若干紹介したい。
順々に草起きて蛇運びゆく
この空の蒼さはどうだ原爆忌
どこまでが花野どこからが父親
部屋中に僕の指紋のある寒さ
僕たちは三月十一日の水である
ポケットに妻の骨あり春の虹
余りにも淡々としているゆえに却って哀切さが迫って来る思いがするのである。
彼の作品は実に多様でかつ諧謔味に溢れている。
きっと最愛の妻の死を乗り越えられ有望な俳人として今後を期待されるところであり、末長い交誼を願うところ大である。
―「滝」2020年7月号 遠景近景 執筆・鈴木三山―