【句集鑑賞】 杉山久子~渡邉美保句集『櫛買ひに』を読む

 

 

「中にあるもの」      杉山久子(すぎやま・ひさこ)

 

すかんぽの中のすつぱき空気かな

 

『櫛買ひに』を手にしてパラリとめくった時、この句が目に飛び込んできて痺れた。

「酸い葉」とも呼ばれる植物だから噛むと酸っぱいのは周知のことだが、「空気」と言ったことで内側の空間が押し広げられ、ぐっとこちらに近づいてくる感覚がある。

「すかんぽ」「すつぱき」の表記と音の並列も巧い。

そこから渡邉美保さんの作品世界に入って行った。

多くの句がものをよく見てしっかり描写されおり、季語も心地よく響く。

 

どの木にも雨粒光る大祓
魚くはへ腋のゆるびぬ青鷺は
貼りたての障子に大き鳥の影
みどりさすアンモナイトの眠る壁

 

安らかな気息を感じる句たちである。 

 

料峭や島にふふめる山羊の乳
金柑に山羊繋ぎある日向かな
新涼や水平になる山羊の耳

 

近所に山羊が住んでいる筆者としては気になる句で、山羊の体温がほんのり伝わってきそうな心地よさがある。

密かに「山羊三部作」と名付けた。因みに「鯉三部作」もある。

 

えごの花水面に鯉の口動く
鯉の背の藻を引いてゐる盆の雨
日短か泥の浅瀬を鯉が打ち

次の句のような日常のちょっとした機微を捉えた俳諧味のある句もあり、手堅い。

 

ボサノバに合はすアイロン小鳥来る
着ぶくれて打ち解けられずゐるふたり
手袋を脱いで口止めされにけり
これといふ話はなくて衣被
  
しかし、先ほどの山羊や鯉以外にも生き物の句が目に付き始めたころから、いやそれだけではないぞと更に引き込まれていった。

量的にも生き物の句が多いのだが、それらの句を読むと、どうも人間と他の生き物の間の境界がないようなのだ。

 

きのふ鷺けふ少年の立つ水辺
花びらの中に目覚めしなめくぢり
身を反らす伸ばす縮める蛇穴へ
大腿四頭筋鍛へられよと飛蝗跳ぶ
ががんぼに言ひ寄られけり夜のトイレ
円陣を組む九人と蟻二匹

 

一句目、鷺の面影が少年に、少年の面影が鷺に重なってゆくような時間も同時に詠みこまれている。

二句目は、嫌われがちな蛞蝓を美しく詠み上げて、かすかな息遣いが聴こえて来そう。

蛇と飛蝗の句は、人間の肉体の部位や機能と対象のそれが同化していく独特の感覚。

ががんぼは種を超えて積極的にアピールしてくるし、最後の句に至っては、種も体の大小も超えて同志のような親密感。

直後に置かれた、

 

九人のはずが十人ところてん

 

など、もうこの二匹が変身したとしか思えない可笑しさ。

 

くはがたのやうな貌来る溝浚

 

これは明らかに比喩なのだが、顔つきのみならず体つきも硬質でぎしぎしと歩いてくる様子を想像させられる。

よく見ると可笑しい句は他にも沢山あるではないか。

 

痒さうな鶏頭の種とつてやる
耳栓にしようか殻付き落花生
柿剥いて明日はちやんとするつもり
日記買ふついでにニッキ飴を買ふ

 

これから先、鶏頭を見るたびにこちらもなんだか体のどこかがむず痒くなってきて、種を採らずにはいられなくなりそう。

落花生を耳栓になど、小学三、四年生くらいの男子がやりそうなことで、今度落花生を手に入れたらやってみよう。

柿を剥きながらの決心は、これはまあ大人の感覚。

私も非常に共感するし、読み手によって内容や程度の幅がある言葉だが、「ちゃんと」はなかなか言えない。

「日記」に「ニッキ飴」とは言葉遊びだけで馬鹿馬鹿しさもこの上ないのだが、この人とは気が合いそうだと確信した。

手堅いものと新鮮な発想をてらいなく放出したような句のある中で、日常とはちょっと異なる世界へ足を踏み入れる句にも惹かれた。
ふけとしこさんが、

 

ファンタジックな要素が入ってくるようになった。

幻想というか、虚の要素を取り込むというか、物語性というか、世界を拡げてきた…

 

と序文で述べておられる句と重なるかもしれない。

 

烏瓜灯しかの世へ櫛買ひに

 

かの世と言えばおそらく死後の世界。

晩秋の夕方の暗めの風景の中にぽっと灯ったように見える烏瓜を思った。

かの世から帰ってくるときの目印だろうか。

現世では手にいれられない美しい櫛なのかもしれない。

もし烏瓜の灯りを見失い帰れなくなったとしても行ってしまうのかも。

 

龍淵に潜む卵の特売日

 

想像上の季語と日常感溢れる卑近な事柄を取り合わせた。

卵を買いに行ったその足でそのまま龍の世界へ入り込んでしまいそうな気もする。

「烏瓜」の句との相乗効果かもしれないが、鶏の卵を買いに行ったはずが竜の卵を探していそうなシュールな味わい。

 

サーカス一行箱庭に到着す

 

配置された人形としてのそれらではなく、本物のサーカス団がやって来て、自然と箱庭に入ってゆく気配がこれまた不思議。

最後に、思い切った省略に驚かされた一句を。

 

海鳴りや布団の中にある昔

 

「すかんぽの中の空気」は細やかにその空間を拡げてみせたが、こちらは時間も物質的なものや匂いや感情、渦巻くカオスのような膨大なものを「昔」という一言でもって押し込めた。

読み返すほどに恐ろしさも加わってくる。

美保さんの「中」には面白くて不思議なものがまだまだありそうだ。

次は何が出てくるのか楽しみで、手品を待つ子供のように今わくわくしている。

 

けむり茸踏んで花野のど真ん中 

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