種蒔ける者の足あと洽しや 中村草田男
(たねまける もののあしあと あまねしや)
「種蒔く」というと、いろいろな作物の「種」を蒔くのかと思っていた。
どうやら「苗代」に「稲の種」つまり籾殻を蒔くことをいうそうだ。
しかし、この句はどうだろう。
一読、ミレーの『種蒔く人』を想起する。
草田男は西洋に対する敬意が強い。
ヨーロッパの詩はもちろん、西洋哲学、西洋音楽にも深い造詣があった。
推測だが、おそらく、この句には日本古来の稲作より、ミレーの『種蒔く人』が念頭にあったような気がする。
私は俳句というのは、このように「自分が信じる美学」によって変貌させてもいいものだと考える。
そうでなければ俳句は芸術たり得ない。
そのことを強く打ち出した、唯一の存在が草田男だった。