句集『花鳥の譜』海野 弘子
1935年静岡県生まれ。
1992年「握手」入会、磯貝碧諦館に師事。
2007年「握手」賞受賞。
2012年「握手」終刊、長嶺千晶代表「晶」入会。
2015年句集『FLOWER』刊行。
俳人協会会員、現代俳句協会会員。
「晶」代表・長嶺千晶氏の帯文〈舞踏会へ赴くような華麗な美しさに憧れた若き日々。戦争によって封印された時代の記憶は、今、命の輝きのしずけさと蘇る。海野さんが生涯を賭して追い求めた美の形がここにある〉。
元「握手」編集長朝吹英和氏の跋文、『花鳥の譜』を通読して実在と非在、現実と幻想、精神と肉体、人生の喜びと悲しみ、そして慈愛、様々な思いや感性が重層し自由自在に飛翔する多彩な詩的空間に遊ぶ楽しみを味わった。
『花鳥の譜』十句抄より
昭和史に黒く塗りたる桜かな
白梅や弓のかたちに弓袋
天窓の新緑われは深海魚
サルビアの並列をゆく葬車かな
絵に画きて患部告げらる稲つるび
萩くくる己に容赦なきよはひ
天狼星や距離無限なる父の膝
母の忌の箸の両細さくら冷
(俳句アトラス 2,091円)
―「海」11月号(2020年)「新刊句集紹介」 執筆・秋川 ハルミ―
ピラルクのよぎつたやうな花曇 川越 歌澄
(第二句集『キリンは森へ』より)
伝統的手法を打ち破った新しい描写の句集である。
全編、巨細で細緻な描写であるが対象への執心は薄い。
掲句も解釈は鑑賞者に委ね、非合理な実存の世界へと誘っているかの様だ。
勿論、筆者は作者を哲学的人物と言っているのではなく、「それなりにけふもしあはせ毒きのこ」のような現実を肯定し、夢を見る、知的で文学的な佳句もあるのである。
氏は「人」同人。
―「対岸」11月号(2020年)「平成俳句論考」 執筆・池内 雅一―
『紅の挽歌』中村 猛虎 第一句集
「ロマネコンテ」「俳句新空間」同人
ガン転移悴む指のピンホール
葬りし人の布団を今日も敷く
順々に草起きて蛇運びゆく
手鏡を通り抜けたる螢の火
独り居の部屋を西日に明け渡す
ー「星雲」第55号(2020年7月1日発行)受贈句集御礼(Ⅱ) 抄出・園部 知宏ー
『花鳥の譜』海野 弘子
あとがきの言葉「人間は誰も物理的には限られた時間を生きるのであるが精神的な時間の濃密さは永遠に繋がる」、これは作者の俳句観の根底にあるのだろう。
夏草へ沈む被爆の一校舎
冬木の芽赤子に時の無尽蔵
以下の句は心象世界へと飛躍している。
強東風や海より帰らざる魂
残照の空に残像原爆忌
言の葉の海へ漕ぎ出す初硯
―角川文化振興財団『俳句年鑑』2021年版~今年の句集BEST15
執筆・涼野海音―
―「毎日新聞」2020年3月6日 季語刻々 執筆・坪内稔典―
中村猛虎(なかむら・たけとら)、本名・正行(まさゆき)。
1961年生まれ。
2005年、句会「亜流里」設立。
2011年、風羅堂第12世襲名。
現在、句会「亜流里」代表、俳誌「ロマネコンテ」同人、俳誌「俳句新空間」同人、現代俳句協会会員。
早逝の妻に捧ぐ。
第一句集。
さくらさくら造影剤の全身に
余命だとおととい来やがれ新走
卵巣のありし辺りの曼珠沙華
秋の虹なんと真白き診断書
遺骨より白き骨壺冬の星
葬りし人の布団を今日も敷く
早逝の残像として熱帯魚
少年の何処を切っても草いきれ
手鏡を通り抜けたる螢の火
この空の蒼さはどうだ原爆忌
蛇衣を脱ぐ戦争へ行ってくる
秋の灯に鉛筆で書く遺言状
たましいを集めて春の深海魚
三月十一日に繋がっている黒電話
缶蹴りの鬼のままにて卒業す
水撒けば人の形の終戦日
心臓の少し壊死して葛湯吹く
ポケットに妻の骨あり春の虹
「跋」林誠司(「海光」代表)によれば、猛虎氏は大胆さと繊細さが入り交じる、詩情あり、ユーモアありの多彩な作品で、深みのある詩情を持っている。
芭蕉も「俳諧の益は俗語を正す也」(『三冊子』)と述べていて、彼の作品にはその伝統が引き継がれて、ひいては俳句の現代性を生み出している。
「あとがき」に、趣味でやっていた作詞作曲、その歌詞からイメージした作句は、句会で同僚の作句を圧倒し、とても気分がよかった、いっている。
(俳句アトラス 2400円(税込))
―「好日」2020年9月号 新著紹介 執筆・片岡伊つ美―
ポケットに妻の骨あり春の虹 中村猛虎
(第一句集『紅の挽歌』より)
自分の言葉で表現している句集である。
伝統的なルールに捕らわれていない作風が新鮮である。
作品は全て圧倒的な迫力で筆者に迫ってきた。
掲句も悲しみと思い出を共有して、まことに抑制とリアリズムが混在している。
筆者はこの様な哀しみに遭遇したならば何も出来ないのではないかと思う。
しかし、作者は平常心を戻すため、逆に俳句の力を借り、利用した。
氏は「亜流里」代表。
―「対岸」2020年8月号 平成俳句論考 執筆・池内雅一―
中村猛虎句集『紅の挽歌』 俳句アトラス
「滝」の成田主宰から薦められた句集の中に中村猛虎氏の名前があった。
実は彼とは「ロマネコンティ俳句ソシエテ」というところの同人仲間である。
因みにロマネコンティは誌上句会を主とする超結社の全国的会員の集まりである。
私自身は平成15年頃に入会したが、お蔭で北海道から九州まで各地の俳人と知り合いになることが出来て実に良かったと思っている。
前置きが長くなってしまったが、猛虎さんの句集『紅の挽歌』の紹介に入ろうと思う。
冒頭に彼の妻の死が述べられている。
平成29年8月に脳腫瘍を宣告されてからわずか二ヶ月余りで、10月9日に55歳の生涯を閉じてしまうという衝撃的な書き出しである。
振り返ってみれば「ロマネコンティ」誌上でもそれまでに思いもよらなかった哀切な句が何ヶ月か続いたことがあった。
直接的に妻が死んだと詠まないので、最初は気づかなかったが、そのことに気づいた時は思わず目頭が熱くなったことを記憶している。
痙攣の指を零れる秋の砂
遺骨より白き骨壺冬の星
葬りし人の布団を今日も敷く
早逝の残像として熱帯魚
鏡台にウイッグ遺る暮の秋
月斜して影絵の狼妻を喰らう
亡き人の香水廃盤となりぬ
改めて衷心より哀悼を捧げたい。
話は変わるが、彼は平成17年地元姫路において句会「亜流里」を立ち上げ、活発に俳句と取り組む中で、松尾芭蕉が「おくのほそ道」で使ったとされる蓑と笠が残されているのを知り、奉納されていたという「風羅堂」の再建運動を始めたのである。
そのことは新聞などにも掲載され話題となった。
ともあれ彼の作品は恐らく初心の頃から優れていたような気がする。
次に若干紹介したい。
順々に草起きて蛇運びゆく
この空の蒼さはどうだ原爆忌
どこまでが花野どこからが父親
部屋中に僕の指紋のある寒さ
僕たちは三月十一日の水である
ポケットに妻の骨あり春の虹
余りにも淡々としているゆえに却って哀切さが迫って来る思いがするのである。
彼の作品は実に多様でかつ諧謔味に溢れている。
きっと最愛の妻の死を乗り越えられ有望な俳人として今後を期待されるところであり、末長い交誼を願うところ大である。
―「滝」2020年7月号 遠景近景 執筆・鈴木三山―
『紅の挽歌』 中村猛虎 俳句アトラス
1961年生まれ。
句会「亜流里」代表、現代俳句協会会員、俳誌「ロマネコンテ」同人、「俳句新空間」同人。
現在、俳句アトラスの社長・林誠司氏に30年前、俳句に誘われた、とあとがきに記されている。
この句集は3年前に亡くされた最愛の奥様の句が多く納められている。
寒紅を引きて整う死化粧
遺骨より白き骨壺冬の星
新涼の死亡診断書に割り印
羅の中より乳房取り出しぬ
この空の蒼さはどうだ原爆忌
独り居の部屋を西日に明け渡す
―「白鳥」第56号 新刊紹介 執筆・髙松文月―