春風や堤長うして家遠し 与謝蕪村(よさ・ぶそん)
(はるかぜや つつみなごうして いえとおし)
最近になってこの句の良さ…というかテクニックに気が付いた。
この句は「堤」=「長い」、「家」=「遠い」という空間が存在する。
どちらも短い、近い空間ではなく、長い、遠い空間である。
それは蕪村の「郷愁」が持つ「空間」と考えていい。
この「家」はきっと蕪村の故郷の家なのである。
蕪村の生い立ちには「謎」が多いが、なんとなく複雑であったようである。
その郷愁の思いは、
春風馬堤曲
に集約されているので、それを見てほしい。
「郷愁の空間」への誘うのが「春風」なのだ。
春風に吹かれ、蕪村の体も、そして心も、いや…堤を歩く、蕪村の「体」を置いて、「心」が春風に乗って、その郷愁の空間へと深く入っている…、そういう句ではないか。
そして、その春風はどこまでも伸びやかで温かい。
母の懐のような風なのだろう。
やくにたった